(6-2)
そんな会話をコハルと交わした翌日の午前中。
「お前がこっちにくるって珍しいな」
いつかヴィッレに言われたようなことを、エイナルは口にした。
灯台の上だ。長い螺旋階段をわざわざのぼって、ヴィッレがやってきた。
今日は、この季節にしてはめずらしく、あまり風がない。
灯台の窓の外には、ぐるりと一巡バルコニーがついている。そこで、外窓の拭き掃除をしているところだった。
「レン、内側の床掃除をしてきてくれるか」
「わかった」
ちらりとヴィッレを見て、レンがさっと姿を消した。意図を察してくれて助かる。
「内密な話題なんだろ」
「そうそう。しかしあの子、急にデカくなったな。顔も急にキリリとしてきたし。街の女の子たちの前に出してやれよ。銀髪の王子様が来たって大騒ぎになるぜ」
「いやだよ。レンに怒られる。で、本題は何?」
「あれ」
ヴィッレは街の方を指さした。港が見えている。
「5日前から、訓練航海の軍艦がとまってる」
「そうだね」
「あわせて、沿岸警備隊の新入りたちも王都から乗せてきた」
「なるほど?」
「灯台保守担当、つまりお前に挨拶したいそうだ」
この街の灯台は、領主の持ち物だ。運営も、領主一家が行なっている。
エイナルの祖父が若い頃、領主が作った灯台だった。灯台守は領主に雇われている。
一方で、海上の安全を守るという点から、海軍の沿岸警備隊とも連携を取っていた。
他所から異動してきた隊員たちは、一度はこの灯台に顔を出す。
「そりゃもちろんいいけど、そんなのいつものことだろ。何でわざわざお前がそれを言いにきた?」
「昨日の夜、歓迎会があった。新しく小隊長補佐になるって奴がいてさ。やたらお前のことを聞くんだ。名前はサムエル。王都衛兵隊の水上警備団からの転属だそうだ。……昔のお前と同じ所属だな?」
王都ルノッカは、海と陸が入り組んだ水路の都市だ。
衛兵隊にも、船と水路を活用する警備部隊がある。
エイナルは、左手を握った。静かに答えた。
「そうだな」
「王都で何があった?ちゃんと教えてくれ。じゃないと正しくお前を守れない」
ヴィッレが珍しく、怖いくらい真面目な顔をしている。
エイナルは、諦めた。話すなら、今がちょうど潮時だ。
「サムエルは、俺の軍隊学校の同期だ。去年の1月、窃盗犯を捕まえた手柄で、小隊の副隊長に出世した。ちなみに父親は、陸軍の参謀長だ」
「そりゃまた大物の息子だな。あまり賢そうにも見えなかったが」
面倒くさそうに口を曲げて、ヴィッレが何かを察した顔をする。
淡々と、エイナルはうなずいた。
「ご推察のとおりだよ。親の七光を自分の実力だと思い込むタイプだ」
「でも、手柄は立てたんだろ」
「その場に、俺もいた。というより、奴と二人一組で巡回している時に、窃盗犯に出くわした」
「……へぇ?」
ヴィッレの声が低くなる。エイナルの左腕を見ている。服に隠れて見えない傷口を。
「真夜中でね。初めて人を銃で撃ったよ。命に別状ないように足を狙ったけど、つんざくような悲鳴をあげられた」
エイナルは、わずかに顔をしかめた。
思い出しても気持ちのいいものではない。
「絶叫しながら突然ナイフを投げてきて、サムエルは腰を抜かした。立っていたのが俺だけだったから、仕方なく犯人を殴って気絶させた。ポケットに隠し持っていた窃盗品の包みを取り返した」
「お前、大活躍じゃないか」
「だろ。で、ほっとして振り返ったら、サムエルが羽交締めにされて、喉元に短剣を突きつけられてた」
「……は?」
ヴィッレが絶句する。
気持ちはわかる。当時のエイナルも絶句した。
「窃盗犯の仲間がいたんだ。窃盗品をサムエルの命と引き換えに渡せと言う。仕方ないから渡したよ。そしたら、渡すタイミングで、サムエルがめちゃくちゃに暴れ出した。本人は戦ってるつもりだったのかな。恐怖の限界だったんだろ」
エイナルは、冷笑した。
自分がこんなに冷たく笑える人間だったなんて、あの事件が起きるまで知らなかった。
「で、犯人は短剣でサムエルに応戦した。仕方ないから、俺の左手を犠牲にしてサムエルをかばって、右のこぶしを相手のみぞおちにぶち込んだ。それで終わった」
「……よく冷静だったな」
「緊急事態にパニックになるような奴は、灯台守の息子じゃないよ」
「違いない」
ヴィッレは顔を歪めて笑いの形にした。
「それで?なんで奴の手柄になってるんだ? どう聞いてもお前の手柄だろ」
いい質問が飛んできた。
エイナルは、苦笑した。
「犯人たちが目を覚さないうちに、何とかひとりで縛りあげた。それから斬られたコートを脱いで、布で自分の左腕の止血をしてたら、後ろから殴られた」
「…………は?」
「結構出血してたから、頭がふらふらしてたしな。あっという間に気を失って、気づいたら病院のベッドの上だった。左手がほとんど動かなくなってた。そのまま熱に浮かされて、1週間寝込んだ」
「…………」
ヴィッレはとうとう完全に沈黙した。
ぼうぜんとしている。本当にいい奴だ。
「そして、サムエルは、大商人の秘蔵する貴重な宝石を守り抜いたヒーローになってた。窃盗犯ふたりは、頭を銃で撃たれて死んでたらしい。だから、俺以外、誰もサムエルの醜態をしらない。ちなみに俺は犯人に襲われて、大怪我をして意識を失った間抜け者らしいよ」
エイナルは肩をすくめた。
ヴィッレは酷い顔をしている。だから、ずっと、聞かせたくなかったのに。
「入院中に、大きな菓子箱が届いた。中に札束がぎっしり詰まってた。『沈黙は金』、これで黙ってろよってことだと理解した。突き返したけど。どうせこの左手じゃ衛兵隊に戻るのも厳しいしね。傷病年金ももらえることだし、もういいか、と思ってこの街に戻ってきた」
エイナルはぐるりと周りを見渡した。
見慣れた光景だ。ここには嘘がない。
それから、港の軍艦を見た。
「でもね、人を騙して手に入れた栄光なんて、長くは続かない」
「それで、あいつ、異動でこっちにきたのか……左遷なんだな?」
ヴィッレが苦々しく地を這うような声で返す。
「そうだね。沿岸警備隊に配属されたのは知らなかったけど。昔の同僚から、ちらほら手紙をもらうんだ。サムエルがいろいろポンコツなことをやらかして、あっという間に英雄のメッキが剥げた、って。しかも上司の隊長の娘に無理やり手を出そうとしたらしい。で、隊長と娘さんの彼氏にボコボコにされて異動になったってさ」
『あの事件の時、うすうす気づいていたのにエイナルのために戦えなくて本当にすまない』
そんなふうに、手紙で詫びられる。
その言葉だけでありがたい。不当な評価に抗おうともしなかったのは、結局エイナル自身なのだから。
「なんで、ここなんだよ」
青ざめたヴィッレがうめく。
「別のところに異動でいいじゃないか。わざわざお前の目の前にまた現れるなんて」
エイナルには、たぶん、その理由がわかる。
「俺がいるからじゃないかな」
「……どういうことだ?」
ヴィッレが息をのむ。
「俺と会ったら、後ろめたいサムエルは何かトラブルを起こすかもしれない。それに、北の沿岸警備隊なんて仕事、あいつには荷が重い。王都から離れた土地での大きなトラブルは、父親の権力でもかばいきれない。要は、サムエルの去年のインチキに気づいている上層部の誰かが、やつに墓穴を掘らせて辞めさせたいんだろ。サムエルの父親の足を引っ張りたいってのもあるかもしれない」
「……クズだな。そいつも。周りのやつらも」
「そんな打算で動いてるやつ、珍しくないよ。むしろこの街がお人好しすぎるんだ」
エイナルはあっさり答えて、ひとつ、ため息をつく。
それから、窓拭きの仕事を再開した。
その日の夜のことだった。
ドアの呼び鈴が鳴った。
出ようと立ち上がったコハルを制して、エイナルは玄関に向かう。
ゆっくりと、ドアを開けた。
案の定、サムエルが立っていた。




