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あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

 寒川たちは約束の時間通り、車夫を呼んで紙縒神社の前に止まった。

 日が暮れ始めた空は、妖しく茜色に輝いていた。

 この時間帯のことを、「逢魔が時」と呼ぶのも頷ける気がする。


 カランコロン。下駄が石畳を蹴る子気味のいい音がして鳥居の方を見ると、椿姫が鳥居の前に「参拝時間終了」の立て看板を立てていた。漆黒の瞳とぱちりと目が合い、寒川は軽く頭を下げた。向こうも気付いたようで小さく頷くと、そのまま寒川たちが待つ場所へ歩いてきた。

 威風堂々とした椿姫が鳥居をくぐる姿は、神を俗世に引きずり下ろすような背徳感があった。 

 この日が落ちかけた空間でも、椿姫の真っ赤な千早は華やかだった。ついでに下駄も、真っ赤なちりめんの鼻緒だ。


「外に出るときもその格好なんだな」

「なにか問題が?」


 思わず出てしまった言葉を、椿姫はきちんと拾った。


「いや、問題はない。ただ、あまり巫女らしくないな」

「巫女は巫女服のみを着ろ、などという法律もありませんし」


 それはそうだ。


「椿姫さん、大通りに車夫を呼んであります。そこまでご足労願えますか?」

「もちろんです」


 椿姫は頷いて、抱えていた風呂敷を持ち直した。寒川たちが預けた振袖が入っている風呂敷だ。

 寒川はそれを受け取ろうとして、やめた。大通りまではそんなに距離もないし、何より中の振袖に触れるのが少し恐ろしかった。柴も言い出さないあたり、同じ気持ちなのだろう。

 なんとなく居心地が悪く、寒川は口を開いた。


「……その、振袖は持っていても平気なのか?」

「ええ、恐らく持っているだけでは繋がらないようです。現に、この振袖を持ってこられた柴様とは繋がっていないようですし。お話しを聞く限り、袖を通す必要があるか、もっと別の条件があるのでしょう。詳しくは、ご本人から聞かないことにはなんとも申し上げられませんが」

「条件が、あるのか」


 椿姫は、隣に並ぶ寒川を見上げた。


「縁というのは、繋がるべくして繋がるのです」

「よくわからないな」


 率直な感想を述べると、椿姫は少し考え込む仕草をした後、再び目線を上げた。


「例えば、寒川様はお仕事で関わった方全員と、今も連絡を取ったり、お会いしたりしていますか? 立ち寄ったお店の中で目に入った小物、触れてみた小物は、すべて手元にございますか?」

「いや、ないな」

「そうでしょう。ただ会っただけ、見ただけ、触れただけでは、縁が繋がるとは限りません。人に会い、何かの話の弾みで意気投合する。ふらりと立ち寄った店で、目に入り手に取り欲しいと思ったから購入する。そのような様々な要因を経て、繋がるべくして繋がるのが縁です。ですから、運命、とも言い換えられるのです」

「ほう」


 分かったような、分からないような、そんな心地で寒川は返事をした。

 小野綾子は、見合いに着ていく衣装を探していて、たまたま近所の貸衣装屋を利用することになり、置いてあった振袖を目にし、なんとなく惹かれて手に取った。なんの因果かその振袖を気に入り、袖を通し、お見合いに向かった。

 これらの行為のどれかひとつだけが縁を繋いだのではなく、一連の流れがすでに縁だったのだ。

 鶏が先か卵が先かみたいな問題か。


「言い得て妙ですね。その認識で十分かと。……所詮人間には、神々のおわす世界の理など、完全に理解することはできないのですから」

「神々のおわす世界……」


 神の住む世界など、存在するのだろうか。

 椿姫はあまりにも当然のように言うので、思わず納得してしまいそうになった。人智を超越した力は確かにこの目で見た。だからといって、様々な不可思議な現象を、「はいそうですか」と受け入れるのは難しい。寒川は、これまでの人生を人間だけの世界で生きてきたのだ。

 そんな寒川の考えなど見透かしたように、椿姫はくすりと口角を上げた。


「あら、お疑いですか?」

「見せてもらったあなたの力は、普通ではありえない。それは認めるし信じる。だが、人間が営む今の世界と別世界を信じるのは、また別の話だろう?」

「……寒川様は、この時間のことを『黄昏時』や『逢魔が時』と言うのをご存じですか?」

「……? それは、もちろん」

「誰そ彼時、魔と逢う時、という意味ですが、なにも適当に言い伝えられているわけではありません。わたくしたちが存在する時空と神々のおわす時空が歪み、重なるのです。だから、すれ違った相手が人間か確認するために『誰そ彼』と言い合うのも、相手が魔ではないと確信を得るためです」


 椿姫は両方の手のひらを上下に開いて見せて、そして合わせた。それぞれの時空を表しているらしい。

 ぱちんと響いた小気味よい音が、やけに耳に残った。

 

「そして、夕刻から深夜にかけて、神々の時空の存在が大きく強くなります。逆に言えば、人ならざる力を生業とする我々巫女や禰宜などの力が強くなるときでもありますね。もちろん、わたくしたちに限りませんよ。丑の刻参りなどが、人ならざるモノの力を借りようとする良い例です」

「……だから、今回夕刻を指定したのか」

「そういうわけでは。参拝時間中に門を閉めるわけにはいかないので。事前連絡もなしに閉めたら、売上と信用問題に関わります」


 椿姫の場合、信用よりも売上が大きな割合を占めていそうだ。神社のくせに、売上だの信用だのと、なんだか俗世くさい。

 

「その間に、小野綾子が死んだらどうするんだ。あのあと彼女の様子を見てきたが、さらに悪くなっている。かなり危険な状態だぞ」

「ああ、それについてはご安心を。綾子様の命は、()()大丈夫です」

「……は?」


 ひやりとした。

 小野綾子は、素人目に見ても、かなり危険な状態だ。食事もろくに摂れず、骨のかたちが分かるほどに痩せこけてしまっている。寒川が訪れた際には、息はか細くて目を開くこともなかった。寒川個人の所見でいえば、いつ死んでもおかしくない、というのが感想だ。

 だが椿姫はまるで、小野綾子が死なないのを確信している口ぶりではないか。さらに言えば、いつ死ぬかが分かっているような様子ですらある。

 人ならざる力を操る者は、人の命の終わりですら、計ることができるというのか。


「でもそうですね、綾子様が辛い状態であることに変わりはありませんね。急ぎましょう」


 カラコロと下駄の音がわずかに早まり、大通りに出た。

 歩道に沿うように、人力車が二台並んで待っている。

 段差があるため、荷物を抱えた女性では昇りにくいはずだ。そう思った寒川は後ろの車の昇降場に控え、椿姫に向けて手を差し出す。

 椿姫は「どうもありがとう」と礼を言うと、寒川の手を取って車に乗り込んだ。


「ここから人力車(くるま)を走らせて十分ほどだ。俺たちは前の車に乗るから」


 椿姫が小さく頷いたのを確認して、寒川は前の車に乗った。すでに柴が奥に座っていた。

 

「できるだけ急ぎで向かうよう伝えました」

「ああ」


 綾子の容態を思ってのことだろう。可能性があるならば、少しでも急いだ方がいい、と。

 だが椿姫の発言が正しいのならば、少なくとも、寒川たちが今の時点で急ごうとゆっくり行こうと、間に合わないということはないのだろう。

 寒川が車夫に声をかけると、車はガラガラと砂利を踏み砂を巻き上げながら、風を切って進んだ。


 木造の建物とレンガ造りの建物。本国と異国の文化が不規則に立ち並ぶ街並みは、夕陽の光を受けて怪しげに煌めいている。 

 そんな異国情緒溢れる街中をしばらく走ると、周囲の建物の二倍はあろうという大きな建物が見えてきた。入り口にかけられた暖簾には、「小野屋」と達筆な字で書かれている。

 人力車が小野屋の前に止まるやいなや、中から慌てたように夫人がまろび出てきた。綾子の母親だ。つい先ほどまで泣いていたのか目元は赤く染まっており、連日に渡る娘の看病で、立っているのも不思議なくらいにやつれていた。

 その心情を思うと酸鼻に耐えず、寒川は思わず眉を寄せた。


「ああ、ああ、巫女様。どうか娘を、どうかお助けください」


 まだ椿姫は車から降りてすらいないというのに、小野屋の夫人は懇願するように頭を何度も下げた。その後ろから、小野屋の主人があらわれて、たしなめるように夫人の肩を引いた。 

 小野屋の主人は落ち着いているように振る舞っているが、自分だけは取り乱すわけにはいかないという矜持があるのだろう。

 寒川と柴は車から降り、椿姫の乗る車に向かう。手を差し出せば、椿姫は心得たようにその手を取って、車から飛ぶように降りた。真っ赤な千早が、ふわりと舞った。


 目の前に立った異風な巫女に何か言おうとするが言葉にならない夫人の代わりに、小野屋の主人が問いかける。見た目には分からないが、声には切羽詰まった感情が汲んで取れた。


「紙縒神社の巫女様ですね。こちらの警察の方から、お話は伺っております。娘は……綾子は助かりますでしょうか」 

「まずは、綾子様のもとへ案内してください」


 椿姫は肯定も否定もせず、相変わらずの無表情でそう告げた。

 しかし、ひっそりと右手をさすっているのが目に入り、存外緊張しているのかもしれないなと寒川は思った。


「はい、もちろんでございます。こちらへ」


 主人は暖簾のかかっている入り口を横切り、店の外側にまわった。裏が居住空間となっているためだ。そして綾子は、裏庭に面した部屋に寝ている。店の中を突き抜けて向かうこともできるが、小物の並ぶ店内を縫い歩いて向かわなければならず、外をまわった方がかえって近道になるのだ。

 裏庭は、こぢんまりとした佇まいながらも、鯉が数匹泳ぐ池と、切りそろえられた生け垣があり、頻繁に手入れされていることがうかがえる。

 庭に面した長い縁側の端にある勝手口から、一同は家の中へと入った。

 

 綾子の部屋は、庭の真向かいにあった。今は襖が閉められているが、日中は襖を開けて庭を眺められるようにしているのだろう。

 中は薄暗く、畳に置かれた行灯の光が、ぼんやりと部屋を照らしている。襖を最大限に開くと、外の明かるさで部屋の中が見渡せるようになった。

 足を踏み入れると、まるで悪い狐狸にでも取り憑かれたかのように、胸が上下する度に酷い喘鳴が聞こえる。

 小野夫妻は、瀕死の娘の状態に耐えられないのか、悲鳴を飲み込んで両手で顔を覆う。


「もう、どんどん酷くなる一方なんです……。どうして、こんなことに……」

「…………」


 椿姫は綾子の枕元に腰を下ろした。そして何かを確認するように、右手を握っては開きを繰り返す。

 そこで寒川は、糸を絡ませたのは右手の指だったことを思い出した。糸を絡ませたから、見えなくても問題ないとも言っていた。なにか、感じるものでもあるのだろうか。

 

「確かに、振袖と綾子様は繋がっているようですね。これを切れば、体調も次第に快復するでしょう」

「ほ、本当ですか!?」


 小野夫妻は救いを得た顔で、綾子のそばに膝をつく。寒川と柴も後に続き、椿姫の隣に腰を下ろす。


「本当です。綾子様は話せる状態ではなさそうなので……ご家族の方に代理していただきましょう。この縁、如何なさいますか?」

「えっ? き、切れば良くなるんですよね? もちろん、切ってください、お願いします」


 切る以外の選択肢などあるものか。

 だが、椿姫の表情はどこか憂いを帯びている。


「……どうやら、この縁はもうひとり、巻き込んでいるようなのです。恐らく、お見合いをした方でしょう。この縁を切るということは、その方との縁も切ることになります」

「そんな……」


 小野夫妻は愕然とし、俯く。

 せっかくの縁談、しかも上手く纏まりそうな相手だった。良縁だったに違いない。なのにその縁すら、切らねばならないのか。

 そんな葛藤が見て取れた。

    

「その見合い相手は、無事なのか? 彼女と同じ状況の可能性はないのか?」


 寒川の問いかけに、椿姫はしばらく考え込んだ後、ゆるゆると首を振った。


「そこまでは分かりかねます。とはいえ、物が繋ぐ縁が、これほどまでに悪意のある縁となっているのも、不思議でなりません。それこそ――いえ、余計な詮索はやめておきましょう」


 椿姫が何を言おうとしたのか、寒川はなんとなく察する。それこそ――振袖に呪いでもかかっていない限り。

 小野夫妻がこれを「呪いの振袖」と呼んだとき、ありえないと心の中で嘲った。だが椿姫は、「呪いの振袖」と聞いても嘲笑うこともなく、真剣に受け止めていた。

 つまり、椿姫はそういうシロモノも、実際に見たことがあるのではないだろうか。そして、確かにこの世に存在している。

 小野夫妻が逡巡したのは一瞬だった。覚悟の決まった目つきで、椿姫に頭をさげる。


「巫女様、どうか、切ってください。せっかくの縁談でも、綾子が死んでしまっては元も子もありません」

「わかりました。ならば、この縁は断ちましょう」


 椿姫は、綾子の横に振袖を置いた。ふと何かを思い出したように、寒川と柴、小野夫妻を見回す。


「これから、縁切りの儀式を行います。みなさんには少し辛い時間となるかもしれません。外でお待ちいただけますか」

「そっ、それは、何か綾子に痛いことがあるということですか!?」

「いえ、そういうわけでは……」

「私たちだけ外で待つなんてことはできません。どうか、見届けさせてください」


 小野夫妻は引く気がないようだ。

 椿姫はその意志を拒むようなことはしなかった。念の為にと、寒川と柴にも視線を向ける。

 二人の答えも決まっているので、頷いてみせた。できるならもう一度、あの奇跡をこの目で見たい。そんな気持ちだった。

 椿姫は諦めたように目を閉じ、「構いません。お好きにどうぞ」と言った。

 そして、すうと息を吸って、再び目を開けた。


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