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 寒川はハッとした。

 最初に、椿姫に振袖を預けたときだ。きっとその際に、振袖を検分したのだろう。あの時から椿姫は、この振袖がどういうものかある程度予想がついていたのだ。

 店主はもう視線も合わせない。彼も知っていたのかもしれない。


「数年前に廃爵した、梅野原家のもののようですね。どのような経緯でこちらに渡ったのか、教えていただいても? 実害が出ているのです。もちろん、口外はいたしません」


 椿姫はちらりと、寒川と柴に顔を向けた。警察が絡んでいることを言外に示しているのだ。

 いいように利用されている気がする。しかし、振袖の経緯、この縁の先が気になるので、黙って頷く。

 店主は根負けしたようだった。かくんと肩を落とす。


「……こちらは、梅野原の奥方様がお持ちになりました。不要になったから、と。生地も良く、縫合も丁寧で、貸衣装として需要があると判断しました。断る理由はありませんでした。廃爵になる少し前の頃だったでしょうか」

「なるほど。娘にとっては人生で一度の特別な晴れ着だったが、親にとっては金になるただの道具に過ぎなかったということだな」


 寒川は苦い気持ちになる。

 男だから関わることはないが、それでも振袖は女性にとって一生に一度の宝物だということは分かる。綾子が言っていた、夢で見た幸せそうな女性が薫なら、間違いない。

 それを、金持ちの老人に嫁がせる道具とし、薫が亡くなれば金を得る道具とした。

 薫の無念は計り知れない。

 

「その話が本当だとしたら、取り憑いてはいなくても、お嬢さんの恨みは随分溜まってそうですね。やはり一度、神社で供養した方がいいのではないですか?」


 純粋な意見だったのだろう。柴がなんとなくそう提案した瞬間、椿姫の口角がくっと上がったのを、寒川は見逃さなかった。とってこいが上手くできた犬を褒めるように、柴に向かって鮮やかに笑いかけた。


「いいえ、彼はこの振袖が必要とおっしゃいました。それも何かの縁。店主は、この振袖を大切にしてくれます。きっと、振袖と深い繋がりができることでしょう」

「そういうものですか……」

「ひぃぃぃっ」


 店主はとうとう悲鳴をあげた。熱いものでも触った反射のように、振袖を投げ飛ばす。

 宙を舞った振袖は、椿姫の腕の中に吸い込まれた。


「いかがなさいましたか」

「き、気が変わりました! どうぞ、神社にお納めください! その娘さんを、丁寧に供養して差し上げてください! そしたら、呪いはなくなるんですよね!?」

「はい。しかるべき対応をいたします」


 受け取った振袖を手の中で丁寧に折り畳み、椿姫は軽く頭を下げた。

 振袖を持ってさっさと出ていって欲しいという店主の願い通り、それ以上は粘ることなく店を出た。

 寒川は感心して、振袖を抱えた椿姫を見やる。


「意外と強引なところもあるんだな」

「何か問題がございますか?」

「いや。あれも、縁切りの儀式なのか?」


 寒川は、振袖に残っていた一本の糸を思い出す。赤黒くて太い、気持ちの悪い糸だった。

 もしかしたらあれは、儲けにがめつそうなあの店主との悪縁だったのかもしれない。

 そう予想したのだが、椿姫は首を振った。


「まさか。店主と振袖は繋がっていません。あれはただの交渉です。振袖を得るために必要な、いわば前座みたいなものです」

「前座……ですか?」

「振袖の縁が繋ぐ先を見たいのでしょう? そのためには、この振袖が必要でした」


 つまり、金を一文も使うことなく、高価な振袖を手に入れたのだ。やや脅しがかってはいたが、嘘はなかった。

 その手腕には、脱帽する他ない。


「末恐ろしい女だな」

「何か問題がございますか?」

「いいや? 嫌いじゃない」


 椿姫は、ゆるりと目を細めた。紅を引いた唇が満足気に、艶めかしく弧を描く。

 無意識に喉仏が上下したのを誤魔化すように、慌てて口を開いた。


「それで、次はどこに行くんだ? 先程の話からすると、振袖にはまだ縁が繋がっているんだろう?」

「はい。縁が繋ぐ方、梅野原薫様の元婚約者に」

「……それは、島永男爵のことか?」

「いいえ。振袖に取り憑いていた男のことです」


 そう言って、縁を結んだ右手をするりとさすった。



「ずっと気になっていました。資産家である島永男爵ないしは華族である梅野原家が、この振袖を仕立てるでしょうか」

「と、いうと?」


 椿姫と寒川、柴は同じ人力車に乗っていた。

 年頃の男女が狭い空間で同席するのは如何なものかと苦言を呈したが、「ならば説明する時間はないので、黙ってついてきてください」と言われてしまう。寒川は渋々、椿姫を間に挟み、人力車に乗り込んだ。柴は気にしていないようである。

 暗くなってきているとはいえ、電燈が点いていてある程度の明るさは保たれている。幌を下ろしたので、顔はどうにか隠せていると信じたい。

 椿姫は周囲の目など気にした様子もなく、推理を続ける。


「こちらの生地は上等なものではありますが、昨日も申し上げたように恐らく木綿の朱子織です。絹を使用した振袖からは、ワンランク落ちます。華族であれば、わざわざこの生地は選ばないでしょう」


 上等ではあるが、最上級の絹ではない。だからこそ、貸衣装屋は()()()()()と言ったのだ。絹を使用した着物を利用できる層は、あまり貸衣装屋を利用しない。上質な木綿の振袖は、貸衣装屋に来るような客層にはちょうどよかったのだ。


「だが、梅野原家は困窮していた。それが限界だったんじゃないのか」

「相手は資産家の華族ですよ。多少は見栄を張ってでも、絹を織り交ぜるくらいはすると思います。反対に島永男爵も、薫様を娶る対価として融資を約束していたのであれば、梅野原家が困窮していたのは承知のはず。婚礼衣装のひとつくらい、誂えて然るべきでしょう」

「ふむ……」

「なので、もうひとつの可能性を考えました。薫様は元々、別の方に嫁ぐ予定だったのではないだろうか、と」

「なんだと?」


 寒川は眉をぴくりと動かし、反応する。

 振袖は、島永男爵に嫁ぐために誂えられたものではなく、別の婚約者に嫁ぐ予定で用意されたものだったのではないか。そしてその相手は、男爵には劣る地位であり、しかし上等な木綿の振袖を誂える程度には金のある人物だ。

 だが振袖も用意した後で、梅野原家に思わぬ縁談が舞い込む。資産家で有名な島永男爵との結婚だった。金に困っていた梅野原家は、一も二もなく飛びついただろう。


「振袖には、梅野原家の家紋が刺繍してありました。綾子様が見た、女性が振袖を縫っていたというのは、この刺繍の事ではないでしょうか。振袖を贈る段階になるほど、婚約は確実だった。しかし、途中で入ってきた島永男爵との縁談で、その婚約はあっさり反故にされてしまう」

「そんな……あまりに酷すぎるじゃないですか」

「であれば、木綿の振袖であることも、振袖に男が取り憑いていたことも、説明がつくのですよ」


 元婚約者は、婚約破棄に物申せる地位ではなかった。だから、思い出のある振袖に取り憑いた。そして意図はしていないが、その振袖を着て幸せな縁談を組もうとした綾子を悪縁で呪ってしまう。

 そう考えると、全ての事象の辻褄が合う。


「これはあくまでも想像に過ぎません。真実は、本人の口から聞くことにしましょう」

「え……幽霊と話せるんですか?」

「どうして幽霊が出てくるのです?」

「だって、振袖に取り憑いていた男って……」

「生きてますよ。でなければ、縁は繋がりません」

「ということは……生霊……?」


 柴の顔がさぁっと青ざめる。誰かにすがりつきたいようだったが、隣には椿姫しかいない。流石の柴でも理性が働いたらしく、自分の身を抱きしめるに留めた。

 椿姫は無視して、前を見据える。


「さぁ、もうすぐ着きますよ。あ、そこを左にお願いします」


 椿姫が車夫に指示しながら到着した場所は、木造の建築が並ぶ住宅街だった。椿姫は時折右手を擦りながら、迷いのない足取りでひとつの家の前にたどり着いた。

 表札には、『倉田』と書かれている。どこかで見たことのある名前だが、何だったか思い出せない。ありがちといえばありがちな苗字だ。


 今回は寒川に頼ることなく、椿姫が戸を叩く。暫くして、ゆっくりと戸が開かれる。

 中から男がひとり、顔を出した。 

 その男は、まるで魂を半分失ったような雰囲気を纏っていた。目は落ちくぼみ、隈ができている。髪は四方八方に広がり、髭も生え放題だ。まともに手入れをしていないのか、肌はくすみ荒れている。

 若者のようにも、老人のようにも見えた。

 幽鬼のような足取りで、玄関から出てくる。


 正面に立つ椿姫の顔、その背後に立つ寒川と柴の顔を順に見て、投げやりな口調で問いかけた。


「なにか用っすか……?」

「夜分に失礼します。倉田様でしょうか。お見せしたいものがございまして、お訪ねしました」


 椿姫は焦点の合わない男の視線に合わせるように、振袖を持ち上げた。

 

 男がその振袖を認めた瞬間。

 

 虚ろだった男の目に光が差した。今までの覇気のない様子からは想像できないほど、俊敏な動きで椿姫に掴みかかった。

 油断していたこともあり、寒川も柴も動きが遅れた。

 男が椿姫の胸襟を両手でキツく掴んで揺さぶる。一拍遅れて、寒川と柴が同時に引き剥がした。すると簡単によろめき、地面に尻餅をついてしまう。うぅ、と呻き声が聞こえた。


「すまない、大丈夫か」

「どうもありがとう。大丈夫です」


 すました表情で衿元を直す椿姫に、ほっと息を吐く。人間離れしたただならぬ雰囲気を持ってはいるが、それでも椿姫は一般の女性なのだ。危険や暴力から守らねば、警察でいる意味がない。

 寒川は椿姫を庇うように、前に立つ。次はすぐに対応できるよう、サーベルに手をかける。 

 男は寒川の圧に怯むが一瞬のことで、眼光を鋭くして椿姫を睨みあげる。


「その振袖を、何故アンタが持っている!? それは俺が、薫にあげたものだ!」


 喚きながら再び椿姫に掴みかかろうとするので、柴が取り押さえる。

 人気が減ってくる夕刻のため、男の声は静寂の空間によく響いた。住宅街なこともあり、近所の人間がなんだなんだと顔を出し始める。


「やはり、見覚えがありましたか。この振袖は、貸衣装屋にございました」

「貸衣装屋だとっ……?」

「先程あなたは、薫様にあげたものだとおっしゃいましたね。詳しくお聞かせ願えますか。真実と分かれば、振袖はお返ししましょう」


 男は訝しげに椿姫と振袖を見比べる。真偽を疑っているのだろう。しばらく逡巡したのち、男の視線は寒川と柴に向けられた。警察が立ち会っていることで一定の信頼は置けると判断したのか、小さく頷いた。


「よろしい。ここでは目立ちますね。中に入れていただけますか」


 やはり強引だ。有無を言わせない口調に気圧され、男はすごすごと家の中へと引っ込み、珍客を招いたのだった。

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