伍
紙縒って棒状になった札を取り出し、先端を火鉢に近づけた。火に触れたところから赤く輝き、煙を吐く。
椿姫は、平台に置いてある香炉に札を挿した。
そして祝詞を唱えていく。
「森羅万象の縁を司りし神よ、我は御身に仕える紙縒の巫女なり。名を椿姫と申す」
煙は途切れることなくゆらりゆらりと宙を漂う。椿姫が指を入れると、煙がその細いしなやかな指にまとわりつく。
すいーっと宙を滑り、平台に置かれた朝日の元へと導いた。煙は途切れることなく、椿姫が作った道を辿り、朝日を囲っていく。
朝日の全身が煙に巻かれたとき。
異変が起きた。
シャン……
どこからか、鈴の音が聞こえた。
そう認識した時点で、もう飲まれていた。
シャンシャンシャリシャリジャリジャリリリリ……!
最初は小さな音だった。しかし瞬く間に、その音は大きくなっていった。
いくつもの鈴が一度に鳴らされたような音が、部屋中に響き渡る。その音はまるで、耳元で神楽鈴を無茶苦茶に振り鳴らされているようなけたたましさがあった。
耳を塞いでも意味はなく、直接脳を揺さぶられる感覚に陥る。
朝日は煙に包まれ、黄金の光を発している。次第に朝日の輪郭はぼんやりとしていき、光が強くなる。
鈴の音、黄金の光。聴覚、視覚が奪われていく。
平衡感覚を失い、無意識に後ずさる。
椿姫は寒川らの様子を見て、はっと目を見開いた。
まだ札は半分も減っていないにも関わらず、香炉から引き抜き、さっとひっくり返した。燃えた部分が香炉の砂に埋もれ、煙の流れが止まる。
朝日にまとわりついた煙を手で仰ぎ霧散させると、鳴り響く鈴の音と眩い光は、急激に収束していった。
柴も夕子も、呆然としている。
「一体……なにが」
まだぐわんぐわんと揺れる頭を抑えながら、寒川が訊ねる。
前回とは明らかに違う。儀式を中断してしまったが、問題はないのか不安になる。
「……朝日さまは、想定していたより強い神力をお持ちのようです。みなさまは、その神力にあてられたのでしょう。すみません、もっと早く気付くべきでした」
まるで、椿姫自身は何も感じていないような言い方だ。
そういえば、小野屋でも似たような状況があった。あれは、椿姫が扇を開いたときだ。
小野屋で感じた、突然異空間に放り投げられたような、息が潰れる重苦しさとは違った。
今回、身体は確かに現実に存在していた。だが、聴覚で、視覚で、訴えていた。ここから先は触れてはいけない。人間が踏み入っていい場所ではないという、強固たる拒絶だ。
しかし、あのときも今も、椿姫は平気そうだった。
儀式の主催者は、影響を受けないようにできているのだろうか。
いや、今はそんなことはどうでもいい。椿姫は何か、とても大事なことを言った。
「強い神力を持っている……つまり、朝日は付喪神で間違いない、ということだな?」
「……そうですね、神であることは間違いないでしょう。これだけの神力があれば、人間と言葉を交わすことも十分に有り得ます」
ほっと息を吐く音が聞こえた。柴だ。
よかったね、と励ますように、夕子の背中をさする。夕子も安堵した顔つきだ。
しかし、だからといって夕子の疑いが完全に晴れたわけではない。
朝日が付喪神であることと、物置の雛人形が盗みを働いたことは、まったくの別問題だからだ。あくまでも、夕子の言葉に信ぴょう性が増した、程度にしかならない。
「雛人形も、朝日と同じ付喪神である可能性は? 付喪神であれば、宝飾品の類を取ることは可能なのか?」
椿姫は困ったように眉を下げた。
「わたくしは実物を見ていないので、なんとも……。ですが朝日さまほどの強い神力をお持ちであるならば、人間界の物をとることもできるかもしれません」
「"あれは、『朝日』よりも古い人形だ。初代当主が初めて手がけた作品ぞ"」
またもや、夕子ではない「何か」が喋る。
夕子の瞳に光はなく、表情という表情がそげ落ちている。まるで別人に成り代わったかのようだ。
自らの身に神を降ろし、神の声を己の口をとおして代弁する、イタコなどと呼ばれる存在がいるらしい。らしい、というだけで、信じていたわけではない。
だが、だとしたら、目の前で起きているこれはなんだろうか。
「"それなのにあの凡愚ども、物置部屋なんぞに押し込めよって"」
社務所内の空気が変わった。
チリチリと肌を焼く感覚がする。寒川でも分かる。これは紛れもない怒りだ。
「……つまり、雛人形も朝日さまと同じように、神力をお持ち、ということですね?」
触らぬ神に祟りなし。
だが今の状況は、触れるしかない。椿姫は、できるだけ「夕子」を刺激しないよう、慎重に言葉を選んでいるようだった。表情も強ばっている。
「当然だ」
「宝飾品を物置部屋に持ち込んだのも、雛人形で間違いないのですね?」
「そうだと言っている」
「…………なぜ、そのようなことを?」
夕子の口角がにいっと上がり、三日月を描いた。笑っているつもりなのだろうか。
「さあ? それは人間が考えることだ」
答える気はないらしい。
「だが、同族のよしみでひとつだけ、言っておこう。神のものに手を出した代償は、大きいぞ」
「それは、どういう……」
寒川には、その言葉の意味がよく理解できなかった。
しかし椿姫は正しく理解したようで、驚愕の表情を浮かべ、ぐっと身を乗り出す。
夕子の身体が、かくっと傾いた。柴が慌てて肩を支える。「ぅ……」という呻き声とともに、夕子の瞳が開かれた。焦点が定まらないのか、虚ろに宙をさ迷っている。
先程の夕子とは、雰囲気が違う。肌を刺すような緊迫した空気も、いつの間にかなくなっていた。
「今のはいったい……夕子さんは大丈夫なんですか?」
夕子を支えたままの柴が、心配そうに問う。
「簡易的な神降ろしでしょう。少し休ませてあげてください。そこを使って構いません」
椿姫は上がり框の空いた部分を指した。柴はうなずき、ふらつく夕子を上がり框に座らせた。
そして、寒川を振り仰ぐ。
「それより、彼女は気になる発言をしていましたね。『神のものに手を出す』……。確認しますが、盗まれたという宝飾品は、なくなったのではなく、物置部屋に存在していたのですね?」
椿姫は持ち上げかけた腰を再び下ろし、言った。
「ああ。確かに、雛人形の周りにたくさん落ちていた。人形がどうやって物を運ぶのか想像もつかないが……それこそ、連日に渡って一生懸命運んだのだろうな」
そう言うと、椿姫の表情はいっとう厳しくなった。
「そうですか。……なぜ、雛人形は何日にも分けて宝飾品を持っていったのでしょう」
「どういうことだ?」
「宝飾品を取っていった目的が読めません。松林家の物を取り返す目的なら、あちら側へ持っていってしまえばよいことです。わざわざ、自らの周囲に置いたままにしたのは、何故なのか」
椿姫の言葉に、寒川は首を捻った。椿姫と同じ疑問を抱いたのではない。彼女は当然のように言ってのけたが、「あちら側へ持っていく」ことまで、普通の人間は発想を飛ばすことができないだろう。
物置部屋を開けたときに感じたのは、もっと違うことだ。
扉を開いた先、すぐ目につく場所に鎮座した、女雛と雄雛。周囲に散らされた宝飾品の類。あれはまるで――
「神棚……いや、祭壇――か?」
「……なんです?」
「あ、いや、大したことではない。気にしないでくれ」
「構いません。わたくしは、雛人形の様子を見ていません。実際に見た人の意見が、とても大事なのです」
椿姫の言葉に勇気づけられ、寒川は再び口を開いた。
「雛人形のまわりの宝飾品が、捧げ物のように見えたんだ。まるで、神を祀っているような……」
椿姫の瞳孔が縮んだ。夕子の腕にある朝日を振り返るが、神の宿る人形は沈黙したまま。
「……嫌な予感がします。すぐに、松林家に案内してください」
「わかった。警察が用意した馬車がある。それを使えば、すぐに松林家に着く」
椿姫は頷き、立ち上がる。
「柴さま、夕子さまは動けそうですか?」
「あ、はい……だいぶ顔色は良くなりましたが」
「大丈夫です。行けます」
夕子は上がり框から立ち上がる。まだふらつくのか、その場でたたらを踏んだ。
「初めてのことでしたから、身体がまだ慣れていないのでしょう。無理はしないように。柴さま、夕子さまを支えて差し上げてください」
「はい」
もともとそのつもりだったようで、すぐに夕子に向けて手を差し出す。夕子はやや躊躇いながらも、柴の手をしっかりと握る。
それを見届けて、椿姫は踵を返し、松林家に向かうべく社務所の扉を開けた。




