聖女 センノ・ノクターン1
聖女センノは顔を真っ赤にさせながら激高していた。
「それに、貴女……! あな、たッ! 身体に、べっとり……ぃ!
邪悪な、魔力に、絡み付かれて……混ざり合って……!
あああ貴女、神の花嫁でしょ?! 純潔の誓いはどうしたの!
シスターの癖に穢らわしい……!」
「あらあら。聖女様レベルになると、分かってしまいますのね。
んっふふ。そんなにお顔を真っ赤になさって……。
神に等しい方に愛でられる事が、純潔の誓いを破る行為とは思えません。だってこれは汚染を注ぐ救済処置ですもの。
お陰様で、綺麗さっぱりと全てをタツヤ様に清めて頂けました」
「屁理屈めいた世迷い言を……!」
聖女センノが何らかの魔法を発動しようとした。
が、音もなく密やかにしかし、するりと素早くファスが聖女を拘束した。ファスのしなやかな指が聖女センノの顎を強く押さえ込んで、呪文の詠唱を阻害する。
聖女センノは死に物狂いで抵抗するも、ほっそりとした身体は大した力も無く、自己強化の魔法を行使しているのか淡く金に輝くファスの捕らえる腕はビクともしない。
ファスは悠々と、後ろ手で自分の部屋の扉を閉ざした。
聖女センノのおびえを纏った紫の目が、閉じゆく扉を追い縋る。
助けの声も上げられず。助けを求める手も伸ばせられず。
ゆっくりゆっくり閉じていく扉。
パタン、と閉まりきって。
聖女の逃げ道は完全に閉ざされてしまった。
「ふふ。お一人で突撃して下さって嬉しいです。
タツヤ様に救って頂ける可能性が増しますものね。
わたくし、分かっております。
本心では、タツヤ様の救いを欲されているのでしょう?」
「ッ! 誰が! そりゃ、私が迂闊だったけど。
でも、目が覚めたら途端にとんでもない邪悪な魔力を感じたんだもの! 仕方ないでしょ!?」
「なあ、邪悪って、俺の魔力の事か?」
「……っぷは!
そうに決まってるでしょ、この、バケモノ!
何なのよ、その馬鹿みたいに大量の魔力!
それにファスまで洗脳して……! 許さない! むぐっ」
「バケモノ……洗脳だなんて、俺」
「お耳をお貸しにならないで下さいタツヤ様。
これなんです。この聖女センノ様のこの状態こそ、魔王の残した瘴気の仕業なのです。
清らかで正しいタツヤ様の魔力を邪悪と感じてしまう。
世界を救って下さるタツヤ様を、敵なのだと思い込んでしまう。
これこそが、真におぞましき魔王の残り香。
もっとも清らかで正しく在るべき聖女様でさえも、この汚染具合。
世界は危機に瀕しているのです。
貴方様に愛でられ、貴方様の猛々しき清らかなる魔力を注いで頂かなければ、このように魔王の毒に屈してしまうのです。
どうかどうか、世界をお救い下さいタツヤ様。
貴方様の魔力だけが、わたくし共を正しく導き救う事が出来るのです」
真摯にタツヤを見上げて潤む萌葱色に、タツヤもまた真摯に答える。
「それが俺にしか出来ない事なら、がんばってみるよ」
「良かった……ぁ! 有り難うございます!」
「それで、その。気の早い話かもだけど、この世界を救えたら、俺って元の場所に帰れるのかな?」
「そんな! 帰ってしまわれるのですか……!
何でも、何でも、タツヤ様のお好きなように整えますから!
どんな物でも人間でも取りそろえますから、だからどうか……!」
「いや、そこまでしてくれなくても良いよ。
帰りたいけど、ファスに会えなくなるのは、寂しいな……。
って、ちょっと彼氏面って奴が酷いか! ごめん!」
「いいえ嬉しいです! もっと思って頂きたいです!
だからわたくし、頑張りますから! 元の場所よりわたくしを愛でていたいと思って頂けるように、いっぱい覚えますから!
だからどうが、ファスにずっと、貴方様の愛を教えて頂けたら……」
「ファス、可愛い……!」
「ひゃぅ……」
「んー!! んんんんーーー!!!」
何かに憤慨した様子の聖女センノの喚く声に二人ははたと我に返る。
「あ」
「あら」
「コホン。それでタツヤ様にはこちらの聖女センノ様を浄化して頂きたいのです」
「浄化って、昨夜ファスにしたみたいな事するの?
おれ、ファス以外に出来るかな……」
「あぅ。あの。そんな嬉しい事ばかり仰らないで下さい、悶えちゃいそうです。
あの、タツヤ様ほど規格外の魔力と器量をお持ちでしたら、本当は奥方の10や20は所持していて当然だと、ちゃんとわたくし、弁えておりますから……。でも。その、うれしいです。
それで、聖女様の浄化ですが、実際に愛でなくても大丈夫です。
タツヤ様の魔力は浸食型。
ずぷずぷと注いで頂ければ、聖女様の魂の核にまで染み込んでいって、タツヤ様を侮る不遜に澱んだ瘴気を払って、聖女様の魔力をタツヤ様の魔力で染め上げ、貴方様仕様へと改良し、タツヤ様の魔力に従順な清く正しい状態へと塗り替える事が可能です。
汚染が浄化されたならば、この歪んで間違った思想も正され、タツヤ様こそが世界を救って下さる尊い唯一の方だと、思考の随の随にまで刻み込まれているでしょう」
「それは……その」
「何にもおかしい事はありませんよ?
貴方様のご足労を頂かねば崩壊してしまう程度の世界。
貴方様に従順になるのなんて、当然の義務なのです。
寧ろ言われずとも自然とそうなるべきですわ。
いえ、自然とそうなるに決まってますが。
だってわたくし達、貴方様に愛されねば、魔王軍に進行されて死を待つだけの生き物ですから。救って下さる御方に対する当然の敬意と、感謝の姿勢となっていくだけなのです」
恍惚とした表情で滔々と騙るファスを見つめて、聖女センノは怯えきった表情を浮かべていた。
「怖がらせてゴメンね。でも、きっと君を助けるから」
おぞましい邪気を纏った青年が、身の毛がよだつほどに穢らわしい魔力を膨大に保有した青年が、実直そのものの表情で聖女に語りかける。どこにでも居そうな、中肉中背の平均的な容貌の男性。
その落差が、聖女センノは怖ろしい。
ごく普通そうに見えるのに、魔王もかくやといわんばかりの邪を纏う。そのくせ、その性格は邪悪な質では無いようだ。
性格からくる邪悪さではなく、生まれ持った魔力の質が、とんでもなく邪悪だったということなのだろうか。
見るからに純朴そうで、恐らくはファスが初めての女性なのだろう。一夜でファスに夢中にさせられている様だ。彼女に対する責任のような物も感じているらしい。
彼はどうも愛したファスの言葉に弱い。
よくよく聞けばおかしな言い分のファスの言葉に従っている。
ならばおかしいのはファス・ファタールか。
と、いうことは――――
「接続魔法、発動。『一瞬千夜の蜜月状態』!」
何らかの、ファスの魔法が聖女に掛った。
何よこれ何よこれ何よこれ!
属性も、形質も、全くが異質。
一欠けだって解析できない。
接続魔法? そんなの一度も聞いたことない!
抵抗だって出来なかった。
魔力の量には自信があったというのに。
だって、だって、私はせいじょ、だっていうのに。
目の前の強大な魔力を前に、己の力のちっぽけさを知る。
理解不能がただただひたすら怖ろしい。
男の大きな手が伸びてくる。
どろりと澱んだ魔力をたっぷり滴らせて。
聖女センノは渾身の力でもって身をよじる。
されど身体はほんの僅かも動かない。
叫びたい唇は塞がられていて。魔法だって打てなくて。
手が。
手が、迫ってくる。
なにか、致命的に、歪められて、しまうもの。
そんなどす黒い何かが、ゆっくりゆっくり聖女の前に近付いてくる。
逃げられない。
センノは全く逃げられない。
ああ、男の手が、センノに触れる。
ぞくん、と身体が大きく震えた。
浸食される恐怖。
末端からじとりじとりと穢されていく。
こわいこわいこわいこわい!!
わかる。分かってしまう。
どす黒く穢れた箇所は、もう二度と、元には戻れないと。
もがいて、核だけは、魂の核だけはと逃げようとする。
でも、もう、センノの足は、男の色に染まってしまった。
ずぷずぷと、穢れがセンノの身体を這い上がっていく。
じっとりと舐め上げられていく感覚。
歯を食いしばる。
だって声が漏れそうだ。我慢しなきゃ。
我慢。
一体何を、我慢する? だってこんなに心地――
いいや、いいや! と聖女は激しく首を振った。
センノは聖女なのだから。
こんなモノには屈さない。
清らかであれと託された。強くあれと託された。
幾多の弱者の代行者たる、聖女その人なのだから。
ぞろりと不意に魔力に擦り上げられて、甘く濡れた悲鳴が零れる。
何て酷い声だろう。
断続的に声が出ていく。
染みこんでくる、あまい感覚。
こんなにおぞましのに、どす黒くて気持ちの悪い形状のモノだというのに、嫌で、嫌で、たまらないと。確かに私は思っているのに。
ああ、ああ、どうして私は、こんなになって……。
涙がほろほろ零れてしまう。
何て情けない声だろう。
聖女だから、ちゃんと正しく清らかでいるべきだというのに。
なんて爛れきった声。
この喉から、自然と漏れて、しまう声。
信じられない。これが、私の声だなんて。
下腹部が沈み込む。
もう悲鳴が止められない。何て嬉しそうな声。
うれしそう?
わたしは、これを、嫌だと……嫌だと、おもわなければ。
ずりゅん、と強く注がれ、不意に思考が蕩かされる。
これは、いやな、モノなのだろうか?
いや、いや……だったはず。
いやだよね? わたしは嫌だと、おもっているよね?
まだわたし、おもえて、いるよね?
いや……、ぁ。
ぅ、そ。 まだ、なの。
だめ。 もう、かんべんして。これ以上は……!
これ以上注がれると、わたし、ただしく(・・・・)させられちゃう――!
聖女センノはとろんと蕩けた瞳を開いた。
鋭き理知は蕩け消え、強烈な自我はそのままに、方向性だけ正される。
途方もない悦楽を、脳髄の奥に深々と染み付くように刻まれた。
ぴくんぴくんと華奢な身体は痙攣し、改良された余韻に溺れる。
聖女センノは知らなかったのだ。
タツヤに愛でられ正されていく悦びを。
魔力をどぷどぷ注がれて、センノにこびり付いていた過ちは全て洗い流され、間違っていた己の視界が反転する。
ああ、本当の本当に、ファスの言う通りだったのだ。
くたんと腰の抜けたセンノは思う。
この目は曇っていた。間違ったモノを正しいと認識させられていた。
聖女センノはタツヤの大きな手に懐く。
こんなにも温かくて、優しくて、とてもとっても清らかな魔力だったというのに。どうして今までセンノはこの尊きモノを、どす黒く邪悪なモノと認識していたのだろうか。
魔王の残り香とは本当に怖ろしいものだ。
浴びるだけで心地よい、触れられるだけで蕩かされる、注がれたならば古く歪んだ過ちの全てが溶け消え正される。タツヤの注いでくれた魔力は、そんな得難き破邪の光を帯びた魔力だったというのに。
どうして私は嫌だなんて思っていられたのだろう。
これ以上の得難い幸いは有りはしないに決まっているというのに。
「本当にごめんなさい……私、間違っていたわタツヤ様。
どうしてこんなに綺麗で清らかな魔力を見誤っていたのかしら。
私、これでも聖女なのに」
「浄化、された?」
「うん。もう私の身体、隅から隅まで浄化済み。
きっちり綺麗に貴方の魔力に染まったわ。
ほら、見て。ちゃんと救済刻印、刻まれたわ」
聖女センノはもったりと緩慢な動きで、スカートのウエストベルトを限界までずり下げて、自ら己の下腹部を見せる。
救済刻印ノ2 センノ・ノクターン
習得接続魔法 並べて聖女と同調すべし(ピュア・イノセンス)
「ありがとう、タツヤ様。
私、貴方の為になる魔法を注いで貰えたみたい」
「魔法って、そういえばさっきファスが言ってた、接続魔法って奴?」
「はい。身にタツヤ様の魔力を蓄えている間、つまり貴方様の魔力と接続している間だけ使える強力な魔法です。
わたくしの接続魔法は、一瞬千夜の蜜月状態。
どうやらタツヤ様の浄化を補助する魔法らしく、タツヤ様に魔力を注がれる時に得る絶対的な多幸感を、一瞬の間に千夜味わっている様な感覚を植え付ける効果があるみたいです」
「ああ、そうだったの。手間をかけさせたわねファス・ファタール。
私の改良を手早く終わらせてくれて有り難う」
「いいえ大したことではありませんわ。世界を救う為ですもの、聖女様のお力添えは必須ですから」
「そうね任せて。本来ならば瘴気の浄化は、聖女たる私の務め。
タツヤ様に全てを頼ってはいられないわ。私がタツヤ様に教えて頂いたモノ全て、信者達に教え込んであげる。きっと上手くいくわ。
だって私の接続魔法『並べて聖女と同調すべし(ピュア・イノセンス)』って多分、聖女たる私の認識を他者に浸透させるって効果だと思うもの」
「後で試してみないとね」
「ええ。もし駄目だったらタツヤ様の手を煩わせてしまうかも」
「大丈夫だよ。瘴気の除去の為だもの」
「さっすが勇者様~!」
「ゆゆゆ勇者だなんてとんでもないよ!」
「でも、タツヤ様、名前の前にユウキって称号みたいなのついてるじゃない」
「名字だよ、名字! ファスだったらファタール、センノだったらノクターンみたいな、家の名前だよ」
「でも、なんか。救って下さる人って感じがする」
「確かに、タツヤ様が勇者様ってピッタリですね」
「俺、戦う事とか出来ないよ! 勇者って、魔王とか倒すんでしょ!?」
「魔法は私が教えるし!」
「剣ならお教えできますわ」
「う、うん。がんばる。強くないとこの世界って危ないだろうし。
何かあった時、俺が二人の足手纏いとか嫌だし。出来れば二人を護る! ってくらいにはなりたいもんな。俺、男だし!」
「あぅ、その。勇者に必ずしも武力は必要ないかもですが、わたくしが寧ろお守りすると思っていたのですが。でも、タツヤ様がわたくし達を護って下さるなら……ファスめはとても嬉しいです」
「別に、誰かに護って貰わなくても私は強いけど! 魔法限定で! 腕力面ではご覧の通り……あっさりファスに捕まって。まあ、善い事だったから結果的には良かったんだけど、でもだから、魔王の手先に再洗脳されたら嫌だし。……護ってくれるってんなら、嬉しいな」
「うん頑張る。
とにかく今は、浄化を進めて行こう!」
「はい。手始めにここ、龍主教会のシスター達と祈りに訪れる信徒の人々から浄化していきましょう」
「思考が私と同じに塗り変われば、無駄な抵抗なくタツヤ様の加護を与えられると思うわ」
「地道だけど、コツコツ救済していこう」
「はい!」
「ええ!」
「そして教会勢力をタツヤ様のモノに作り替えたならば、次は」
「女王リンリ」
「リンリスト女王国の国家元首、ですわね」