天地開闢
素戔嗚尊曰く。紀元前1046年頃の事である。
「古代中国の王朝、殷が滅びて紂王亡き後、王族の一部は朝鮮半島の百済に行き、また一部は最初に倭の奄美に流れ着いた」
と伝えられた。
殷の王族は10余りの王家で構成され、交代で王位に就く。太陽神の子孫として君臨し、占いや神の言葉を聞く巫女によって神託が下され、王がそれを選択し、実行していた。
殷の時代に王家のいくつかは絶えたが、そのうち残った王家の一部、後の王仁氏は朝鮮半島の百済・現在の百済に定住した。
そして日本の礎を築いた残りの5つの王家は奄美にたどり着いたようだ。
のちの3世紀、魏志倭人伝で邪馬台国と呼ばれた弥真登は、この殷の王家の末裔であり、
女王卑弥呼にはただ一人女王に会うことができる男性がいたと書かれている。それは神託を聞き、それが正しいかを判断し実行する、審神者と云う役割をする王であった。
謎多き巫女王、卑弥呼の正体を全て知るためにも、彼女の先祖達がどのような人々であったか、改めて探ってみたいと思う。
そして殷の紂王とは殷最後の王。
妲己と云う傾国の美女に誑かされ、酒池肉林 等の退廃的な遊びや炮烙と云った残酷な刑罰を繰り返していくうちに民や臣下の心が離れ、結果。
周に攻め込まれ国を滅亡させてしまった。
妲己を喜ばせる為に紂王がした愚行のうち、
酒池肉林は池に酒を注ぎ、木に肉を吊るし、裸の男女が戯れ合う退廃のハーレムであった。
炮烙は炎の中、焼け爛れた銅製の筒に油を大量に塗り、罪人を裸足で渡らせる刑罰である。
後に妲己は、周を滅ぼした褒姒、日本の玉藻前と同じく王を美貌で惑わし国を滅ぼす「九尾の狐」の化身と云われるようになった。
狐といえば稲荷、稲荷といえば秦氏である。これは何かの示唆、暗号であるのかもしれない。
倭国大乱の実態とは、中東のシュメールから始まり、ヒッタイト、ユダヤの民族に続き、中国、朝鮮半島、そして東の果てのヤマトにまで続く、殷•周秦の末裔を中心とした三つ巴の戦いの物語である。
そして素戔嗚尊は言った。
「殷の民が九州にたどり着いた時、南部には既に古代から住んでいた他の部族がいた。熊襲・奴国である。」
熊襲は周の民の一部が国を逃れて作った集落で好戦的な一族であり、現在の熊本にあった。
王族はのちの葛城氏である。
奴国は殷より前の夏王朝と云われる謎多き中国最古の王朝の末裔であり、
日本に渡来してからは現在の鹿児島県あたりに「古夏」と名付け、長く住んでいた。
他に領地は加賀・日高見・常陸・毛野国・陸奥などがあった。
現代で云う栃木、群馬、茨城などの北関東や、
石川を始め東北、北陸地方ほぼ全域に渡る広大な領地であった。
かつて滅した夏王朝の末裔と、自分達の国を滅ぼした周の民がいたのでは住みづらい。争いを避けた殷の民は北上し、北九州に集落を作った。
だが朝鮮半島からよく敵が攻め込んで来た。それは主に周の落人であったのでその地では落ち着かず、見張りを置きながら一部は日向に南下し、他は東の本土へと勢力を伸ばしていった。
そして殷の子孫は津国まで勢力を伸ばし、その地の王族、経津主と繋がり、
布都の一族は殷の民と同化していった。
経津主の王家は縄文時代から続く古代日本人である。
布都御魂と云う王家もいるが、そちらは満州、シベリアから渡来したツングースの民が経津主の王家に嫁ぎ、其処から発展した分家である。
「当時、布都御魂は根の国、経津主は津国にいた。殷の民は三島と名乗り、その名を付けた地で暮らしていた。そして三島は津国の聖地、伊勢の神官となりそこを中心に栄えた。」
現在も三島と付いた地名やその名残を残した地は日本各地に残っている。
三島は持ち前の様々な知識や技術を他の国に与えながら、先住民族と交流を持ち、平和に暮らしていた。
そして民の数が多くなるにつれ、奴国からも紀伊半島の領土、現在の奈良も譲り受けた。
長い月日が流れ、周が滅んだ紀元前256年頃、
朝鮮半島の百済を経由して倭に渡来した周の氏族、のちの蘇我氏が九州南部の奴国、古夏にたどり着き征服した。
そのまま国名を乗っ取ったので此れを狗奴と呼ぶ。
元々いた奴国の民は隣の日向に移住した。
日向にいた三島の民は国を譲り隣の四国へ移住した。
蘇我氏は上に位置する熊襲が同族だったので合流し、日向も占領しようとしたので、
日向にいた奴国の民は船で紀伊半島に移動し、伊勢の殷の民に助けを求める。
三島の民は伊勢を守る事を条件に、奴国の王に現在の奈良を返還する事になった。
夏→ 現在確認されている中で中国最古の王朝、夏王朝。文献もなく、全てが謎に包まれている。
紀元前2000年頃〜紀元前1600年頃。
殷に滅ぼされたのち日本に渡来し、奴国を建国する。
鹿児島→奈良へと遷都する。
魏志倭人伝では邪馬台国の領土で伊都国から奴国へは東南百里と書かれている。
殷→古代中国の王朝。中東から流れてきた民族。
紀元前17世紀〜紀元前1046年。商とも云う。商人の語源とも云われている。
殷王朝滅亡後、日本に渡来し根の国の出雲王朝を築き、領土に三島と名付ける。
古代の豪族忌部氏の先祖。
周→殷を滅ぼした古代中国の王朝。中東から流れてきた民族。
紀元前1046年〜紀元前256年(西周)
紀元前770年〜紀元前256年(東周)
日本に渡来し、熊襲・狗奴国を築く。
熊本→葛城の熊襲
鹿児島→蘇我の狗奴国
同化しているので他国の者は双方の名を同じ意味で使う。
魏志倭人伝では邪馬台国に従わない狗奴国として書かれている。
古代の豪族、葛城氏•蘇我氏の先祖。
津国→摂津。現在の大阪と兵庫の一部。
日向→日向現在の宮崎県あたり
布都御魂→ 一般的には剣の切れる音、剣の名前と認識される。古代の根の国を治めていた王の称号。
後に津国=伊都国の王となる。
経津主→古代の津国の王。後に播磨王となる。
神話では香取神宮の祭神であり葦原中国平定の時に武甕槌と共に派遣されたと書かれている。
当時、根の国は代々同じ王家がその土地を治めるのではなく、連合国内の王や王子を派遣し王位につかせていた。治める国がしょっちゅう変わる、王が交代する事はよくある事であった。