(1-2)
いつまでも立ち尽くしているエイナルのもとに、尻尾を大きく振りながら、とうとうタネリがひょこひょこ駆けてきた。
かしこいハスキー犬は、しょうがないなぁ、という顔をして、主人の服の袖をくわえて引っ張る。
問答無用で誘導されて、エイナルは気づくと女の子の前にいた。
「えーっと」
とりあえず、口走る。女の子の顔に、緊張が走った。
エイナルは、自分の見た目のいかつさと声の低さを呪いたくなる。
去年まで、王都で警備兵の仕事をしていた。そこそこ背が高いし、鍛えたがっちり体型だし、おまけに顔がそこそこ険しい。
パッとしない亜麻色の髪の毛も、よくあるヘイゼル色の瞳も、エイナルのいかめしい顔を落ち着かせるばかりで、決して優しく中和してはくれない。
こんな華奢な女の子にとって、自分など恐怖の対象でしかないだろう。
「驚かせたなら、ごめん。俺は、ここの灯台守」
慌てて言い募ってから、エイナルはまた、ようやく気づいた。
女の子は、見慣れた蔓編みの大きなバスケットを下げている。
「あ、ヴィッレの家に新しく入ったメイドさんだろうか」
不安そうに首を傾げられて、エイナルもとたんに不安になる。
「違うのかな? いつもそのバスケットを届けてくれるんだけど。俺の友だち。領主の息子のヴィッレ」
とたんに、女の子は「ヴィッレ!」と、ほっとしたようにうなずいた。よかった、話が通じた。
しかし、普通は自分の雇い主を呼び捨てにはしない。
「君は、もしかして、領主館のお客さんかな?灯台の見学をしにきた?」
女の子はまた、困った顔をして、何かを言った。
聞いたことのない、不思議な響きの言葉だった。
妖精の言葉かな、と一瞬本気で思ってしまったエイナルは、またもや自分のメルヘン思考に目を泳がせる。それでも隠れる穴はないから、仕方なく勇気を出して尋ねた。
「ルノル語を話せない、のかな?」
また、困った顔をして、こちらを見ている。
その顔は、この土地には珍しい黒髪黒目で、顔立ちはこの国の人間よりあっさりとしている。たまに船乗りで見かける東方系の人の顔立ちに近い。
とりあえず、エイナルは、女の子の手からバスケットを受け取った。
「俺は、エイナル」
自分のことを両手で指さした。もう一度、念押しで言う。
「エイナル」
それから、ハスキー犬を指さす。その指に向かって、元気な犬が飛びついてくる。
「タネリ」
思い切りタネリの頭まわりをぐちゃぐちゃに撫でてやってから、いつの間にか自分の足の間に座っている大猫を、よいしょと持ち上げる。
「トピ」
もう一度、3つの名前を指さしながら繰り返す。
女の子の顔が、ぱっと明るくゆるんだ。えくぼが浮かんで、ますます幼く、かわいらしく見える。15、6歳だろうか。
「コハル」
女の子は、自分のことを指さして、急に元気よく言った。
「君は、コハルっていうのか」
「コハル!」
「そうか、よろしくコハル」
エイナルは、すっかり嬉しくなって笑った。
「コハル、コーヒーは好き? コーヒー」
「コーヒー?」
初めてその言葉を口にした、という雰囲気だ。
「そうか。飲んでみる?コーヒー」
エイナルは、コハルを手招きして歩き出す。彼女は戸惑いながらも、数歩離れてついてきてくれた。
「今、ちょうど豆を焙煎しおわったところなんだ。ほら、これ」
鍋の中を見せる。コハルは、驚いたように眉を寄せて、小さな鼻をすんすん動かしている。
「丸焦げでびっくりした? 確かに食べ物には見えないね」
あまりにわかりやすい表情で、言葉がなくても理解できる。確かに自分も初めてコーヒー豆を見た時には、これが飲み物に変身するとはとても思えなかった。
笑いながら、エイナルはレンガの台の前に立ち、準備を始めた。
あらかじめ用意しておいた硬くて頑丈な木の板の上に、布を広げる。
煎りたてのコーヒー豆を、そこに適量移した。
なるべく平たい状態になるように、ざっくりとくるむ。
「これをね、上からかなづちで叩いて潰すんだ。豆がもろもろのバラバラになるまで」
愛用の鉄製かなづちを軽く振り下ろす。ごりっと豆が潰れる感触があった。何度か叩く。
息を詰めて見ているコハルに、かなづちの柄を向けてみた。
「やってみる?」
戸惑いながらも受け取ってくれたので、場所を譲る。
とん、っとかなづちが遠慮がちに振り下ろされる。コハルの顔が、ぱっと輝いた。豆の潰れる感触が楽しかったらしい。
そのまま、トントンゴリゴリと順調にかなづちが動き始める。案外手つきが慣れている。かなづち自体は使い慣れていそうだった。
釘うちも、できるだろうか。一緒に椅子を作ってくれるかもしれない。
ぼんやりそんな妄想が脳内を漂っているうちに、みるみるコーヒー豆が砕かれていく音がする。
「そのくらいでいいかな。あまり細かくすると、飲むときに口の中がひどくザラザラになるんだ」
エイナルは、直接コハルの手を上から握って止めた。小さな手だ。少し日に焼けていて、指先が荒れている。苦労している手に思えた。
水を入れたやかんに、砕いたばかりの豆をざらっと入れる。
「布にくるんだまま水に沈めちゃってもいいんだけど。今日は豆だけで。味がよく出るから」
言いながら、火の勢いが落ちついて、遠火になっているかまどにやかんを乗せる。
コハルは何をしているのか分からない、という顔で見守っている。
なんだか愉快な気持ちになったエイナルは、コハルが運んでくれたバスケットを開けて覗き込んだ。
友人のヴィッレは、ろくに料理をしないエイナルの食生活を心配し、3日にいっぺんはこうやってバスケットを差し入れてよこす。
今日は、いつもより多めに食べ物が入っている。いつもは入っていない焼き菓子まで見える。
重かったろうに、と、申し訳なく思いつつ、気づいてしまう。
ひょっとして、コハルと一緒に食べろ、ということだろうか。
イタズラ好きな幼なじみの顔が浮かぶ。
あいつは何を企んでいるのだろう。
「コハル、昼飯は食べた?」
バスケットの中身を、見えるように傾けた。
とたんに、コハルのお腹が、ぐぅぅぅぅ、と返事をする。
「わかった。よかったら一緒に食べよう」
笑いをかみ殺しているのが伝わってしまったのか。コハルは真っ赤になっている。
誰かとゆっくり食事をするのは久しぶりだった。心が少し、浮き立った。