大国主の旅
国作り編1
三島では武奈貴は飾りの王となっていた。
確かに三島の王位は戻った。妹で妃の御梶日女も武奈貴が捕虜になっている間に兄の高比古が貰っていたが戻ってこれた。
だが25年の歳月はあまりに長すぎた。
御梶日女には既に高比古の子がいた。他に王子が居なかった為、父の国の美濃を治めていた。名を三島健と云う。
その後も御梶日女との間に子は恵まれなかったが、出雲に戻ってから妻を迎えた。
泄謨觚の娘で双子の姫、二上姫と高津姫と云う。二上比咩には姫が2人、高津比咩には王子が2人生まれた。
姫は多岐都姫、三奈津姫
王子は真周比古、布都比古
と云う。
それらの子達を後に八十神と呼んだ。
出雲健は武奈貴を王位には戻したものの、秀真の子を日嗣御子に据えるには少し問題がありすぎた。
天鈿女との子は淡路島で育てられた。姫は縄実と言い、またの名を頬那美神と云う。
王子は淡島の湊で育った秀真の子の意味で湊秀彦、または三穂津彦と言ったが、
2人とも布都主泄謨觚の子にちょっかいばかりかけていた。
「2人の子を秀真に戻そう」
出雲健はそう提案した。
「それは無理だ。秀真に2人を戻したらお前の命はないと思え、と言われている。攻め込まれるのを承知で返せるものか」
武奈貴はそう言って承諾しなかった。
出雲健は次に聞いた。
「三島の日嗣御子をどうするのか」
「真周比古を三島の日嗣御子に立て、布都御魂健比古殿の娘を娶らせれば問題ないだろう」
「では三穂津彦はどうするおつもりか?」
「まずは様子を見よう。そして言っておこう。三島の地は継がせるとは言えない」
「それでは、もしも使える王ならば何処かを継がせよう」
それを聞いた出雲健はそう答え、
前の布都御魂であった高比古と三島の六甲比売の娘であった松浦比売に三穂津彦を三島の王子としての教育を頼み、
根の国の日嗣御子として相応しいかを試す事にした。
縄実のほうはそれは叶わぬと判断し、秀真に帰された。
折しも泄謨觚の息子、武奈貴比古に捨てられたばかりで、それが口実となった。秀真は「要らぬ」と言ったが、「根の国でも既に醜聞になっていて他に嫁ぎ先がない」と返した。
縄実はその後、秀真に戻り天鈿女として暮らした。
そして出雲健は、布都主泄謨觚と松浦比売の姫、須世理姫を三穂津彦からひき離すつもりで越の己貴に嫁がせようとした。
だが己貴は断ってきた。
「まだ秀真の日向比咩もいるし、布都比売以外の正妻も娶るつもりもない」
なので出雲健は諦め、とりあえず須世理姫は大叔父の高比古の実家、美濃へ行く事となった。
高比古は須世理姫を快く受け入れ、泄謨觚は「ならず者に盗られないように」と厳しく見張らせた。
須世理姫は武奈貴に文を送り、三穂津彦が成すべき事を聞き、
「何かご協力できる事はありませんか」と聞いた。
「これから教育が始まるので先ずは世間的に我が子だと認められなければならない。
それまで根の国を守る他あるまい。そして教育が成功すれば、根の国の美保の地を治めさせるつもりだ」
と武奈貴は答えた。須世理姫は
「美保の地では小さすぎますわ。そこまで器の小さな方ではありませんもの」と返し、
武奈貴は「まぁ見ていよう」と答えた。
三穂津彦は確かに武奈貴の長男ではあったが母親の出自が低い事、さらに敵の間諜の恐れがあった事から殆ど無視されていて、その代わり腹違いの弟2人に期待をかけられていた。
真周比古は異母妹の多岐都姫を妻に迎える事が決まり、布都比古は己貴と布都比売の娘、多紀理毘売を迎える事が決まった。
2人とも正当な根の国の王子である事を認められている中で、妻も迎えられずただ1人存在すら認められない三穂津彦を皆、目の敵にして嫌っていた。
そして兄弟に命を狙われてもいたので暗殺を避ける為、養母となった松浦比売の国、周防へ行く事となり、根の国を出た。