2・探しても、見つからないもの
煙を吸わないように口と鼻に布を巻き、馬車の幌を開く。馬車の中からは薄赤い甘い煙が馬車の外に流れる。
酔いと惑いの赤い煙。
これが人の求める幸福の形なのか。
馬車の中は小便と吐瀉物の臭い。それにレードの甘い匂いが混じり、なんとも言えない甘くて腐った匂いがする。これが地獄の香りだろうか、それとも天国の香りだろうか。いや、この世にあるから、これはこの世界の匂いだ。
馬車の中は女達が寝ている。レード、幻覚作用のある麻薬に加えていくつかの薬を飲まされた女達。行き場を無くした借金奴隷か、親に売られた女か、病気になった売春婦か。中には冒険者ギルドに逆らった者もいるのだろうか。
馬車の中の女達は薬がきまって頭の中は溶けている。正気の奴はいない。虚ろな目で半笑いで、ひひひ、とか、けけけ、とか笑っている。
なにもかも解らなくなるまで、脳が麻薬で溶ける。これこそが幸福の形なのかもしれない。
そんな女を袋に入れて肩に担ぐ。他のギル奴も同じように、女の入った汚れた白い袋を肩に担ぐ。薬がきまって脱力した女の身体は、意外と重くて運びにくい。脱力してグニャリと弛緩する人の身体は、つかみどころが無い。
嫌な仕事だ。それでもその仕事に慣れてしまった。慣れてしまえばどうということも無い。
ギルドの職員が先頭に立ち、森に入る。俺達もその後に続く。これは冒険者ギルドの仕事だが、ギルドの冒険者は俺達がこんなことをしていることを、知っているのはどれだけいるのだろうか? 知らない奴が多そうだが、知ったところで何か変わるというのだろうか。知っていて口を塞いでいるのはどれだけいるのか。金を得る仕事を守る為に黙っているのはどれぐらいいるのか。
誰も正しく在れはしない。正義を通して生きられるほどに、世界は甘くも優しくも無い。
掲げた理想だけでは食っていけない。そして叶わぬ理想が子供の希望を殺していく。
魔王を倒した冒険者、その冒険者の相互扶助たる組織の冒険者ギルド。その利益を守るギル奴の仕事。
森の中を女入りの袋を担いで歩く。額から汗が出る。袋の中で女がモゾモゾと動いている。レードと薬で幸せな夢でも見ているのだろうか。
この女にとっては先のことも自分のことも、もう何も解らなくなった方が幸福なのか。
何も知らず何も解らないことが、幸福なのかもしれない。少なくとも幸福とはなんなのか、とか、生きるとはなんなのか、とか、生命とは、運命とは、使命とは、なんてくだらないことを悶々と思考しているよりはマシだろう。
善悪の彼岸に思い悩んだところで、俺に世界を変えることなど、できることでは無い。苦悩するだけ時間の無駄だ。
時間の無駄の余計な思考錯誤。
それでも頭の中は勝手に思考を走らせる。解っていてもやめられない。手綱が切れた馬車に乗せられたように、頭の中は何処かへ走るように思考を続ける、何処までも走り続ける。
幸福とは、どこにあるのだろうか?
脳内麻薬物質か、ドーパミンか、幸福感を得られないのは分泌量が足りないからか、受容器の反応が悪いのか。
誰もが幸福になれる手段は、無いのだろうか?
先頭のギルド職員が遠眼鏡で森の向こうを見ている。
「ここでいい、荷物を置け。あまり騒ぐな」
指示の通りに女の入った袋を下ろす。もう一往復して合計八人の女を、袋に入れたまま森の草の上に寝かせる。
「これで終わりだ。街に帰るぞ」
今回は無事に終わるらしい。このギルド職員は無茶をしないらしい。森の奥まで行きゴブリンと戦闘になったときは、ギル奴が二人死んだ。慎重な奴が仕切るとこちらも楽だ。無駄な戦闘をしなくて済む。怪我もしない。
馬車の周囲を護衛しながら街に戻る。行きと違い帰りは馬車の中は空っぽだが、掃除をしないと臭いが酷い。馬車の中はレードの匂いに小便とゲロの臭いで乗る気はしない。歩いた方がマシだ。
帰りの方が行きより少し気楽だ。ゴブリンのいる森に進むのと、人の街に戻るのでは、比べて気楽になって当然か。今回は戦闘にならなかったし、誰も死んでもいない。
いや、ときに死んだ方がマシなのか。ならば生きるとは、苦しむ為なのか。
この世界には魔獣がいて魔族がいる。いや、魔族はかつてはいた、と言い直すべきか。
魔王の軍勢はかつて、人間相手に戦っていた。人間は国の軍隊やら騎士団やら冒険者やらが、魔王の軍勢に対抗していた。
手を出したのはどちらが先でどちらが後か解らない。相手を悪と言うのは、自分は悪くないと思い込みたい心理の結果だろう。始まってしまえば勝ち負けが決まるまで争った。
魔族や魔獣相手に戦えるフリーの傭兵、そんな戦闘を仕事にするならず者の集まりを纏めて、傭兵稼業を斡旋する集団ができた。
これが傭兵ギルドと名乗らずに冒険者ギルドと名乗るのは、どういうことなのか。何が冒険者なのか。一応、冒険者は人間の国家間の争いには関わらない、ということになってはいる。
魔獣討伐に護衛、採取、魔王の軍勢の砦とも言われる地下迷宮探索、というのが冒険者の表向きの仕事だ。
村に住めなくなった乱暴者か、故郷を無くした復讐者か、一攫千金狙いの山師か、名を上げて貴族か王族に仕えるところを探す就職活動か、暴力以外に取り柄が無かっただけか、罪から逃げる罪人か。
ごろつきや前科者でも冒険者と名乗るとそれなりに格好はつく。魔族や魔獣から人を守る為に戦う戦士達だ。魔王の軍勢が元気な頃には、役に立つと重宝された。
この冒険者ギルドに所属する一流の冒険者、階級で言うと上の方の白金級、そいつらが魔王を倒した、というのが八年前。それ以来、魔王はいなくなり、魔族も魔獣も勢いを無くした。魔族の配下の亜人も数を減らして、今は昔ほどの活気は無い。
魔王を倒した冒険者達は、英雄とも勇者とも呼ばれ、今では国の貴族になったりとか、ギルドの上役になったりとか、報酬を貰えるだけもらって引退して田舎暮らしを始めたりとか、好き勝手にしているらしい。
金があって過去の名声で権力もある、これが成り上がりというやつか。
ただ、魔獣が少なくなると困るのが冒険者ギルドだ。魔獣討伐、魔族討伐、昔は頻繁にあった依頼が少なくなった。未探索の迷宮も少なくなった。魔王が消え魔族がいなくなれば、これは当然か。
だからと言ってこれまで腕っぷしで生きてた冒険者が、他の仕事につける訳も無い。冒険者ギルドを抜けて傭兵になったり、中には山賊、海賊に転職する者も出た。
奪って生きるを生業とすれば、その相手が魔族から人に変わっただけのこと。
魔王討伐を成した冒険者、英雄と成れたのはその一握り。残りは戦闘以外の稼ぎ方を知らない乱暴者と破落戸ばかり。戦う以外の能は無い。
冒険者にとって仕事が無くなるのは困る。しかし討伐依頼は減り、薬草の採取も魔族が攻めて来なければ、やがて薬草畑で育てるようになる。鉱石の採取も邪魔する魔獣がいなければ、採掘の専門家なんてのが現れる。冒険者で無ければできない仕事が減っていく。
では冒険者の仕事を増やすにはどうすればいいのか?
答えは人の敵となる魔獣と亜人が増えればいい。俺達、ギル奴の仕事とは冒険者の仕事を増やす、そんな仕事だ。
ゴブリンという亜人は雄が多く、他の種族の雌と交配しても子孫を残せる、という変わった種族だ。魔族が人類侵攻用に品種改良した種族らしい。
ゴブリンの雄は人間やエルフといった種族の雌と交配してゴブリンを産ませることができる。魔族もどうやってこんな不思議な亜人種族を作ったのか、
なのでゴブリンの巣に交配可能な人間の雌を送り届ける。冒険者ギルドが奴隷として入手した女。妊娠出産が可能そうな若い人間の女。
これを抵抗できないように薬で頭を壊して大人しくさせる。森の中、ゴブリンの巣の近くまで運べば、女を見つけたゴブリンが巣に持ち帰るだろう。
これでゴブリンが繁殖して数を増やす。俺達、ギル奴が運んだのはゴブリンが数を増やす為の、いわばゴブリン養殖用の人間の女だ。
ゴブリンの数が増えれば、ゴブリンが人の村を襲うようになる。やがて襲われた村から冒険者ギルドにゴブリン退治の依頼が来る。
これで冒険者ギルドへの仕事の依頼が途切れなくなる、という塩梅。
大工が仕事を増やすには、地震や火事で建物が壊れるといい。薬屋が稼ぐには病気が流行るといい。医者が儲けるには怪我人が増えるといい。パンを売るには飢えた人が増えるといい、これと同じこと。
経済は需要と供給で成り立っている。
冒険者が稼ぐ為には、人を襲う魔獣に亜人が増えるといい。
俺達、ギルドの奴隷、ギル奴はそんな汚れ仕事をするための、最底辺冒険者だ。