(3-5)
「まもなくコンテスト始まりまーす、もう少々お待ちをー!」
ステージの上から男が叫ぶ。それだけで、満杯の観客席は拍手や指笛で沸いた。
庁舎前の大広場。祭りのステージに、今は、長机と椅子が4個、並べられている。コハルとエイナルがランチを食べていた時には、楽師たちがバイオリンをにぎやかに奏でていた場所だ。
ステージの後ろには、大きな横看板が飾られていた。
「ことしはだれがいきのこる、せいしをかけたさばいばる、しゅごうなんばーわんけっていせん」
なんだか物騒な文字を、コハルは小さく読み上げる。
「さばいばる……?しゅごう……?」
「酒のんで誰が一番強いかサクッと決めようぜぇ!ってやつだよ」
隣に座っていたカンナが、ケラケラと笑った。
さっき、エイナルと一緒に大広場に戻ってきたら、同僚メイドのカンナが声をかけてくれたのだ。
もともと、カンナも午後から祭りに行きたいから、仕事は休みだと言っていた。その上、きっとコハルはこのコンテストを見にくるだろうと予想していたらしい。自分の隣に、コハルが座る分の席を取っておいてくれた。
「ぶっちゃけ、この街ってさ、荒っぽい漁師とか船乗りとか、わんさかいるっしょ。腕っぷし自慢の男のケンカもめちゃ多いのよ。だいたいそういうのって酒場で起きるじゃん? 殴り合うより、酒で勝負をキメようぜ!ってのが昔からのやり方でさぁ。めちゃイケてるでしょ」
そういうカンナも漁師の娘だ。黙っていれば、かなりの美人だ。淡い金髪に、明るく輝く灰色の瞳。コハルよりひとつ年下の17歳。給金がいい仕事をしたくて、領主館のメイドをしているらしい。コハルと一緒に、屋敷の清掃を担当している。
「お酒……? いっぱいのむ……? さばいばる……?」
コハルは聞きながら看板を読み返して、ひどく不安になる。
エイナルが酒を飲んでいるところを一度も見たことがない。そもそも、誰かと争う姿が想像できない。参加するのも本当は乗り気そうじゃなかった。
手元の花束を握り締めそうになって、はっとして力を抜く。
「ぶっちゃけ、大丈夫……?」
「あー、大丈夫だって! 悪酔いしないように煎じ薬を飲むし。あそこの白いテントに、医者がいる。うちの館の執事さんと家政婦長さんも目ギラギラで待ちかまえてるし。安心して楽しく応援しよ!」
サバサバとした笑顔で、ぽんぽんっと軽く膝を叩かれる。
「ほら、はじまるよ!」
ステージに男が軽やかに駆け上がってきた。大きな良く通る声で、その場を仕切り出す。
「さぁ、皆様お待たせしました!本日最大のイベントのスタートです。勝利をつかむのは一体誰なのか! 挑戦するのは街にその名を轟かす4人の酒豪たち。エントリーナンバー1番、漁師のクスタ!!」
大歓声の中で、日に焼けた男が登場する。いかにも漁師らしく、バンダナをきりりと頭に巻いている。
ガッツポーズで椅子に座ると、目の前の小さなグラスにあった緑色のどろどろした液体をくいっとあおった。とたんに、とっても不味そうな顔になる。その顔に、客席から拍手とともに笑いが巻き起こった。
「ほら、あれ飲んどきゃ大丈夫。しかも、おかわり薬ボトルもおいてあるでしょ。ね?」
肩をツンツンとつつかれて、カンナが耳打ちしてくれる。気が気じゃないまま、コハルはうなずく。
「続いて、エントリーナンバー2番、灯台守のエイナル!! さあ、去年のチャンピオンの登場だ!」
エイナルの姿が見えたとたん、どっと客席が盛り上がる。さっきまでのすてきな帽子もジャケットも脱いでいて、いつも通りの白シャツ、黒パンツ姿だ。
いつもどおりの穏やかな顔で、するりと腰かける。
水でも飲むように薬汁を飲み、そのまま顔色ひとつ変えずにグラスを元に戻した。それだけで、また客席から指笛がいくつも響く。
「ちゃんぴおん……?」
「そそ。去年勝ったの。見ててみ? エイナル、めちゃつよだから」
「さぁ、残りのふたりは皆さまお待ちかね!エントリーナンバー3番、我らが領主のヤーコブさん!!そして4番、ヴィッレの若旦那!」
キャァぁぁ、と黄色い女性の声があちこちから沸いてくる。連れ立って、ふたりが登場した。
「ご主人さまー!若旦那ー!!」
カンナがここぞとばかりに楽しそうに叫んでいる。領主親子はそろって顔がいい。顔が良すぎて、街の雑貨屋で姿絵が売られていたりする。人気商品らしい。
壇上のヤーコブは40代半ばに見えない若々しさで手を振って、息子のヴィッレは爽やかな笑顔を惜しげもなく振りまいている。
でも、コハルにはそんなことよりエイナルだ。雇ってくれた恩人一家にとても申し訳ないけれど、エイナルばかりが目に入る。ヤーコブに何かをささやかれて、軽く笑顔を見せている。余裕がありそうに見えて、少しホッとする。
脇に控えていた給仕役が、薬汁の入っていた小さなコップに、透明な酒をそのまま注いでいく。見るからに強そうな酒だった。
4人はコップを手に取った。立ち上がる。司会がひときわ声を張り上げる。
「さて、皆さんそれではご唱和を!声高らかに歌いましょう!」
コハル以外の会場の人たちが、いっせいに歌い始める。
『みんなみんな歌えよ飲めよ!あわててこぼすな陽気に乾杯!幸せまるまるぐいっと乾杯!』
4人がくいっと酒を喉に流し込む。客席からも瓶を打ち合わせる音があちこちから聞こえてくる。ビール瓶を持ち込んで、勝手に一緒に楽しく飲んでいる人たちが相当いるようだ。
空のグラスを客席に掲げて見せる漁師。手を振る領主親子。エイナルは何もせず、静かに席に着く。再び酒が注がれる。みんなで歌って飲み干す。それが何度も何度もくり返される。
『みんなみんな歌えよ飲めよ!あわててこぼすな陽気に乾杯!幸せまるまるぐいっと乾杯!』
7杯目を飲み終わった時だった。
領主のヤーコブが高々とコップを宙に差し出した。それからテーブルに置いて、両手をあげる。その顔がうっすらと赤くなっている。
「おっと、ご領主はここでリタイアだ!さすがヤーコブ、引き際も男前だー!」
野太い声と黄色い声がいっせいに弾ける。カンナも「かっこいいー!!」と声を上げてから、コハルに教えてくれた。
「酒に呑まれるのはめちゃかっこ悪いでしょ? だから、潰れないうちに負けを認める。それがルール。かっこいいいのは自分の限界を知ってるやつ!ね?」
エイナルは、笑顔でヤーコブに拍手を送っている。コハルも慌てて一生懸命に拍手をして、悠々と笑顔で退場する領主を見送った。
9杯目で、漁師のクスタがリタイヤした。
何度も両腕でガッツボースをしながら、真っ赤な顔で勢いよくステージ後ろの階段を駆け降りていき——がっちゃーんと何か大きな音がする。「あんたぁ、ほらちゃんと立って!しっかりしなさいよ!」女性の大きな声もする。
「おおーっと、クスタ、ステージ裏で奥さんと熱い抱擁をかわしてます。ラーブラブだぁー!」
客席がゲラゲラと沸く。勝手に乾杯する声があちこちから響く。
「さあ、残るはエイナルとヴィッレ。どちらが勝つのでしょうか!」
12杯目を飲み干した時だ。
座ったエイナルが、ひとつ離れた席にゆっくり座ったヴィッレの顔をうかがう。すぐに立ち上がった。
落ち着いた動作で、飲み薬のボトルを引き寄せると、ヴィッレの口に押し当てる。ひとくち飲ませて、小声で話しかける。
「水!」
鋭い声で、ステージ裏に呼びかける。すぐに運ばれてきた水と薬を交互に何度か飲ませる。
また小声で何か話す。それから、苦笑いでヴィッレの肩を小突いた。
「お前、さすがに飲み過ぎだろ」
へにょりと顔をゆるませて、ヴィッレが座ったまま、大きく降参の両手を上げた。
司会が、すかさず大声で宣言する。
「……勝者、エイナル!! 我らが頼れる灯台守!2連覇達成です!」
一瞬おいて、その日一番の歓声に広場がどっと包まれた。みんな口々に叫んでいる。
「エイナルー!今年もおめでとうー!」
「俺も介抱してー!惚れるー!」
様々な声がかけられる。エイナルは困ったように少しだけ笑って、いつもの挨拶のように軽く片手をあげた。
ふらりと立ち上がったヴィッレの腕を抱え、肩を貸す。ゆったりと確かな足取りで、ステージを降りていく。
「コハル?!」
いてもたってもいられず、コハルは立ち上がった。カンナの声を背中に置き去りにして、走った。
医者がいるという白いテントに向かって走る。人が多くてなかなか思うように進まない。それでもなんとかたどり着いた。中をのぞく。
たくさんの人がいた。ヴィッレがひっくり返ってベッドに寝ている。けれど、笑って話している。大丈夫そうだ。
エイナルがいない。コハルは身を翻す。胸がドキンドキンと嫌な音を立てている。コンテストを見ている時から、ずっとそんな音がしている。ひどくなる一方だ。
テントの裏に回る。
——いた。
大きな背中が見える。おでこに手を当てて、ぼうっと突っ立っている。
「エイナル!」
「コハル?」
不思議そうに振り返る。そのエイナルの眉間が、険しく見えた。顔色が、いつもより青白い気がする。
でも、コハルを見つけたとたん。
いつもみたいな、ふんわりとやさしい笑顔が広がった。
コハルは急に泣きたくなる。
「エイナル!大丈夫?!」
「探してくれたの?」
包み込むような、あの声がする。コハルの方に歩いてこようとした足が、ふらついた。そのまま、どすんと尻もちをつく。
「はは。今ごろ足にきたな。気が抜けたかな」
笑いごとじゃなかった。青ざめたコハルは白テントにとってかえす。入り口近くにおいてあった瓶を2本、ひっつかんでエイナルの元に急いで戻った。
「これ!」
「ああ、酔いざましの煎じ薬、持ってきてくれたんだ。助かる」
コンテストの時にも飲んでいた緑の液体だ。ごくごくと瓶の半分ほど一気に飲み下してから、エイナルは、盛大に顔をしかめた。
「まっずい!」
急いで水の入っている瓶も受け取る。こちらは一気に1本飲み切った。
「はぁ。何度飲んでも不味い。苦くて渋い葉をそのままドロドロにして飲まされてる感じでさ。良薬口に苦しとはよく言ったもんだ」
地面に足を投げ出したまま、エイナルはぼやく。コハルは座り込んで、その顔をまじまじと眺める。どんな不調の影も何も見落とさないように。
酔いの回ったエイナルは、しばらくそのままぼんやりコハルの顔を見返していた。青白かった顔が、少しずつ、色を取り戻してくる。目に力が戻ってくる。
ふいに、その眉が、悲しそうにじんわり下がった。
「怖い思いをさせてごめんね」
「こわい……?」
コハルはとまどった。こわい、って、今の自分のこの気持ちのことを言うのだろうか。よくわからない。わからないけれど。
エイナルのことが心配で心配で、どうしようもない。
「飲み競争をしている間ずっと、心配そうに見ていてくれたよね。ごめんね。でも、あれだけたくさんの人がいて、そんなふうに必死に心配してくれていたのは、コハルだけだった」
エイナルは、コハルの手の甲に、ぽんっと自分の手を重ねた。頭を下げる。
「もう、俺、うれしくてさぁ。正直、酒に酔ってる場合じゃなかったな。本当に、ありがとう」
その手がじんわりあたたかい。エイナルの手だ、と、コハルは思う。大きくて、とてもやさしい。
くるりと自分の手をひっくり返して、大きな手を握る。
「エイナル、歩けそう?」
「うん、そうだね。もう大丈夫」
コハルは立ち上がって、エイナルの手を引っ張った。うれしそうに笑ったエイナルが、よいしょっと立ち上がる。
白テントに預けてあったエイナルの帽子とジャケットを回収し、コハルは大事な花束を片手に抱えて——
そのまま、なんとなく、手をつないだまま。
ふたりは、灯台に帰っていった。




