伍
「調べてきていただけましたか」
翌日の夕刻五時。紙縒神社に向かうと、椿姫は既に鳥居の下に立っていた。参拝時間終了の立て看板があることから、丁度これを出したところだったらしい。
「調べてきました……こちらが、調査結果です」
柴はフラフラになりながら、椿姫に調査報告書を渡す。隈が酷い。ほぼ寝ずに調べあげたのだ。
もちろん、寒川は宣言したとおりに、大して手を貸していない。勤務時間中のみ手伝い、夜はしっかりと寝た。
椿姫は調査報告書を受け取り、目を落とした。
我慢できずに、寒川は訊ねる。
「なぜ、この家紋を持つ家を調べてほしいなどと? 捩じ梅に五角形の家紋……この辺りでは、梅野原家しかいなかった。しかし梅野原家は……」
椿姫が、「追加料金の対価」として二人に渡した紙には、梅鉢の家紋が書かれていた。この家紋を持つ家がこの辺りにいないか探してほしい。そして家族構成と、周囲の繋がりについても分かる範囲で構わないので調べてほしい、との依頼だった。
理由も目的も分からないまま調査したところによると、椿姫が書いた梅鉢の家紋を持つのは梅野原家という華族で、すでに数年前に没落していた。所謂、貧乏華族の類で、ろくな資産はなくその日暮らしの生活だったようだ。
このご時世、そういった華族は珍しくない。現実的な思考のある華族は、職に就いて金を工面するなど、なんとか生き延びる手段を模索している。しかし爵位に縋り付く華族ももちろんいて、そういった華族は体面ばかりに気をやり働くこともなく、日常生活はかなり困窮しているというのが現実である。
寒川の質問に答えることなく、椿姫は書類を読み進める。そしてある一点で、目を止めた。
「ああやはり、お嬢様がいらっしゃったのですね」
名を、梅野原薫。既に亡くなっているようで、享年十五歳との記録がある。随分と若い。
「そうみたいですね。資産家の島永男爵との婚約も決まっていたようですが、その前に亡くなってしまったそうです」
「待て、島永男爵だと? 彼は今、六十歳だぞ。当時でも五十七、八歳だろう」
柴は痛ましい表情を浮かべた。
十五歳の少女が、五十五歳過ぎの男の元に嫁ぐ。
年齢差のある結婚は、華族ではそうおかしな話でもない。家同士の繋がり強化のためであったり、資産家に嫁ぐことで家の立て直しを図ったりと、様々な思惑が錯綜するものだ。
その犠牲になるのはいつだって、若い娘である。
梅野原家は、生活に困窮していたという。娘を資産家にやることで、金の工面を目論んだのではないだろうか。
しかし、頼みの綱であった薫は、結婚する前に亡くなる。結果、梅野原家はそのまま廃爵、没落してしまった。
「まさかその振袖は、梅野原薫さんのもの……? 結婚を楽しみに振袖を縫っていたけれど、決まったのはお爺さんとも言えるほどの男。彼女は絶望し、死をもって抗議する。そして、振袖に取り憑き、幸せそうな娘を同じ目に遭わせようとしている、とか!」
「半分正解で、半分外れでしょうね」
「ええっ」
探偵さながらの得意顔で推理を披露した柴だったが、椿姫は視線をやることすらせずに一刀両断する。
「一体、どこが外れですか?」
椿姫は鬱陶しそうに眉を寄せ、最後の頁を読み終わったのか資料を閉じる。そのまま、今も騒ぐ柴の口元に押し付けた。ぱしんと子気味のいい音がする。
柴は物理的に口を閉じるしかなく、ぱちりと目を瞬いて、押し付けられた資料を掴む。
「お返しします」
「もういいのか?」
「はい、必要な情報は得られました。行きましょう。車は用意していただけていますね?」
「昨日と同じく、大通りにつけてある」
椿姫は頷き、寒川が先導して大通りへと足を向ける。
「っは、待ってくださいよ、椿姫さん! 一体どこが外れですか!?」
「しつこいな」
「構いません。歩きながらお話しします」
我に返った柴が柴が追いつくのを待って、椿姫は口を開いた。人差し指を立てる。
「ひとつ。振袖に取り憑いていたのは、梅野原薫様ではありません」
「……どうして、そんなことが分かるんですか?」
「今朝、矢神神社に確認しに行きました。祓う際に、何かみえたか――と」
ここでもまた矢神神社が出てくるのか。椿姫は以前から矢神神社の禰宜を知っているようだったし、神社同士の繋がりでもあるのだろうか。
柴は続きが気になるのか、ごくりと喉を鳴らす。
「男だったそうです。面識はないようで、その人物の特定まではできませんでした」
「男?」
「男だと?」
柴も寒川も、頓狂な声を上げる。
いったいどういう経緯で、婚礼衣装の振袖に男の霊が憑くのか。
柴は何か思い当たったのか、ぽんと手を叩いた。
「あ、じゃあ、その男性は島永男爵ではないですか? 迎える予定だった薫さんが亡くなって、悲しみが恨みに変わって……とか」
「島永男爵はまだご存命だ」
「うーん、そっかぁ……」
「生霊という可能性もありますよ」
椿姫が実にあっさりとした口調で言う。
途端に、ぴしりと二人の空気が固まる。背筋に氷でも詰められたような心地だ。なんて恐ろしいことを、普通の顔をして言うのか。
「ですが、振袖に憑いていた男はまだ若かったそうです。生霊だとしても、島永男爵ではないでしょうね」
「じゃあ、取り憑いていた若い男というのは、一体――」
どこから来て、一体何者なのか。
それっきり、何も浮かばなかったのか柴は黙りこくる。
今日はやけに探偵ぶりがやかましいなと思ったが、もしかしたら恐怖を紛らわそうとしているのかもしれない。
昨日も、振袖に何か憑いていたと聞いて、怖がっていた。怪事件捜査係にいながら、幽霊が怖いとは致命的である。
「どこに行くんだ?」
「まずは、貸衣装屋に行きます」
なぜ、とは尋ねなかった。
寒川や柴には見えていないものが、椿姫には見えているのだ。大人しくついて行き、成り行きを見守るのが得策だと判断した。
そういえば、梅鉢の家紋はどこから知り得たのだろうか。
◆
綾子が利用したという貸衣装屋は、小野屋からほど近い場所に建っていた。
すでに閉店の時間だったのか、暖簾は下げられ、扉は閉まっている。気配は感じるので、中に人はいるようだ。
椿姫はその扉を叩くことなく、寒川をじっと見上げる。お前が行け、ということらしい。
ぴくりと眉を跳ね上げつつも、寒川はその視線に従う。
扉をゴンゴンと叩き、返事が聞こえる前に開ける。不躾な来訪に、中から怒鳴り声が響いた。
「おい! 閉店しているのがわからな、いの……か?」
入ってきた人物を認め、怒りに顔を染めていた店主は、だんだん尻すぼみになる。しまった、というように口が歪んだ。
中にいた店主は、白髪混じりの中年男性だった。片付けをしていたのか、手には着物が抱えられている。
寒川は動じず、ずかずかと店内に踏み込んでいった。店主の前に、警察手帳を掲げる。
「失礼する。東京警視庁の者だ」
「は、はぁ……失礼しやした。まさか警察の方がお越しになるとは。……あの、いったいどういうご要件で? うちは、警察にご厄介になるような商売はしとらんつもりですが」
寒川の威圧に怖気付いたのか、しきりに汗を拭きながら愛想笑いを浮かべる。
「以前、小野屋の人間がこちらを利用しただろう。振袖の延滞料金について、言伝を預かってな」
「あぁ、確かに。そろそろ催促に行こうと思ってたところでしてね。しかし、なぜ警察の方が?」
店主との会話するきっかけは掴んだ。あとは椿姫が上手いように持っていくだろう。
ちらりと椿姫に視線をやれば、心得た顔でしっかりと頷いた。期待通りの対応ができたらしい。
「小野様は、延滞した分の料金は支払うとおっしゃっております。ですが、直ぐにはこちらに来られない事情がございまして。そのため証人として、小野様の代わりに彼ら警察が同行した次第でございます」
「はぁ……料金を支払ってくれるなら、そりゃ構いませんが……」
胡乱げな目で、椿姫を見る。明らかに警察ではない、派手な格好をしたこの女は何者かと、言いたげである。
「お代を払う前に、確認したいことがございます。店主は、この振袖の来歴をご存知でしたか?」
「は? いや……お恥ずかしながら、全く。そんな由緒正しいもんなんですか?」
「では、お話しますね」
椿姫は、小野綾子に降りかかった悲劇をそのまま話す。しかし、梅鉢の家紋については触れなかった。
あらましを聞いた店主は、変な顔をする。想像していた「来歴」とは異なっていたのかもしれない。
「そりゃあ災難でしたなぁ。しかしねぇ……こちらもそんな曰くのもんだとは知りませんでしたし。これでも何か罪になるんでしょうか? 延滞料金の請求は違法とか?」
眉を寄せた店主は、椿姫ではなく寒川と柴の方を見あげた。応じたのは柴だった。
「いいえ、ご存知なかったのであれば、罪には問われません。延滞料金の請求も正当でしょう」
「そうですか! では……」
柴の回答に安心したのか、破顔して振袖を受け取ろうとする。椿姫は返す素振りを見せず、淡々と口を開いた。
「とはいえ、こちらの振袖に問題があるのは事実です。今後も同じことが起こるでしょう。床に伏せるだけでなく、次は命が奪われるやも。どうでしょう、こちらの振袖を、神社にお納めする気はございませんか」
その提案に驚愕したのか、店主の瞳は大きく見開かれる。視線は揺れ、考えあぐねているようにも思う。
この話を聞いて、それでも貸し出しを続けるとなれば、多少の人死には容認していると言っているようなものだ。かといって神社に引き渡してしまえば、高価な商売道具を失ってしまう。
警察を前にして、迂闊なことは口にできない。店主は真面目くさった顔で言った。
「ご事情はよく分かりやした。小野様の娘さんにも、申し訳ないことをしました。しかしねぇ……こちらもカツカツの商売でして。見ての通り、上等な振袖にございます。そのお話の通りであれば貸し出すのは心苦しくはありますが、このまま神社にお渡しするのもねぇ……」
「そうですか。では、お返しします」
「いいのか?」
寒川は目を丸くした。
椿姫は実にあっさりと、振袖を店主に返したのだ。
「強制的に引き取るわけにはまいりませんので。これも何かの縁でしょう」
「そりゃあ、どうも……」
「ですが、わたくしはきちんと、こちらの振袖に関する来歴をお話しました」
「は」
「次回以降、こちらの振袖を貸し出しする場合は、"知らなかった"は通用しないことを覚えておいてください。知らないことを伝えないのは罪になりませんが、知っていることを故意に伝えないのは、罪になります」
「は……いや……」
途端、店主の額に再び脂汗が滲み出る。一時は落ち着いていたというのに、またしきりに汗を拭き出す。心做しか、顔色も青ざめている。
椿姫はたたみかけるように、言葉を続ける。
「せっかくですので、ひとつ教えてください。この振袖は、なかなか上等な木綿生地を使用されていますね。どちらから仕入れたものなのでしょうか」
「い、いやぁ、こちらも商売なんでね……守秘義務というのがございやして」
「守秘義務……ですか。でしたらもう少し、上手く隠した方がよろしかったですね」
「は?」
椿姫は振袖を広げた。そして見せつけるように、振袖の袖を持ち上げる。裏地も見えるようにひっくり返すと、一部が僅かだが毛羽立っているのが分かった。
「こちら、表地は入念に隠されていますが、裏地の処理が甘い。ここ。縫い跡が見えますね……梅鉢の家紋です」




