天の益人1
一方、越の国で布都比売と暮らしていた己貴は三穂津彦が大穴牟遅と名乗った事を知り、それ以降は名を母から取った「彦波瀲健」と名乗る事にした。
彼の名は日向三代の「彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊」として知られているが、これにはまだ続きがある。
もう1人、鸕鶿草葺不合尊と云う人物が存在するのだが、これはまだまだ先の時代の事であった。
そして。兎を通して2人の評価が明暗はっきり分かれた。あの一件で評価を下げた真周人は、さらに大変な事になっていた。
加賀の王、辺津比古はあの事件の後、「妻の辺津比咩の顔に泥を塗った」
と、真周人を封じた。
そして真周人の今後についてどうするか、会議が開かれた。
辺津比古は、三島から武奈貴を呼び出し、重い口を開いた。
「武奈貴どの、大変な息子を持ったものだな。その者をどうするおつもりか、聞かせて貰おうか」
「三島の王位はもう継がせないと決めてある。だが目立たぬように暮らせと申してもこれでは難しいであろうな」
「女を殺し、犯すようではこの先何をするかわかったものではない。そうしたら…どうすれば良いものか…」
辺津比古はもうなす術がない、と眉間に皺を寄せ押し黙った。
「追放では甘かったか…」
と、武奈貴は暫く考え込み、そしてこう答えた。
「三島から出したらまた酷い事になりそうだ。だから辺津比古どの。このまま加賀で人に会わせずに封じ込めては貰えまいか」
辺津比古は
「三島に戻す事は考えないのか」と聞いた。
「もうそれは今後も変わらぬ。既に親子の縁も切っておる。胸に刻む彫り物に、これを刻んでくれ」
そう言って武奈貴は、文様が描かれた者を連れてきた。其処には蛟が彫られていた。
それを彫られた者は「蛟」と呼ばれるようになり、名を失う事になる。
辺津比古は「これは何だ」と聞いた。
「真周人はもう人ではなくなる。蛟となり、今後は道を失った者として生きるのだ」
「真周人殿は御船の王に口を聞いて貰えないかと言っておったぞ」
御船とは尾張の事である。尾張御船と云う。知多半島は奴国最大の港であり、武蔵を始め様々な領土へ船を出し移動する為、この名がついた。根の国で云う津国のようなものである。
辺津比古は真周人の希望を伝えたが武奈貴は首を振りながらこう答えた。
「それはもう叶わぬ。御船の王にまで迷惑はかけられぬな。だから辺津比古どの、もはや迷惑は承知の上で頼む。日高見へ連れて行っても良い。そこで誰にも会わさず閉じ込めてくれ」
「それならば辺津比咩に聞いておこう。受け入れたのはあいつだからな」
そうして辺津比古は妻を呼び出し聞いた。
「比咩よ、真周人をどうするかそなたの意見を聞かせておくれ」
辺津比咩は、自分の犯した間違いにただ呆然とするだけだった。
「なんという事でしょう…もはや責任の取りようもございません。武奈貴殿に三島に戻す事はできないのかと聞く事はできないのでしょうか」
「それはもう叶わぬと申しておった。もう武奈貴どのは宗像を入れ閉じ込めよ、と申しておったぞ」
「もうお好きになさってくださいませ。もはや三島の地にも根の地でも居ることが叶わぬなら、何故に奴の地がその責を負わねばならないのでしょう。武奈貴殿も無責任ではありませんか。」
「武奈貴どのは無責任でもあるが、追放を解けば無意味になるだろうと思っての事だ。
だが…武奈貴殿は政には向かぬな。他国に頼り、借りを作るようでは三島も今後不安になるだろう。では。真周人どのは日高見に連れて行ってもよいな?」
辺津比古は「仰せのままに」と答えた。
もはや誰も味方をする者はいなくなっていた。
三島のほうでも真周人のしでかした事件は問題になっていて親しかった者ですら「真周人は秀真に連れて行けばよい」と言う者もいた。
そして、真周人の刑罰が始まった。
「待ってくれ!!話を聞いてくれ!!」
真周人は暴れながら抵抗した。
「話があるなら申し開きをしてみよ。三島の武奈貴どのの命だからな。もはや申し開きもままならぬが秀真に行くか、日高見で封じられるかくらいは選ばせてやろう。最後に申す事はあるか」
三島の王子だった事を考慮した辺津比古は、宗像を入れる前にこう聞いた。
「それでは」と真周人は口を開いた。
「秀真に行くのはやめてくれ。日高見に行くのは良いが宗像はやめてくれ!」
だが既に遅く、最初のひと針を入れ始めていた。
真周人は醜い悲鳴をあげながら叫んだ。
「待ってくれ、待ってくれ、辺津比古比咩どのに聞いてくれ。もう私をお見限りなのか!」
「比咩はもう三島の判断に任せると申しておる。大人しく刑を受けろ」
「それでは辺津比咩どのは私をお捨てになるのか!宗像を入れたら人ですらなくなる事を知っているのか!」
「それはどう言う意味だね。まさか比咩と通じていたのではあるまいな」
「そうだよ、私はあんたの妻と寝た。何が悪い!比咩は恋人を蛟にするのか!」
それを聞いた辺津比古は、先ず蛟にするのをやめさせ、「比咩に聞いてくる」とその場を去った。
そして辺津比咩を呼び出し、事の詳細を聞き出した。
「そんな事がある筈がございません!何を仰るのですか。刑を逃れたいばかりにそんな事を申すとは…もはや見捨てておきたいくらいですわ。
辺津比古様、私をそのように見るなどとは悲しゅうございます。真周人殿は助かりたいからそう仰っておられるのでしょう。
蛟にしてくださって結構でございます。
三島に戻せぬならば秀真に送っても宜しゅうございます。武奈貴殿にお伝えくださいませ。私の恩は仇で返された、と」
辺津比古は頷き、そのまま刑を続けるよう戻って行った。
このたび2人改名してある。
三穂津彦→ 大穴牟遅
己貴→ 彦波瀲健
真周比古→真周人
↑この場合、「比古」を取られるという事は王子から一般人になる、と云う事である。
天の益人とは、大祓詞に出てくる天津罪、国津罪を犯した者の例えとして書かれている。
https://ameblo.jp/mishima-iori/entry-12673917790.html
御船の国→現在の愛知県。尾張御船の国と云う。魏志倭人伝では不弥国として書かれている。
https://ameblo.jp/mishima-iori/entry-12675316242.html