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灯台守の十二か月〜いけにえ少女と最果てスローライフ  作者: コイシ直
第6章 9月 波乱〜秋の嵐

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(6-5)

 

 昼過ぎから、叩きつけるような雨になった。突風が渦を巻く。ごうごうと木々がうなり、崖下から波の轟く音が恐ろしく大きく吹き上がってくる。

 ほとんど船の出入りがおさまって、やがて雨は少し弱まりはじめる。


「もうそろそろ大丈夫じゃない?」

「いや、自然相手じゃ人間は無力だから」


 空模様を睨みながらのレンの言葉に、エイナルは首を横に振る。


「気が緩み始めるこういうときが一番怖い。……って」


 カップのコーヒーを一気にあおると、エイナルは双眼鏡にかじりついた。


 コハルはその大きな手から、カップをそっと取り上げる。隣のレンのカップも受け取って、バスケットにしまう。

 午後のおやつを、灯台の上階に届けにきていた。焼きたてのソーセージロールとコーヒーで一息ついたばかりだ。


 双眼鏡を覗き込んだままのエイナルの口から、硬く張り詰めた声がこぼれ落ちる。


「さっきより沖にいる……まさか走錨(そうびょう)か……? レン、俺より目がいいよね。向こうのでかい船、旗見えるか。信号旗と船籍情報」


 レンも双眼鏡をかまえ、船を食い入るように見つめる。切迫した口調で報告する。


「信号旗は、黄色に赤の(しま)模様。船籍はカンティフラス王国、ガイザーブル商会の旗だ」

「やっぱり走錨か! まずいな。あの規模のガイザーブルの貨客船なら200人は乗ってる。レン、旗出せ!3枚。『走錨』『座礁(ざしょう)』『危険あり』」

「了解。『走錨』『座礁』『危険あり』」


 短く復唱したレンが、作り付けられている信号旗箱に走る。中には色々な旗がずらりとフックで吊り下げされている。

 レンは灯台に来てすぐに、全ての旗の意味を叩き込まれた。迷いのない手つきで取り出そうとしている。


「そうびょう」

(いかり)が暴風に負けて、船が少しずつ流されてる」


 コハルのつぶやきに、エイナルが鋭く簡潔に答える。


「あの先に岩場の浅瀬がある。このままだと岩に乗り上げる危険がある。船に警告する。よし、レン、旗をあげる。外に出るぞ!」

「了解」 


 バルコニーの扉を開けて、しっかりとレインコートのフードを被ったふたりが飛び出していく。

 強風に(あお)られて、閉まりかけたドアの隙間が悲鳴のような音を立てる。


 コハルは食器のバスケットを端に置き、棚の中から補充したばかりのタオルを取り出した。祈る気持ちで胸に抱きしめる。

 荒れた海は何度もみたことがある。住んでいた村で嵐に遭ったこともある。

 でも、こんなに恐ろしく感じたことはなかった。

 エイナルと、レンの姿をひたすら見つめる。

 無事に終わってタオルを渡せる瞬間を待って、ガラス窓からふたりの作業を見守ることしかできない。


 灯台のてっぺんとバルコニーを結んで、頑丈なロープが渡してある。

 今、そこに掲げている旗を下ろし、代わりに3枚の旗を結びつけて上げないといけない。

 冷たい暴風雨の中だ。すべての作業に困難が伴う。

 万が一の転落防止に命綱をつけていると聞いた。それでも、心配にならないわけがない。

 

 エイナルが全身でぶら下がるようにして、ロープを手前に手繰り寄せる。風に暴れ回りながら次第に降りてくる旗を、レンが飛びついて抱き込んだ。

 ふたりでしっかりと、新しい旗をロープに取り付ける。再び上げようとした瞬間、下からの突き上げる風で、レンの体がふらついた。


 危ない!


 とっさにコハルは強く強く、全身で祈った。鋭い言葉が口からほとばしる。


「風、止まれっっ!!!」


 ——その瞬間、ほんの一瞬。


 目の前が真っ白になった。

 めまいのような浮遊感。同時に、ごっそりと、体の中から何かが抜けていくような落下感。

 世界が回る。とっさに窓に体を預ける。目を閉じる。

 

 一呼吸ついて必死に目を開けた時、するすると旗が上がっていくのが見えた。


 風が、うそみたいに、弱まっている。

 

 驚いた顔をしながらも、エイナルがしっかりとロープを手繰って、旗を上へ上へと掲げていく。

 てっぺんにまでついた。

 しっかりと、固定する。

 

 そのとたん、強風が息を吹き返した。不意をつかれたエイナルが、手すりをつかんで顔を歪める。


「だめ、エイナルが戻ってくるまで……!」


 とっさにコハルが再び念じようとした瞬間、


「ダメだ」


 冷たい手が、コハルの腕をきつくつかんだ。


「その力を使っちゃいけない」


 いつの間にか、レンが、横に立っている。

 ずぶ濡れだ。唇まで青ざめている。

 それでも強い目が、コハルが射抜く。


「コハルにその力があるのはわかってる。でも、安易に使っちゃダメだ。戻れなくなる。天気を察知できても、エイナル以外の誰かに教えないで」

「どう……して」


 喉が塞がったように、それ以上の言葉が出てこない。


 レンは、緊張した顔でゆっくりと、一歩後ろに下がった。

 そっと、コハルの腕から自分の手を離す。

 ふわり、と風もないはずの室内に、あたたかい風のようなものが一瞬躍って、すぐ消えた。

 コハルは、腕を見た。服がすっかり乾いている。さっきまで、レンの濡れた手でつかまれていたはずなのに。


 まるで——まるで、魔法だ。


「僕にも、力がある。でも、誰にも言わないで」


 レンは、わずかに唇を歪めた。


「僕の両親は、力を悪用されて死んだ。僕だって、ハーフォードがいなきゃ死んでた。僕は、もう、普通の人間でいたい。ここみたいな、普通で幸福な生活がいい。コハルにも、不幸になってほしくない」

「……なん、で?」

「コハルのごはん、おいしいから」


 少しだけはにかんだような、照れ隠しにふてくされたような返事が返ってきて、コハルは完全に言葉を失った。


 その時だった。

 外に出たままだったエイナルが、バルコニーの手すりをつかんで船の方を見たまま、大声を張り上げる。


「レン!」

「はい!」

「双眼鏡!船みろ!信号旗!」


 レンが弾かれるように双眼鏡をのぞきこむ。渾身(こんしん)の大声で怒鳴った。


「……『座礁』『救援求む』!」


 とたんにエイナルが振りむきながら怒鳴り返す。口を動かしながら、その手はもう旗のロープをつかんでいる。


「レン!旗もってこい!3枚!『座礁』『支援』『準備』!」

「了解!『座礁』『支援』『準備』!」


 旗をつかんでレンがバルコニーに飛び出していく。

 さっき掲げたばかりの旗は、エイナルが力いっぱい手繰り寄せてもう降ろされている。新たな3枚に付け替える。

 強風に激しく吹かれ、バタバタと音を立てながら、確実に信号旗が上がっていく。

 しっかりと固定する。旗は、街にも船にも見える角度で、激しい風に耐えている。


 これで、非常事態は宣言された。

 これで、街の人々が動き出す。


 戻ってきた2人はびしょ濡れだった。

 コハルからタオルを受け取ったエイナルは、「ありがたい」とほっと頬をゆるめてゴシゴシと顔を拭いた。

 すぐにその手を止める。「よし!」と気合いを入れて自分の両頬を叩く。


「俺はこれから救援で庁舎に行く。たぶんしばらく戻れない。コハルも一緒に来てほしい。炊き出しに人手が必要だ。レン。お前にここを任せる」

「……え?」


 まだレインコートを着たままのレンが、息を止める。まじまじとエイナルを見つめて動けない。


「はいよ」


 ゴソゴソと懐を探って、エイナルは一つのものを取り出した。レンの手を捕まえて、その手のひらに置く。


「灯台守の懐中時計。これで時間を見ながら、ロープ巻きと灯火オイルの補充を頼む」

「……頼む、って、そんな大事な作業を、こんな大事なものを、なんで!」

「お前ならやれるだろ。俺が戻るまで、灯台の心臓預かっててくれ。まかせた」


 エイナルは、とんっとレンの肩をこぶしで軽くついた。

 レンは、泣き出しそうな顔で、懐中時計を見た。


「ああ、それから、庁舎のてっぺんにある信号旗にも気を配っててくれ。船が浸水する可能性がある。状況に応じて旗が付け替えられるから、同じ旗をあげてほしい。夜になって見えなくなったら日が出てすぐの対応でいい。それから、朝になったら灯火ミラーも磨いて。あ、タネリとトピのメシも作ってやって。それから朝に1回ペチカに火を入れて、タネリとトピのブラッシングをして、」

「人づかいが荒い!!」


 泣き笑いの顔で、レンがわめいた。それから、自分の首元を探って、ゴソゴソと何かを外した。


「これ」


 ころんと、エイナルの手のひらにのせる。

 革紐のついた、青い涙型のガラス細工だった。


「お守り。ハーフォード特製だから、呆れるくらい強力だよ。もしエイナルがこれから海に出ても、絶対に守ってくれる」

「ハーフォード、って、レンの保護者の?」

「そう。うちの保護者、カンティフラスで一番の魔術師だから。でも面倒くさいから秘密にしといて」

「……は?」


 今度は、エイナルが息を止める番だった。数秒後、ぷはぁと吐いた息とともに怒濤(どとう)の質問がこぼれ出る。


「え?どういうこと?魔術師って、あの魔術師?本当に?このあたりじゃ妖精並みに伝説の?カンティフラスにはいるって聞いたことあるけど、絶対何かの冗談だと思ってたあの魔術師?」

「うーん、確かに冗談かもしれない」


 レンは言いながら「くくっ」と吹き出した。


「妖精ってなにそれ、妖精って!ふふっ…くくっ…ハーフォードが妖精並みって絶対冗談でしょ、あの見た目で妖精って!」


 しきりに笑いを噛み殺してから、ふぅっと息を整え、最後だけは真面目な顔で言った。


「でも、そのお守り、ハーフォードからもらったのは本当だから」 

「わかった。大事に持っていくよ。ありがとう」


 うなずいたエイナルは、ペンダントを首にかけて服の下にしまいこみ、ぽんっと胸を叩いた。


 カンカンカンカン。

 甲高い鐘の音が街中に響き渡る。緊急事態だとすぐに伝わる切迫した音色で。


 エイナルは顔を引き締める。


「ああ、庁舎の鐘だ。コハル、いこう。レン、よろしく頼む。日没まであと3時間か。……長い夜になりそうだ」





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