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ケンエン家(1500字)

作者: ちゃんたい

「58ください」

震える自分を奮い立たせて放った言葉は、意外なほどあっさりと駅のホームにとけていった。


「400円です」

事務的な手つきで差し出された黄色い箱が僕の手のひらに収まる。空気を掴むほど軽いそれは「ハタチ」の不安定さや瑞々しさを孕んでいて、やけに魅力的だった。


 ナチュラルアメリカンスピリット。通称アメスピ。タール1mm、ニコチン0.1mg。余計な燃焼物は使用しておらず、オーガニックのタバコ葉を使用。


 何度も検索したタバコの情報を脳内で反芻させながら、用意したピカピカの携帯灰皿と一本も減っていないマッチを触る。


「タバコとか絶対吸わねぇわ。百害あって一理なしだし、それに金払うとか馬鹿じゃん」


いつも否定から入るアイツの意見は、ネットで見かけた書き込みと瓜二つだった。きっとそのまま影響されたんだろうな、と半ば諦めの気持ちで相槌を打ってやると、否定エンジンにさらに火がついた。


「第一に臭ぇんだよな。嗅覚が狂ってるのか知らないけど、ニオイがとにかく無理。俺喫煙者見つけたらいつも舌打ちしてるもん」


一つ排除すると、一つ生きづらくなる。こんな風に考えられる人が、自分の周りには少なすぎると思う。自分の感覚より誰かのブログ記事。自分の言葉より誰かのTwitter。体感した上で自分の意見を持つことがいかに大切か。アイツはわかっていない。


 線に沿ってビニールを破り、箱を開ける。塞がれた銀紙を破ると、鼻筋を通るすっとしたタバコの香りがした。


 やっぱり、アイツは自分で試していない。


 タバコを一本取り出し、口に咥える。マッチに火をつけると、ぼぉぉ、と赤白い光が五月の涼しい夜を照らした。


 何事もやってみなきゃわからない。


 タバコの先端に火がつき、数え切れないほどの有害物を含んだ煙が立ちのぼった。この煙を肺に入れるという背徳感や小さな興奮が僕の心臓を突き動かしているのが分かる。夜のベランダには、街頭という小さな照明しかない。大気の音だけが世界のBGMを支配していて、心臓の音がやけに響いた。


 頼りないフィルターを通して煙が口内に溢れると、僕はむせた。なんだこれ、まっず。火をつける前の香ばしい匂いはどこに行ってしまったのだろう。頭を突くような、焦げて、腐った匂いだ。肺が煙を全力で拒絶している。そんな肺の思いとは裏腹に、また一吸い。今度はむせない。だが、辛くて涙がでるような苦さが僕のピンク色の舌をピリピリと刺激した。


 とてもじゃないが吸ってられない。けれど、吸わないとやっていられないのかもしれない。有害物質で溢れていて、匂いがきつくて、口の中がめちゃくちゃになって、しばらく味なんて感じられなかったとしても、構わない。「ハタチ」を超えた先に待っているのは、タバコを吸わないと正気を保てないような景色なのかもしれない。


 態度の悪い客にヘコヘコと頭を下げていたバイト先の店長。関係性の薄い人ほど丁寧に接するんだよ、と語っていたサークルの先輩。たまに会うと、奥さんの愚痴ばかり漏らすいとこの兄ちゃん。


 それぞれの背景があって、タバコを吸っている。舌打ちをされるような人たちじゃない。舌打ちをされるべきなのは、アイツのほうだ。経験していないことを、経験したかのように話すアイツのほうだ。


 肺にたっぷりと入った煙を感じながら、ブリキの携帯灰皿にタバコを捨てる。真っ黒の燃え殻と化した物質からは、頭が痛くなるほど臭い匂いがする。そっか、こういう事だったのか。タバコを吸うことが目的じゃないんだ。本質はそこじゃない。やっていられない出来事をいったん整理して、もう一度対峙する。大きくジャンプする前のしゃがみ込む動作なんだ。僕は残りのタバコと冷え切った吸い殻を捨て、ビニール袋の取っ手をきつく締めた。


いかがでしたか?

「つまらない」と思ったら直接言ってこいよ腰抜け

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