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灯台守の十二か月〜いけにえ少女と最果てスローライフ  作者: コイシ直
第1章 4月 出会う〜コーヒー
3/47

(1-3)

 

 すっかり煮出されたコーヒー汁に、スプーンをつっこんでかき混ぜる。かまどの火はほとんど消えている。あとは、豆がやかんの底に落ち着くのを少し待てばいい。


「コハル、うちの中にどうぞ。あんまり掃除していないけど」


 とはいえ、客は時々やってくる。地元の人たちが半分、それから観光客。


 昔、エイナルの祖父が、仕事の合間に書いていた日記。それがたまたま旅行に訪れていた作家の目に留まったらしい。

 勧められるまま、よく分からずに出版されて、いつの間にか隠れた名作エッセイみたいな扱いになっていた。しかも、他の国の言葉にまで翻訳されている。


 割といろいろ率直に書いた日記だったから、祖父も我に返って大変気恥ずかしい思いをしたらしい。


 でも、そのおかげでこの岬の灯台は、今やちょっとした観光名所だ。

 ぽつり、ぽつりと観光客がやってくる。


 そのたびにエイナルは、仕事の合間を縫って、こうやって軽くお茶やコーヒーをふるまう。自分はやらないけれど、葉タバコも一応用意してある。

 はるばる遠くから、わざわざこんな何でもない灯台と海を見にくるのだ。せめて一服くらいしてもらわないと申し訳ない。


 居間の飾り棚に置かれた小物たちに、コハルの目が釘づけになった。無理もない。よくいえばカラフルな、悪くいえばてんでばらばらな見た目の小物の群れだ。


 コハルが何かを言った。驚いているのはわかる。


「いろんな置き物とか、工芸品があって、面白いよね。いろんな国から灯台を見にくる人がいて。お土産にって置いていってくれるんだ」


 エイナルはうなずきながら、食卓を手で示す。


「コハルはそっちに座って」


 皿を取り出して、バスケットの中身を適当によそっていく。


「ああ、ハムパイが入ってる。おいしそうだ」


 丸いタルト型にハムとパプリカをぎっしり敷いて、卵とミルクの液を流し込んで焼き上げてある。エイナルの好物だ。


「それから、玉ねぎとキャベツの酢漬け……と、シナモンロールか。いいね、コーヒーに合うんだこれ。クッキーも結構入ってるな」


 ご馳走にうきうきしながら、台所の鍋から、野菜と豚肉をきざんで柔らかく煮込んだスープをカップによそう。味付けは何もしていないので、塩と胡椒を持ってきて、テーブルに並べる。まだ少しあたたかい。


 犬と猫にも、少しおすそ分けしてやる。


「ほんとはお前たちの夕飯の分だからな。あとでもう一度同じやつが出てくるぞ」


 言い聞かせてもどこ吹く風で、2匹はさっそく食べはじめる。


 エイナルは自分のためには特に料理はしない。けれど、この同居の2匹の家族に、最低限のものは作る。彼らのおこぼれスープとパン、あとはりんごとチーズでもかじれば、いつも満腹だ。


 コハルは、ソファにちょこんと身を縮めて座っている。


「食べ始めてくれていてよかったのに」


 エイナルは、ふたつのマグカップに、コーヒーを静かに注いだ。


「はい、どうぞ」


 ちょうど飲み頃の湯気をたてた黒い液体を、一口先に飲んでみせる。


「うん、結構いい味になった」


 笑顔のエイナルを見て、コハルはおそるおそる、一口含んだ。

 とたんに目をまんまるくして、手で口を押さえる。「むう」と小さなかわいい声が漏れる。


「苦かった?」


 水の入ったコップを差し出すと、慌てて受け取って、ごくごく飲んでいる。


「これを入れてみようか。バタークリーム」


 バターを甘くクリームに仕立てたものが、バスケットの中に瓶で入っていた。これもエイナルの好物だ。普通のミルクやバターより日持ちがするし、これをつけると硬いパンでも特別なごちそうになる。


 ひと(さじ)すくって、自分の手の甲にポンと置く。あむっとそのまま食べてみせる。


「うん、甘い」


 もうひと匙すくったスプーンを、コハルに渡す。

 慎重に匂いをかいでから、ぱくっとクリームを口に入れた彼女の顔が、わかりやすくゆるんだ。お口にあったらしい。


 コハルのコーヒーに、たっぷり入れる。かき混ぜる。みるみる黒い液体が、明るいベージュがかった色に変わっていく。

 同じように、自分のコーヒーにも入れて、飲んだ。とても甘い。


「これはもはやデザートだな」


 しげしげとバターミルクコーヒーを眺めて、それでもコハルは、クリームの美味しさに賭けたらしい。えいやっと勢いをつけて飲んだ。案外、いさぎよい性格なのかもしれない。


 その顔が、ふわりと溶けた。もう一口飲む。さらに、ふわりと溶ける。


「美味しかった?よかった」


 エイナルはほっとして、フォークとナイフを取り上げた。ハムパイを口に運ぼうとして、止まった。

 コハルが、胸の前で両手を合わせている。そして言った。


「イタダキマス」

「いた……何?」


 エイナルは、思わず尋ねた。なんのポーズだろう。

 コハルは、ふんわりと笑った。


「イタダキマス」


 その顔が、とてもきれいに見えて、なんとなく、真似してみたくなった。


 ナイフとフォークを置く。

 両手を前に合わせる。


「イタ…キ、モス?」


 うんうん、と嬉しそうにコハルは大きくうなずいてくれた。

 エイナルもなんだかとびきり嬉しくなって、うんうん、とうなずいた。


 コハルはどこからきたのだろう。いつか、仲良くなれたら教えてくれるだろうか。




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