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「呪い?」


 椿姫は、目の前に置かれた振袖に目をやった。呪いと伝えたにも関わらず、怪訝な顔をすることも怖がることもなく、「触っても?」と言うので寒川は頷く。

 丁寧な手つきで振袖を手に取り、膝の上に置いた。そして確かめるように生地を撫で、広げる。袖の部分に触れたとき、少し時間をかけて眺めていたが、それ以上はめぼしいものがなかったのか畳んで戻した。


「……おそらく、木綿の朱子織(しゅすお)りですね。絹は使用されていないようですが、かなり上等な振袖です」

「そうなのか? すまない、その辺は詳しくないのでな」

「構いません。一見したところ、呪われているような感じは見受けられません。なぜこれが、"呪い"などと?」 

「ああ。ことの始まりは、とある商家の娘が貸衣装屋でこの振袖を見初め、手に入れたことだ」


 この問題の渦中にいるのは、小間物を扱う「小野屋」の娘、小野綾子という十六歳の女性だ。彼女はお見合いを控えており、その際に着ていく着物を探していた。

 訪れたのは貸衣装屋。実用的かつ経済的として、商家の人間は、特別な日に着る着物などは貸衣装屋を利用することが多い。小野綾子(おのあやこ)も例に漏れず、近所では大きめの貸衣装屋を利用することにした。

 そこで綾子は、店の奥に立てかけてあった振袖にたいそう目を惹かれたそうだ。手に取ってみると生地も上等で丁寧に縫われており、お見合いに着ていくにも見劣りしない充分な品だった。綾子は他の着物を見ることなく、その振袖を即決したそうだ。そのときは、特に異変も違和感もなく、よい買い物ができたと喜んでいたくらいだった。

 

 お見合い当日、その振袖を着て相手と会った。相手は綾子のことを気に入り、振袖についても褒めてくれた。よい雰囲気でお見合いが終わった翌日、異変は起きた。

 綾子が突然の高熱で倒れてしまったのだ。両親は慌てて医者を呼んだが、原因は不明。風邪を拗らせたのだろうと、風邪薬が処方された。

 だが薬が効く様子はなく、尋常ではないスピードで綾子は衰弱していった。何度医者を呼んでも思わしい回答はなく、最後には匙を投げる始末。

 

 両親が困り果てたそんなある日、綾子はぼんやりと目を開けて(うな)されるように、しきりと振袖のことを口にだした。

 両親は思い出す。この異変が起きたのは、あの振袖に袖を通してからだ。

 振袖に何かが取り憑いていて、綾子に憑依してしまったのだろうか。そんなまさかとは思いつつも、これ以上手がつくせない状態だったので、藁にもすがる思いでお祓いをしてもらう事にしたそうだ。

 

 とはいえ呪いや祓い屋などという現実には信じ難い現象に、怪しいと警戒をしてしまう気持ちも拭えない。詐欺を恐れ、神社にお祓いを頼むと同時に警察に相談して、寒川と柴が立ち会うことになった。


「その祓い屋は、神社の禰宜だった。まあ、神社の関係者なら、まだ信頼できると思ったんだろうな」


 祓い屋の男は出張依頼も受けているそうで、お祓いは小野屋で行われることになった。

 男は(みてぐら)を仰々しくふるいながら、祝詞を唱え始める。禰宜なだけあってその姿は様になっていて、寒川達は神事に参加するような気持ちで眺めていた。

 しばらくして、男はぴたりと止まった。そして言った。「祓いました」と。しかし、綾子の様子は変わらない。

 男は暫し考える仕草をした後、こう提案してきた。「お嬢様の不調は別の原因があるのでしょう。近くに紙縒神社がありますね。そこに相談するとよいでしょう」

 そうして、動けない綾子や彼女の傍を離れられない両親に代わり、寒川と柴が紙縒神社を訪れたのだ。


「なるほど、その禰宜の紹介だったと……。失礼ですが、その禰宜はどちらの神社の者でしたか?」

「たしか矢神神社(やがみじんじゃ)といったか」


 思い出し、寒川は憎らしげに顔を歪めた。

 

「いけすかない祓い屋だった。面倒事からさっさと手を引きたかっただけじゃないか?」


 ――ふふっ。

 小さな笑い声が落ちた。声の元を辿ると、椿姫の口角がやや上がっていた。

 寒川の視線に気付いた椿姫は軽く咳払いをして、また表情を削ぎ落とした。


「失礼しました。あの男がいけすかないのは、大いに同意いたします。ですが、彼の腕は確かです」

「確か、というと?」

「彼が”祓った”と言ったなら、確かにこの振袖には何かが()()()()()のでしょう」


 柴はそれを聞いて、「ひぃっ」と声を上げて寒川に縋り付いた。寒川は気にせず、椿姫に話しかける。


「だが、綾子の体調は回復の兆しが見えない。むしろ悪化してると言ってもいい」

「簡単なことです。綾子様の不調とそれは、関係がなかった。きっかけだった可能性はありますが、その後は既に手を離れていたのでしょう。あの男がわたくしを紹介したのは、恐らく正しい」

「…………そうなのか?」

「ええ。この振袖と綾子様は()()()()しまった――」


 意味が分からず、寒川は眉を寄せる。

 反応が芳しくないことに気づいたのか、椿姫は再び振袖を引き寄せた。

 

「いいでしょう。百聞は一見にしかずとも言います。実際に、ご覧にいれましょう」


 袂から白くて細長い何かを取り出す。一見線香のように見えたが、細長いとはいえ普通の線香よりふた周りほど太い。


「それは、なんですか?」

「良縁結びと悪縁切りの御札を紙縒ったものです」


 柴の問いに答えながら、紙縒って棒状になった札の先端を火鉢に近づけた。

 紙であるはずのそれは燃えることなく、まるで線香のように赤く輝き、先端から煙を吐きながらゆっくりと札を食べていく。

 椿姫は紙縒った札を平台に置いてある香炉に挿した。

 彼女の周りにある火鉢や平台、そして香炉は、すべてこの儀式のために置かれていたのだ。 

 

「森羅万象の縁を司りし神よ、我は御身に仕える紙縒の巫女なり。名を椿姫と申す」


 祝詞を捧げながら、ゆらりゆらりと揺れ出てくる煙を絡め取るようにくるりと手首を回し、椿姫はそのまま振袖の方へ導いていく。

 不思議なことが起こった。

 椿姫の手に導かれた煙は、霧散することなく振袖の上にとどまり、後に続いて流れてくる煙も巻き込んで、振袖を取り巻いていく。

 そうして札が燃え尽き、煙の尾が切れた。煙に包まれたせいか、それとも別の要因か、振袖の輪郭はぼんやりと薄れている。


 ――煙の中は、神の領域。

 

 なぜかそんな言葉が、頭を過った。これは確かに、神の世界と俗世を繋ぐ神事なのだ。

 寒川も柴も、固唾を呑んでこの儀式を見守る。

  

「当儀を以て、この縁を示されよ」


 祝詞が終わった。

 椿姫は揃えた指先を、煙の中に滑り込ませる。

 何度か探るように指を動かした後、緩慢な動作で手をゆるりと翻し、柔らかい何かを包むかのように指を折り込む。そしてゆっくり引き上げて手を開くと、その中にはキラキラと星のように輝く砂――いや、糸があった。二本の糸だ。

 柴も、寒川ですら、思わず「ほう」とため息を吐く美しさだった。これが、縁なのか。人智を超えた力を前に、二人は目が離せない。

 だが椿姫は、ふっと眉を寄せた。

 二本の輝く糸は煙から離されるにつれ、水が流れるようにしゅるしゅると紡がれていく。同時に、手のひらの中心から輝きを落とし、明確な色かたちをとってゆく。


「うっ」


 柴は思わず口に手をあてて呻いた。

 輝きを失ったその糸は、一方は真っ黒に、もう一方は赤とも黒ともとれぬ、嫌悪感を覚えるほど気味の悪い、赤黒い色に変じていった。太さも違う。黒い糸は今にも切れそうなほど細く、赤黒い色の糸は毛糸のように太い。


「これは……」

「はい、この振袖を繋ぐ縁でございます。今は儀式を行った直後なので、神力が強く、お二方にも見えているはずです」

 

 椿姫は見せつけるように、糸をのせた手のひらを二人の前にかざした。

 その二本をもう片方の手で取ると、くるりと素早く指に巻き付けた。


「こんな気持ち悪……いや、こんな色をした糸が、縁ですか?」

「縁とひとくくりに言っても、様々なご縁があるのと同じで、縁の色も様々です。こちらは大まかに括ると、悪縁になりますでしょうか。良縁は、もっと綺麗な色をしていますよ」


 無表情ながらも、聞いたことにはきちんと答えてくれる。愛想のない巫女だと思ったが、ただ真面目なだけなのかもしれない。

 

 柴は不思議そうに、椿姫の手のひらにある糸を覗き込んでいる。いつもはやかましい男なのに、儀式が始まってからとても静かである。この神秘的な空気に飲まれているのか。

 視線で辿ると、糸は扉の外まで延びている。きっと、この縁に結ばれてしまった綾子へと続いているのだろう。

 果たしてどちらが綾子の縁で、もう一本はどこへ繋がっているのだろうか。 

 

「これが見えるのは、今だけ、ということか」

「そうなりますね」


 柴が慌てたように口を挟んだ。

 

「見えなくなってしまうのですか? 例えば長く残しておくとか、色んな縁を見るようにすることはできるのでしょうか?」


 椿姫は「いいえ、できません」と首を振った。 


「紙縒神社の神は、全ての縁を見ることができます。この儀式は、その目を少し借りて可視化するだけ。人の目に全ての縁が見えたら、とても生きにくいでしょう?」

 

 縁は、人から物まで、この世に存在するありとあらゆるモノを繋いでいる。物であれば多くても十本程度だが、人や他のモノともなればそうはいかない。一人で何百本の縁を持つ人もいる。

 そんな膨大な縁は、神の手を加える暇もなく、繋がっては切れ、切れては繋がってを繰り返す。

 椿姫は、そんな途方もない縁の流れの一部を、儀式を通して一時的に具現化するのだ。


「これが……紙縒神社の巫女の力」


 寒川は感心したように呟いた。

 信心など毛ほどもないが、実際に目の前で披露された儀式は、信じざるを得ない。人の手では及ばぬ力も、確かに存在しているのだ。


「この縁が恐らく、綾子様を苦しめている原因でしょう。ご相談内容の引き受けは、可能と判断しました」


 しばらく呆然と眺めていたが、椿姫の声にはっと我に返った。

 ここからが本題だ。

 

「つまり、この縁を切れば、彼女は助かるということか?」

「はい。二本あるので、どちらか一方が綾子様の縁ですね」

「……これが見えるのは、今だけ、と言ったか」

「そうなりますね」

  

 そう言っている間に、糸はすうっと溶けるように消えていった。

 

「待て。つまり、見えているうちに対処しなければいけない、ということか? もう消えてしまったじゃないか!」

「ご安心を。振袖が繋ぐ縁の間に、わたくしを絡ませました」


 椿姫は挨拶するように、手のひらを左右に振る。先程、糸を巻き付けた指がある方の手だ。

 それがなんだという顔をする寒川に、椿姫は言葉を加える。

  

「これで、糸を解かない限り、わたくしは縁の糸を感じることができます」

「なら、今からでも縁を切ることはできるんだな?」

「もちろんです。ご本人様のご意志を確認した上で、縁切りの儀を行いましょう」

「本人……ということは、小野綾子のことを言っているのか? 俺たちは彼女の依頼を受けてここに来たのだが」

「この縁は、綾子様のものにございます。実際にお会いしてみないことには、この二本のどちらが綾子様の縁かは確信が持てません。それに、たとえ他人が了承を得ているとしても、わたくし自身にはその判断ができかねますので」

「小野綾子は伏せっていて、とてもここまで来れる状態ではないぞ」

「ええ、わたくしが綾子様のもとへ伺います。そうですね、参拝時間終了後に、綾子様のもとへ案内してください」


 参拝時間は夕方五時まで。今から数えても五時間ほどある。

 小野綾子の状態を鑑みるに早い方がいいのだが、椿姫の事情もあるだろう。前触れもなく来訪したのだ。当日に対応してくれるだけでも、有難いと思うべきだ。

 寒川は頷く。

 

「……分かった。時間になったら、正門の方に車夫を連れてこよう」 

「はい。それと、こちらの振袖、お預かりしてもよろしいでしょうか。決して汚したり傷をつけることはいたしません」


 依頼者からは、振袖を警察以外の誰かの手に渡さないで欲しいとの要望はなかった。

 寒川としても、持っていることで変に振袖と縁ができてしまっても困る。専門の人間に持っていてもらった方が安心できるだろう。

 椿姫の提案に、逡巡する間もなく頷いた。

 

 ――呪いなどない。

 そんなことは断言できないのだと、知ってしまった。少なくとも、この振袖に関しては。


 

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