秀真と熊襲
暫くした紀元前210年前後、秦から徐福一行が北九州の根の国へ来た。
徐福とは古代中国の斉の国の出身で秦の始皇帝に仕え、
不老不死の妙薬を探す為に蓬莱山を目指し、日本に渡来した、と伝えられている。
始皇帝を騙し日本で平原湿地の王となり秦には戻らなかった、と云う伝説が残っている。
日本各地に徐福が立ち寄ったと言われる伝承があり、秦の民は2度に渡り渡来したと云われている。
この度徐福が初めて降り立った場所は現在の福岡県の八女市であった。
そして徐福は其処にいた三島の兵に取り次ぎを願い出た。
「私は秦から来た徐福と申します。
倭の地に役立つ知識と技術を連れて参りました。
根の国の王に合わせてください。」
と言い、当時根の国の王だった布都御魂、
高比古に言った。
「私達は蓬莱山を探しています。
其処に神のお告げがあり、2人の神の子を連れて来ようとしています。
先ずは私の子を連れて参りました。そこに探し物をしたく存じます。」
と。そして高比古はこう聞いた。
「探し物とは何であるか」
「蓬莱に眠る、秦の王を救う物です」
「富士の持つ霊的な力が蓬莱と呼ぶかもしれない」
「其処に3千の民と住んでも宜しいですか?」
と聞くと、高比古は其れを了承した。
そして徐福は船で蓬莱山を目指すべく、
根の国の各地を回り、其処の王達に許しを貰い、
最後に富士の麓の駿河に身を置いた。
徐福は富士の麓に「秀真」(ほつま)
と云う都を置き、その地で蓬莱の山を富士と認め、「不死の山」として祀り、
秀真を絶えぬ都にすると誓った。
そして徐福はその地で2人の息子に
「秀真の王は世界を制す王となれ」
と告げて静かにこの世を去った。
だが暫く数年して秦が滅亡すると、落ち延びた秦の民が三島の倭の祖国、奄美にたどり着く。
「本当は先人が辿り着いてる筈だ。何処にいるのか」
と秦の民は奄美の女王、清世に聞いた。
「この世界は広いから」
と言い、女王 清世は教えなかった。
秦の民は怒り「自分で探す」と言い残し、
転々と移動する事になった。
そして隣の九州の狗奴国に辿り着き、狗奴の王、蘇我健に会う。蘇我健は
「秀真と言う国を作った民がいて、奴国を取ればその場所を教える」と言った。
秦の民は、それをすぐさま実行し、奴国を取る為に隣の伊勢を占領した。
そして奴国の民は服従を強いられ、伊勢を取られた三島の神官、真礼日子は
「何故このような事をした」
と憤る。秦の将軍はこう答えた。
「そなたの国の王は秀真の場所を教えなかった。狗奴の王は此処を取れば教えると言ったからその通りにしたまでだ」
真礼日子の息子、武奈貴は
「秀真の民は自分で探せとの事だろう。そこに我が国まで巻き込むな!」
と言った。秦の将軍は
「なれば秀真の場所を教えろ。だが狗奴の王は我らが此処を返しても攻めてくるだろう。
其処で提案だ。我らが秀真に行けば此処を返そう。それまで此処を我らに預けろ」
真礼日子は「秀真の民の場所を教えるから伊勢と奴国を必ず返せ」と言った。
秦の将軍は「それなら教えろ」と言い、真礼日子は秀真の場所を教え、
武奈貴は狗奴の蘇我健に抗議すべく狗奴の国へ行った。
「何故秦の民を使った?そもそもそなたは秀真の場所を知っているのか!」
「秀真など知らぬ。取られたそなた達が悪いのだ」
蘇我健は小馬鹿にした態度で耳をほじりながら開き直った。武奈貴は無礼な態度に腹を立てながらこう言った。
「知らぬのに教えると嘘をついたのか。卑劣千万だな」
蘇我健は聞く耳を持たず
「秀真へ案内してやれ」とそっぽを向いた。
武奈貴と蘇我健は両者一歩も譲らず争いになったまま、戦が始まった。
そして狗奴の国は真礼日子と武奈貴を相手に秦の民を使い、伊勢と奴国を完全に占領してしまった。
結果、狗奴の国は自らは秀真の場所を教えずして奴国の民を服従させた。
だが、真礼日子が教えた秀真の地は、生前の徐福から固く口止めされていた。
2度目の渡来の時に連れてきたあまりに多すぎる民達に、不審に思った高比古が問いただした時、徐福はこう答えたのだ。
「実は逃げて来たのです。秦の皇帝は不老不死の妙薬を探せと仰せになり私達を旅に出しました。だが我らは医術も心得ております。
そんなものがあるはずもない事は知っているのです。
知れたら我らは死罪になるでしょう。なので祖国の者が来ても我らの住みかは絶対に知らせないでください」
そして老齢の徐福亡き後、新しく秀真王となっていた天鳥船、天羽々斬の2人は秀真の場所を教えた三島の民に激しく怒り、狗奴国側についた。
そして秦の民と合流し、秦の王、始皇帝は既に崩御し、国も滅亡した事を知った。
秀真の民と合流した秦の民は和解し、狗奴国の葛城と結婚で同盟を結んだ。
アマミキヨ→今作では他の神々同様、役職名で女王を清世と呼ぶ。伝説では琉球の始祖として描かれている女神。
奴国の移住経路→この回では奴国は奈良にある。移住経路は鹿児島→宮崎→奈良
狗奴国の領土→熊襲とも云う。今回で領土は広がり熊本、鹿児島、宮崎となった。
秀真→秀真伝と云う古史古伝が現存する。現代では国と認識されていないが、富士山嶺の駿河(静岡)に作られた徐福の国。登呂遺跡などが有名である。
健→根の国では王の称号。襲名制だが退位したら返上し、改名する。
熊襲では武人として誉れ高い者に終生付けられる名である。