(5-3)
街と反対側の、いつもの森を抜けていく。
いつもの湖を通り過ぎる。
崖の脇の道をかなりダラダラとくだっていったところに、その砂浜はあった。
「白い……」
コハルは思わずつぶやく。コハルの育った漁村は、砂浜だらけだった。でも、こんな色ではない。
「確かに白茶けた色だね。あれ、コハルの知ってる砂浜と違う?」
「うん。もっと黒っぽかった」
「それはコハルの生まれたところ?」
「そっちは覚えてない。育った村の浜が、黒かった」
「そうかぁ。俺、海はこの国のしか知らないからなぁ。黒い砂浜ってのもあるんだな」
しみじみうなずきながら、エイナルがリュックをそっと下ろす。そこから顔を出していた猫を、よいしょと取り出した。
今日はトピも一緒に連れていけとうるさく鳴いた。それで、さっきまでエイナルに背負われていた。
しかも移動中、自分の後ろを歩くコハルを見ては、耳をピンと立てて得意そうな顔をしてくる。ずるいし、うらやましい。
「トピはいいねぇ、ずっと運んでもらえて」
「うなぁ!」
大声でコハルに返事をし、波打ち際ではしゃぐタネリめがけて飛んでいく。
タネリから10歩くらい離れたところにレンが立って、まじまじと足元の波を見ている。
2匹とひとり、微妙な距離感だ。
「でも、ちょっとは距離が縮まったかな?」
エイナルがおかしそうにつぶやく。
あんなにコハルにはすぐに懐いた2匹が、レンのことはずっと遠巻きにしている。
たどりついたのは、入江の奥に出来た砂浜だった。波が穏やかだ。
浅瀬の水が碧色に澄んでいて、その先は深く重い紺色に変わっていた。
コハルはぼうっと突っ立った。
こんな静かな海を、見たことがない。夢みたいだ。海の匂いすら、違っている。
こんな綺麗な海、自分が近寄っても、いいんだろうか。
バシャバシャとタネリがしぶきをあげて跳ね回っている。
水に触れないギリギリのところで、トピがうろうろとしている。
エイナルがやわらかいまなざしで、それを見守っている。
エイナルの隣は、とても落ち着く。
そう思ったとたん、心がソワソワと落ち着かなくなる。
最近、変だ。
とても楽しいのに、とても落ち着くのに、すごく落ち着かない。
よくわからない。
「帰ったら、あいつらまとめてお湯で丸洗いだなぁ」
「あとでお湯準備するね」
「助かる。ありがとう」
「ううん」
首を振りながら、コハルは気になっていることを聞いた。
「人、全然いないね」
「ああ、おととい大雨が降って、海も荒れただろ。そういう翌日が、稼ぎどきなんだ。浜に石が打ち上げられやすい。今はもう、金になりそうなものは採り尽くされてる時間。だからのんびり遊べる」
「すごい!ラッキー!どんどんのんびりできる」
「どんどんのんびり、いいねぇ」
楽しそうに低くエイナルが笑った。耳に心地良くて、ずっと聞いていたくなる笑い声。
——ずっと、なんて、続くはずがないのに。
コハルの中の、誰かが小さくつぶやく。
——そうだよ、そんなの、知ってるよ。
コハルの中の、誰かが言い返す。
——だから、今、楽しくならなきゃ!
コハルは、そう、決めている。
だから、今は、石!石を拾う!それで、エイナルと一緒に笑う!
一生懸命、今を生きる。誰かの役に立つ。
それ以上の望みは、身に余る。
——本当に、それだけ? どうして、それ以上を、望んじゃいけないの?
とたんに、コハルの中の声たちが、押し黙った。
目の前の、海を見る。
ふいに、耳の裏に残り続ける、故郷の旋律が脈打つ。
低く歌うような、うねるような人たちの声。太鼓の音。
オレンジ色の松明がぼんやりと、いつまでもコハルを追い立てる。
いつも、あの夢で、海に流される。
いつも、突然、居場所を奪われる。
呪いみたいだ。
「ねぇ! もしかして、これ?」
そのとき、屈んでいたレンが、突然大きな声をあげた。
我に返ったコハルは飛び上がる。
発作的に、ぱたぱたとレンに向かって駆け出した。
今、すべきことを楽しまなきゃ!
「お、なんだなんだ、もしかして?……おお!いいね」
エイナルの声に引き寄せられたように、レンが手のひらを差し出す。
ころんと、橙色の半透明の小石がつつましく転がっていた。
「さっそく当たりだな。カーネリアンだ!」
「……あの猫みたいな色だね」
レンの目が、流木にちょっかいを出して遊んでいるトピをちらりと見た。
「そうだね、トピのオレンジ色よりちょっと深い色だな。レンもそのうち仲良くなれるだろ」
「どうでもいい」
口調と裏腹に、レンは複雑そうな表情を浮かべている。
とっさに、コハルの口から言葉が飛び出した。
「でも、トピもタネリも、レンのこと、好きだよ!」
レンと2匹が、時々、お互いの様子を何となくうかがっているのは見ていればわかる。
「うそだ。近寄ってこないし」
「だって、レン、あの子たちを怖がってる」
「……」
レンはタネリを見つめたまま、ぴたりと動きを止めた。
タネリやトピが近くに寄ってくると、こんなふうにレンは固まってしまう。
まるで、慣れなくて小さくてやわらかくて大事なものを、壊したくないみたいに。
でも、レンの気持ちが、少し分かるような気がする。
コハルは隣のあたたかくてやわらかいエイナルの気配から、じり、とわずかに距離を取る。
どうしてだろう。胸が痛い。
そのエイナルは、のどかに笑っている。
レンの肩を、何でもないように軽く叩いた。
「ま、せっかくカーネリアンを見つけたしな。それ、『勇気の石』って言われてるんだ。持っていればいいことあるかもよ」
ほがらかに言いながら、両手を握って気合いを入れる。
「さて!コハル、俺たちも頑張って見つけようか」
「うん、見つけたい」
「波打ち際の細かい砂よりちょっと奥まった部分。ほら、ここ。小さな粒石が集まって帯になってるだろ。そこを集中的に探すんだ」
「わかった」
コハルは意気込んでうなずく。
腰をかがめて、丹念に石を見ていく。
かつても海辺に暮らしていた。けれど、こんなふうにじっくり浜を眺めたことはない。
海は、生きるために食べ物をとる場所。生きるために天気を見通す場所。ただそれだけだった。
宝物のある海は、初めてだ。
海岸の砂と同じような、白茶けた石が多い。
その中に混じって、茶色や緑、ピンクや青みがかったものもある。
透き通ったりはしていない。ただの石だ。
けれど、どれもやわらかい色合いが良い。宝石でなくても、特別な感じがする。
コハルは気に入った色の小さな石を次々を拾って、手のひらの中に大切に落としていった。
いつかここを離れることになっても、これは持っていきたい気がする。
この街には身ひとつで流れてきた。また、身ひとつでどこかに流れていくのかもしれないと思う。
それまでは、せめて思い切り、エイナルと灯台の役に立ちたい。こんなにすてきで色あざやかな、夢みたいな毎日をくれるお礼に。
「あ」
小さな黄色いものが、目に入った。取りあげる。軽い。陽にすかすと、透明な黄色が輝く。
「エイナル、これ!」
コハルは思わずはしゃいだ声をあげた。
エイナルがにこにこと手元を覗き込む。
「ああ、琥珀だね。よかったねぇ」
「こはく」
「これね、実は、元々は樹液なんだってさ。何千年も何万年もかけて地面の下で石になって、水に流されて、はるばるここまでやってきたんだ。だから『幸運の石』って呼ばれてる」
「幸運の石」
コハルは、エイナルの言葉の意味を、頭の中で噛み締める。
——偶然、変化して。偶然、流されて。偶然、ここに着いた。
ちょっとだけ、自分みたいだ。こんなに美しくはなれないけれど。
これが幸運のかたまりなら。そのおすそわけの幸せが舞い降りたりしないだろうか。
「幸運」
ここにずっとずっといられたらいいな、と、最高に幸せな夢みたいなことを、思ってしまう。
言葉を覚えてエイナルとおしゃべりしてみたかった。
灯台の家のメイドになってエイナルの役に立ちたかった。
どんどん叶ってしまった。
あとは、あとは、どうしたらいい?
なにをすればいい?
ずっと、エイナルの笑顔を見ていたい。ずっと、エイナルの声を聞いていたい。
ずっと、そばにいられたら。ほかには、なんにもいらないのに。
そんな気持ちは、石ごと握りしめて、見なかったことにした。
やさしいやさしいエイナルのそばに、近寄りすぎたら、いけない。
エイナルやヴィッレの善意に、いつまでも甘えていいと思っちゃいけない。
何が起こるか、分からない。
ずっと、は、すてきだ。
ずっと、は、うそだ。
海に流されたあの夜みたいに、人さらいにさらわれたあの時みたいに、日常が壊れるのなんて、ほんの一瞬だ。
「コハル?」
心配そうに、エイナルが呼んでいる。
コハルは笑って、立ち上がった。
結局、それ以上の琥珀はもう、探さなかった。
たったひとつ、すてきな夢を見られただけで、もう、じゅうぶんだ。




