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灯台守の十二か月〜いけにえ少女と最果てスローライフ  作者: コイシ直
第7章 10月 コハルの悩み〜初雪

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(7-4)

 

「オハヨウ!コハル!」


 ムツキは一緒に帰国したいと誘ったその日から、ますます遠慮なくコハルとの距離をつめてくる。


 今だって、故郷の言葉で挨拶をしながら、ランチのプレートをもって、そばの椅子に座った。


 調理場の一番奥だ。コハルはこれから洗い場で汚れた食器を洗おうとしている。ランチを食べるのにふさわしい場所だとは、とてもじゃないけど思えない。


 手前のカウンターでは、昼食をもらおうとする人たちが行列していて、忙しくシチューが皿に盛られ続けている。

 最近、支援作業が落ち着いてきて、人が減ってきた。だから中ホールでの配膳をやめて、調理場のある食堂でごはんがふるまわれるようになっている。


「オハヨウって、朝の挨拶だった気がする……」


 思わずこの国の言葉でぼそっとこぼしたら、ムツキはニヤッと笑った。


「そう、朝、オハヨウ、昼、コンニチハ」

「この国の言葉、覚えたの?!」

「すこし。せっかく、いる。むだ、したい、ない」


 たどたどしいけれど、確かにこの国の言葉だ。


『だけど、結構むずかしいな。コハルに教えてほしい』


 流暢なマルタ帝国語に切り換えて、ムツキは期待に満ちた顔でコハルを見る。


「忙しいから無理。今は食器を洗う時間」


 すっぱりと断った。この国の言葉だと、なんだか遠慮なく自分の気持ちを言葉にのせられる。

 片言のマルタ帝国語で会話するより、よっぽど自分らしくいられることに気づいて、コハルは胸を張った。足に力を入れて、堂々と立つ。


『じゃあ、あとで昼のまかない食いながら教えてくれよ』

「ムツキはいま食べてるでしょう。午後はきちんとサボらず自分の仕事をしてね」

『手厳しいな。でもそのくらいしっかり者のほうが俺の好みだ』

「何度も言ったと思うけど、一緒には行かない」


 ひたすらこの国の言葉で返事をしていたコハルは、周りを少し気にして、そこから先はマルタの言葉に切り替えた。


『ムツキと結婚したいと思わない』

『じゃあ、結婚はとりあえずおいて、一緒に帰ろう。そのうち惚れされてみせるから!』

「無理!」


 思わずこの国の言葉で短くぴしゃりと叫ぶ。すっかり理解している顔で、ムツキは余裕しゃくしゃくで返す。


『無理なことなんてないな。だからこうやって惚れてもらおうと毎日頑張ってる』


 ムツキから手渡されたあの地図は、翌日には返した。一緒に行けないことも話した。

 でも、彼は全然めげない。その鉄のように打たれ強い心はある意味すごい。


「あんたたち、よくそれで会話できるね。頭めちゃこんがらがるわ。コハル、追加の汚れ食器持ってきたぜ!一緒にちゃちゃっと洗っちまお」


 カンナが勢いよくコハルとムツキの間に立ってくれる。

 何か言おうとしたムツキにかまわず、コハルに満面の笑顔を向けて話しかける。


「コハル、服屋の奥さんに刺繍習うことにしたって?」

「うん、教えてくれるって!編み物も!カンナも一緒にやる?」

「あたしに針を握らせたら血の雨が降るぜ!」


 ふたりでとめどなくおしゃべりしながら、食器を洗いはじめる。ムツキはそれを楽しそうに眺める。

 毎日、こんな感じだ。




「コハル、あの、今日も炊き出し、行くんだよね」


 ある日の朝食の席で、エイナルが、とても言いづらそうに切り出した。


「あ、僕、外でタネリのブラッシングしてこよーっと!」


 わざとらしく聞こえるくらいの大声で言って、レンが立ち上がる。

 近頃、レンがタネリとトピのブラッシング係になった。


 あの嵐の一夜。灯台に帰ってみると、たいそうぐったりしたレンとタネリとトピが、居間のカウチで寄り集まるようにして寝ていた。


 レンは言いつけ通りに2匹のごはんを作り、びくびくしながらブラッシングをしようとし、非常に四苦八苦したらしい。


 それでもなんとかジャーキーと引き換えに距離を縮め、すべての任務を遂行すると、疲れ切ってカウチに横になった。

 それで目覚めたら、タネリとトピもそばで寝ていたらしい。


 それ以来、なんとなく、毎日レンがブラッシングをするようになった。いまでは、ブラシを持ちだすだけで、2匹がそばに寄ってくる。


 ぞろぞろとひとりと2匹が居間から出ていき、急にしんと静かになる。


 コハルはその後ろ姿を見送ってから、エイナルから聞かれていたことを思い出して、うなずいた。


「うん、いつもどおり炊き出しいくよ。でも、だいぶ人も減ってきたから、明日くらいで手伝い終わりになるかも」


 座礁船の乗客も積荷も、陸路の移動に切り替えたり、別の商会の船を利用することになったりして、少しずつ街を去っていった。


 ほとんど街は落ち着きを取り戻しつつある。

 船の乗組員が30人くらい残っているけれど、その人数ならわざわざ炊き出しを用意しなくても、街の食堂でまかなえる。


「そっか……おつかれさま。あの、その……」


 何かをひどくためらってから、エイナルは絞り出すような声で言った。


「コハルと、ムツキが、仲がいいって、噂で聞いた。ムツキが一緒に帰ろうって、毎日コハルを口説いてるって」


 マルタ帝国語は、公用語だ。ふたりのやりとりを聞いて理解できる人も多いだろう。

 エイナルに、嘘はつきたくない。


「……うん。声は、かけられてる」

「そっか」


 エイナルは、口元をぎゅっと引き締めて、ひどく傷ついたような、悲しそうな顔をした。


「コハルが、俺に相談してくれなかったのは……故郷に帰りたいから、なのかな」

「え……」

「コハルが故郷に帰りたいって思ってるのは、分かってる。俺は、コハルが」


 テーブルに置かれた両手が、ぎゅっと固く固く、握りしめられる。


「コハルが、幸せに、なってほしい。幸せに、なってくれるなら……引き止めちゃいけないことも、分かってる。帰るコハルを、ちゃんと見送らなきゃ行けない」


 一瞬深くうつむくと、エイナルは勢いよく立ち上がった。


「ごめん!何をガキみたいなことをいってるんだろう!本当にごめん!ちょっと出かけてくる。夜まで帰らない」


 早口で言うと、コハルの顔を見ずに、風のように居間から出ていった。

 コハルは、取り残された。




「コハル、どうしたよ?すごい顔色悪いよ?何?エイナルとケンカでもしたの?」


 庁舎に着いたとたん、カンナがすっ飛んできて顔を覗き込んでくれる。


「……」

「うわぁ、まじかー」


 唇を噛み締めて言葉を失ったままのコハルを見て、カンナが眉を下げる。

 よしよしと頭を撫でて、ぎゅうと抱きしめてくれる。


「どうした?話聞くよ?」

「……」


 コハルは口を開きかけて、そのまま何の言葉も話せない。


 エイナルに、故郷に帰るのだったら見送ると言われた。

 エイナルと離れるなら、それで彼と二度と話せないなら、言葉なんて、役立たずだ。なんの、意味もない。


 心配してくれてごめんね、カンナ。そう言いたいけれど、口がぴたりと動かない。言葉が、死んでしまったみたいに。


「今日はもう帰りなよ。今にも倒れそうじゃん。あたしからみんなに言っておくし。ほら、安心して」


 子どもをあやすように体をゆすって、背中をぽんぽん叩いてくれる。


 カンナの妹になった気分で、コハルはしがみついて、うんうんとうなずいた。何もできる気がしない。申し訳ないけれど、今のコハルは、役立たずだ。役に立ちたいとも、思えない。


 廊下のむこうに、ムツキがいるのが見える。

 今は絶対に、会いたくない。

 コハルははじかれたように、カンナから身を離した。


 ——ごめんね、帰る。


 音にならずに、口の形だけでなんとか伝える。

 心配そうにうなずいたカンナの手を一瞬ぎゅっとにぎってから、コハルは庁舎から逃げ出した。


 やみくもに走って、走る。

 いつの間にか、港の方に出た。


「おや、コハルちゃんじゃないか。今日はひとりかい」


 フードワゴンのおじさんに声をかけられる。

 いつの間にか、顔見知りの人が多くなった。このおじさんは、嵐の日から1週間くらい、炊き出しを一緒にしてくれていた人だ。


「昼メシ食いに来たのか?ほら、持ってきな。俺のおごり!エイナルによろしくな!」


 焼いたサバにぎゅっと柑橘をしぼって、野菜と一緒にパンに挟む。くるっと紙に包んで、ぽんとコハルに渡してくれる。


 ありがとうを口に出せないコハルに気づかずに、やってきた常連客と楽しげにおしゃべりを始めてしまう。


 コハルはぺこりと頭をさげて、ふらふらと歩き始めた。


 港のはずれのベンチに座る。

 ここからだと、灯台の赤い屋根が、青空によく映えて見える。


 食欲はない。でも、おじさんの好意があたたかく指先から伝わってくる。

 ゆっくりと包みを開いて、はみ出たサバを、ちょっと齧った。


 美味しい。こんなときでも、ちゃんと、美味しい。

 この街のごはんは、あたたかい。


 ぽろぽろ、涙が出てきた。

 泣きながら、コハルは、焼きサバサンドをもぐもぐ食べた。


 美味しすぎて、エイナルにも食べてほしい。

 そう思ったら、また、涙が出てくる。


 こんなふうに、ひとりで美味しいものを食べたのは、あの夜以来かもしれない。故郷で流された夜のごちそう。


 でも、もう、あんなふうになるのは、ごめんだ。

 美味しかったって、教えたい。エイナルに。レンに。コハルの大事な人たちに。


 コハルの故郷に、大事なものは、何もない。

 全部、ここにある。


 灯台の赤い屋根を眺めながら、コハルはサンドイッチを食べきった。


 ちゃんと、エイナルと、話そう。

 大事なものを、守るために。




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