(6-1)
9月に入ると、急に夜が長くなり始める。気温も下がる。上着がほしい。秋がやってきたのだ。
天気も安定しない日が多くなってきた。
今日も小雨だ。霧のように細かい雨がけむっている。3日連続、外でランチができていない。
コハルは、居間のカウチで寝そべるトピをどうにか持ち上げて、自分の座る場所を確保している。
エイナルの隣が空いているのに。夏までは、あんなに無邪気に座っていたのに!
最近、コハルが隣に座ってくれなくなった。向かいに座る。エイナルは、そのたび内心動揺する。
「ねぇ、エイナル。ずっと気になってたんだけど」
「なに?」
穏やかなふりをするので精いっぱいだ。内心、どんなことを聞かれるのだろうとドキドキが加速している。
「トピ、大きくなってない?」
体から力が抜ける。なんだ。そんなことならいくらでも答える。
「近ごろ縦にも横にも大きくなってるねぇ。コハルの作ってくれるごはんがおいしいからじゃない?」
よいしょ、とエイナルはトピを持ち上げる。でろーんと重たい猫の体が、溶けたチーズみたいに伸びる。
膝に置いて、オレンジ色の頭や体をモシャモシャと撫でる。午前中にブラッシングしたのに、また毛が抜ける。冬毛になろうとしている。トピの体は正直だ。
「こいつ、まだ1歳をちょっと過ぎたあたりだからね。人間でいうと、コハルと同い年くらいかな。食べ盛りだし、もう少し大きくなるのかも」
「1歳?その大きさで?!」
「貫禄あるよね。去年の夏、タネリがひょっこりくわえて戻ってきたんだ。目ヤニだらけで、毛皮もボロボロの子ネコでさ。そこからずっとタネリにベッタリ。お母さんとでも思ってるんじゃないかな。どっちもオスだけど」
「そっか。よかったねぇトピ。タネリに会えて」
トピは、目を細めてエイナルに撫でられている。手のひらにすりすりと顔をこすりつけた。
と思ったらすぐに満足して、膝から飛び降りる。部屋の片隅、籠の中で熟睡しているハスキー犬のお腹にもぐりこんで、自分も昼寝を始めた。
「あと、もうひとつ気になってるんだけど」
「なんだろう?」
エイナルの心臓がまた跳ねる。小出しに聞いてくるのはやめてほしい。
「レン、大きくなってない?」
またしても、こわばった体から力が抜ける。なんだ。よかった。
「うん、急激に背が伸びたよね。ちゃんと13歳に見えるくらいになってきた」
「やっぱり? 最近目の高さが同じくらいになって……あと、夜、自分の部屋に寝にいく時、太もも押さえて『痛い』って言ってたりしてる、よね?」
「成長痛だねぇ」
「やっぱり!?」
「もっと背が伸びるだろうし、もう少ししたら、声も低くなってくるんじゃないかな」
「えぇー?かわいい声なのに! 今のうちにいっぱいしゃべってもらわなきゃ」
「はは。本人聞いたら怒るよ、それ」
「だから今聞いた。正解でしょ?」
「うん、正解」
レンは今、ここにいない。保護者からの定期便の手紙を引っつかんで、自分の部屋にこもっている。
そして、エイナルとコハルの目の前には、たいそう立派なパウンドケーキが置かれていた。前回送ったスケッチを喜んで、お礼にと送ってくれたのだ。
添えられた手紙には、「すごく良いスケッチでした。レンが元気そうで安心しました。ぜひまた送ってください。楽しみにしています」と書かれていた。
「楽しみにされちゃったらねぇ。こっちも張り切っちゃうよね。スケッチブック丸ごと1冊送っちゃうかぁ」
「そんなに描いたの?」
「描いた描いた。レンと風景だけで1冊分ある。あ、でも、家に帰っちゃった時にまったく手元にレンの絵が残ってないと寂しいか……厳選しようかな」
「そっか。レン、そのうちいなくなっちゃうんだよね」
コハルが遠い目をした。さびしそうな、諦めたような、そんな顔をしている。
それだけでエイナルは、ぐっと言葉に詰まって黙った。
本当は、コハルの分のスケッチもある。何なら3冊ある。
早々に1冊まるまるコハルで埋まった時点で、我に返って頭を抱えた。
コハルが好きだ。これ以上、気持ちをごまかしようがない。
今このタイミングなら、せめてスケッチブックのことだけでも、冗談まじりでも話題に出せるかな、と思ったのに。
何だか言い出せない雰囲気がある。
一緒に暮らして2か月。毎日が楽しい。
本当は、スケッチブックを見てほしいし、自分の気持ちもちゃんと伝えたい。
コハルと一緒だと、落ち着く。とても幸せな気持ちになる。
そんなに頑張らなくていいから、そんな翳った顔を見せずに、隣でケラケラ笑っていてほしい。
ずっとここにいてほしい。
控えめに言って、付き合いたい。
積もり積もって、そのくらいのことを今すぐ言いたいのに、言い出す隙をコハルがくれない。
というか、どうにも一歩引かれている。
この気持ちを見透かされて距離を取られている、のだったら、どうしよう。
いっそ、レンがここにいる間はもう、このままでいいか……。
ぐるぐると考えて、でも、毎日コハルの絵を描くのをやめられない。
自分でもどうかと思う。臆病すぎるだろ。
まいった。
「明日、朝から晴れるよ」
「そうか。日光浴したいなぁ」
「したいねぇ」
陽の光を浴びたら、きっと気分も変わる。
コーヒー豆を煎って、砕きまくって、薪を割って、それからそれから——
「あ、ハクチョウたちのところにも行こうか。これで今年は見納めかなぁ。そろそろ南に旅立つ季節だ」
「そっか、わかった。みんなで無事にたどりつけるといいね」
また、あの目だ。どこか遠くに思いを馳せているような、ぼんやりとした顔になっている。
初めてハクチョウを見た時も、同じ顔をしていた。忘れられない。
背筋にひやりと冷たいものを感じて、エイナルは思わず目を逸らした。
——やはり、コハルは、故郷に帰りたいのかもしれない。




