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 扉を開けると、途端に外の音が耳に入ってくる。

 雨水が地面や屋根を叩く激しい音が、社務所の中に響いた。寒川が訪れてからあまり時間が経っていないにも関わらず、随分と雨足が強まっている。

 それだけではない。ほど近い場所の空気が明滅する。一拍遅れて、ピシャンと空気が弾けたような音がした。雷だ。


「天候が良くないな。これからもっと酷くなるかもしれない。後日でも――」


 寒川は、雷雨が降りしきる空を見上げ、椿姫に問いかけた。

 

 雨が降れば、傘をさしたとて着物も髪も濡れるのは避けられない。地面もぬかるみ足元が汚れる。そう遠くないところで雷も鳴っていて、人によっては嫌悪感を抱く者もいるらしい。最悪の天候だ。

 この神秘的な巫女を、そのような現実に引きずり下ろすのが躊躇われた。

 隣を見れば、椿姫も寒川と同様に空を振り仰いでいた。白く細い腕が持ち上げられ、手のひらが雨粒を受け止める。

 思わず言葉に詰まる。なんと絵になる光景か。


「寒川さん、何してるんですか。行くなら行ってください」


 焦れたような呆れたようなトーンで後ろから声をかけられ、寒川ははっとした。

 見惚れていたのを誤魔化すように、社務所の壁に立てかけていた傘を三本乱雑に掴み、そのうちの二本を柴に押し付けた。長い傘と短い傘、柴と夕子の分だ。


「……僅かに、雨粒に神力を感じます」

「え?」


 水滴に濡れた手を軽く振り払うと、一度中に引っ込んだ。いったい何をし出すのか。

 呆然としている間に、椿姫は戻ってきた。手の中に、三つのお守りが握られていた。


「それは」

「お守りです。肌身離さず、持っていてください」


 拒絶は許さないというようにぐいと押し付けられれば、受け取るほかない。

 手の中に収まった、小さなお守りに視線を落とす。

 黒地の布に、金糸で「悪縁切り」と刺繍されている。ひっくり返すと、当然ではあるが「紙縒神社」の文字があった。ここで販売しているお守りだろうか。


「紙縒神社で祈祷したお守りですよ」

「いくらだ」

「は? ……あぁ、後ほど請求しますのでご安心を。行きましょう」


 口早にそう言うと、椿姫は傘もささずに社務所を飛び出した。突然の凶行に驚き、寒川は慌ててその腕を掴んで引き戻す。


「どうかされましたか?」

「それはこちらの台詞だ! 傘はどうした」


 一瞬のこととはいえ、外は豪雨だ。椿姫の艶やかな黒髪はしっとりと濡れ、水滴を零す。深紅の千早も水をすって、より濃い色合いに変化していた。


「ありません。雨の日に外に出ることがないので」

「なっ……風邪を引くだろう。これを使うといい」

「結構です。寒川さまが風邪を召されてしまいます」

「俺はそんな柔な体質じゃない」

「わたくしもです。お気になさらず」


 ああいえばこういう。傘の押し付け合いだ。 

 椿姫は寒川の傘を受け取ることなく、再び雨の中に身を投じようとする。なんという頑固者だ。


「寒川さんの傘に入れてあげたらいいじゃないですか。こんな天気ですから、見咎める人もいないでしょう」

「他人事だと思って、この……っ!」


 そうしている間にも、椿姫は先を行ってしまう。躊躇っている暇はない。

 寒川は覚悟を決める。傘を開いて椿姫の隣に立った。

 

 年頃の男女が、ひとつの傘を共有するとは、「七年男女不同席」の礼記に背きはしないか。

 とはいえ、柴の言うとおり、この悪天候で外に出る物好きもそういない。このか弱そうな巫女が、雨に打たれて体調でも崩したら、それこそ大問題だ。

 そもそも、椿姫は嫌がってはいないだろうか。男用の傘は大きく作られているとはいえ、一人分の空間を二人で使うのだ。椿姫の方へ傘を傾け、自分の肩を濡らしたとしても、多少の密着は避けられない。


 寒川はそんな葛藤を心の中で繰り広げていたが、椿姫は何処吹く風だった。

 

「どうもありがとう。やはり傘は便利ですね」

「だから言っただろう。……その、嫌だったら、この傘はあなたが使うといい」

「嫌? なぜ? 二人とも雨に濡れず、一石二鳥ではないですか」


 椿姫は寒川を見上げ、きょとんと首を傾げる。こんなに近い距離で話すのは初めてだ。漆黒の瞳が、寒川だけを映している。

 毛先から雫がぽたりと落ちる様子の、なんと妖艶なことか。


「あら、寒川さまの肩が濡れておりますよ。もう少し近付いた方がよさそうですね」

「なっ……!」


 椿姫はそう言うや否や、寒川がわざと空けていた隙間を詰め、傘の柄を真ん中の位置に調整した。細い肩が、寒川の腕に触れる。ふわりと、線香のような香りが鼻を掠めた。

 頭を抱えたくなる。男女が密着するという行為に、椿姫はなんの恥じらいもないらしい。そんな俗世の感覚など、この巫女には備わっていないのだ。

 彼女はやはりどこか、浮世離れしている。 

 男として意識されていないとか、そんなレベルではないのだ、と思いたい。

 

「そういえば先程、雨粒に神力を感じると言っていたが。あれはどういう意味だ?」


 苦しい話題転換だ。

 しかし椿姫は気にした様子はなかった。真面目な顔つきになる。


「その言葉のとおりです。この雨は、神が降らせている雨だと思います」

「……なに?」

「雨神もおりますから、雨神が気まぐれに降らせた雨という可能性も否めません。ですがそれにしては、できすぎている」

「雛人形がやったと言いたいのか」

「あくまで可能性のひとつですが。ただ、雨を降らせるほどの力を持つ神ならば、油断は禁物です」


 寒川は無意識に、懐に収めたお守りに触れる。

 椿姫が終始、険しい顔をしていた理由をようやく悟った。この窃盗事件は、そんな単純な事件ではないのだ。

 神という、ただ人では対抗し得ない強大な存在が絡んでいる。

 一歩でも間違えば、消し炭にされたっておかしくないのだ。置かれている状況は、そんなに良くないのかもしれない。


「大変なことに巻き込んでしまったんだな。……申し訳ない」

「謝る必要はありません。受けると決めたのは、わたくし自身の判断です」

「だが」

「つまり、これも縁ということ。おふたりが依頼を持ってこずとも、どこかで関わることになったでしょう」


 そういうものだろうか。

 椿姫はよく言う。この世て起こる出来事は、すべて「縁」なのだと。定められた「運命」なのだと。

 だが、椿姫とこの事件を繋げたのは、やはり寒川たちなのだろう。


「あなたは優しいな」

「…………なぜ、そうなるのです」


 心外だとでも言いたげに、眉を顰める。

 神秘的でどこか浮世離れした巫女。彼女自身が神だとしても納得してしまう、神聖さを持っている。だが、こういう僅かな部分から、人間味を感じることができる。

 椿姫は、寒川たちと同じ、人間なのだ。

 その事実に、不思議と安堵感を覚えた。


 

 


 

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