1・ギル奴の仕事
幸福になる方法を探している。
◇◇◇
働いて一日の糧を得る。それは何時でも何処でも変わらないものなのか。微かに記憶に残るかつての暮らし。それと比べてどうなのだろうか? 今の方が解りやすく面倒が少ない分、マシなのかもしれない。
やってることはあまり代わり映えはしない。表面を取り繕う手間が少なくなった分、楽ではある。金を得る為の仕事というのは、何時でも何処でも碌でも無い。
続けるコツは自分が何をしているかを理解しないこと。なまじ頭が回ると要らない苦労を背負うことになる。
それは昔の、前世の記憶の中でも変わらず、今の今世でも大きく変わりはしない。
時間を殺して金を得る。金を得る為には何かを殺す。それが自分の時間であったり、良心とか、正義感とか、肉体の疲労に損傷、そういったものを切り売りすることで、金を得る。労働で得た金で食料を買い、食料を食らって自分の身体を生き長らえさせる。
生きることを諦められるなら働かなくてもいい。労働に生き甲斐を感じられる者は、生きることも少しは楽だろう。
しかしそんな幸運は誰もが掴めるものじゃ無い。我慢しながらも続けられる仕事が見つかればマシというところか。ほとんどの人間はやりたくも無い仕事を我慢して続けることになる。
なぜなら金を稼ぐ手段とは、行き着けば、奪う、盗む、騙すの三つだ。他人を騙すのが好きな人、他人から奪うことに生き甲斐を感じられる人ならば、笑顔で金持ちになれるだろう。
照りつける陽射しに炙られながら、二台の馬車を護衛して進む。馬車の周囲には俺と同じギル奴がうつむき気味に歩く。
剣と魔法の世界に生まれ変わっても俺は俺、つまりクズはクズだ。少しばかり前世の記憶があったところでどうにもなりはしない。
冒険者ギルドに買われたギルドの奴隷。略してギル奴。だけど奴隷と言ってもやってる仕事自体は楽なものだ。
前世風に言えば、労働時間は、拘束時間は短いから。
日が落ちれば暗くなる。暗い中で仕事をするのはランプの油がもったいない。明かりを灯す魔術を使える者もいるが、奴隷に働かせる為にいちいち魔術の明かりをつけたりはしない。
だから日が落ちてからも仕事、というのはそれほど多くは無い。あまり思い出したくも無いが、この世界の奴隷の方があの世界よりもいくらかマシのようだ。
深夜まで残業とか、勤務先の倉庫に泊まり込みとか、一日二十時間勤務とかは、ここには無い。その分、身体は楽だ。
技術が進めば進む程に人の労働時間は長くなる。便利な道具が溢れた世界は、過去の奴隷よりも長い時間、働かされるようになる。不思議なことに。
便利で効率が良くなる程に、大量生産で単価が下がり、利益率が落ちる経済の不思議さ。理論的には矛盾してる気がするが、実態は歴史が証明している。
産業革命の後に過労死が増えている。
だが、未だ発電機も無く街灯も無いこの世では、電気が蔓延する前世より、人はのんびりと暮らしているようだ。
だからと言ってもやってる仕事の内容が、これが実に酷いものだが、これもあの前世とさして代わり映えはしない。あの世界では目につきにくくなるように隠すのに手間が増え、こちらでは雑でも見つかりにくいという違いだ。見つかれば困るのは同じだが、その点だけはあの前世の世界の方が洗練されていた、ということのようだ。
この世界に産まれて十五年、探し続けて未だに幸福は見つからない。まぁ、幸福が何かもよく解ってはいないのだが。
どうすれば幸福になれるのか、何をすれば幸福を感じられるのか。
あの前世でも見つけることはできなかった。これから先に見つけることはできるのだろうか? 見つからないまま死んだとして、次にまた産まれ変わったならば、次の世界でまた探すのか? 見つけられるのだろうか? それとも何度産まれ変わっても、幸福とは選ばれた者に与えられる希少な福音で、俺には見つけられない、感じられないものなのだろうか?
現実を良く見ろよ、幸福の二文字がどこに落ちていた? そんな歌があったことを、ふと思い出した。
村と村の間にある寂れた道、少し行けば森がある。そろそろ目的地だろうか。誰もが余計な体力は消耗したくないと、無言で黙々と進む。たまに顔を上げて周囲を警戒する。二つの村からは遠く離れて、森に近いこの辺りでは、人を襲うゴブリンやコボルトが現れる。
もっとも魔王が冒険者に倒されてからは、魔獣も亜人も昔ほど暴れてはいない。魔族も滅びたのか、何処かに引っ込んだのか、現れない。最近は噂も少ない。
八年前に魔王が討伐されて、世界は平和になった、らしい。昔のように魔族が人を襲うことも無く、魔族の配下の亜人に村や町が襲われることも、ほとんど無くなった。
代わりに魔族との争いの中で、国を滅ぼされ行き場の無い難民が増えたことが問題になっている。今では魔族と戦うことは無くなり、人の世に、平和な時代に。しかし平和が続き過ぎては、経済が止まる。金が全ての世の中では、紛争と平和の二つの車輪が回らなければ、飢えて死ぬ者が増える。
平和という名の次の戦争の準備期間はそろそろ終わる頃だろうか。次は人と人が争う時代になることだろう。
平和になったところで、毎日何処かで誰かが死ぬことに変わりは無い。今日も明日も明後日も、いつも何処かで誰かが死ぬ。
それとは無関係に、俺の毎日にさして変化は無い。どちらも世界には当然のこと。時は無常で無情なもの。非常時で無くとも非情なもの。
それでもつい、探してしまう。
どこかに無いのだろうか?
幸福とは、何処にあるのだろうか?
馬車に乗る黒服の男、ギルドの職員が馬を止める。
「ここから荷を運ぶ」
指示の通りに動く。奴隷が逆らえば首輪から痛みが走る。奴隷に言うことを聞かせるには、鞭と飴をバランス良く。子供の教育と同じようなもの。逆らえば痛みと死が、従順であれば餌と褒美がある。そして金を稼がなければ、人は生きてはいけない。