引きこもりの少女と郵便屋 1
孤独に知恵はなく。
対立に協力はなく。
有象無象に勇気はなく。
奇縁こそが蓮華を咲かせる。
――吟遊詩人の語るとある小唄の枕詞
シノギは日記をつけている。
毎日マメに欠かさず、ノートに綴って記している。
その顔で日記って……ベルもリオトも最初は謎の衝撃に言葉を失くしたものだ。
それでもシノギは文句だけのたまって、すぐに日記の筆記に戻った。
楽しいことを思い出しては書き綴る。素敵なこと、奇妙なこと、言葉にできないようなこと。郵便屋として旅をして、彼の感じた全てを文字に託して毎日書いた。
日によってはあまり面白いこともなくて三行ほど。語れることがあるなら何ページでも黒く塗った。
時には同行者に、自分はあの時なんと言ったか。あのアイテムの名称はなんだったか。出会った相手の名前を憶えているか。そういう細かいことを確認してきたりもして、存外に丁寧な内容なのではなかろうかと推察できる。
推察、というのは、無論シノギがその日記を未だにふたりにも見せていない故だ。
どうしても、なにか気恥ずかしいらしい。
ではどうして日記をつけているのかと、尋ねたことがある。
それに、シノギはなんだか半眼になって淡々とした声音でこう答えた。
「あてつけ」
◇
「しかしどういう風の吹き回しじゃ、シノギ」
「なにがだよ」
闇を塗りたくったような夜半。
月と星の輝きが淡く照らし出す外路を軽やかに駆け抜けていくものがある。
馬たちが地を蹴り、車輪が回り、幌が揺れる。一般的な都市間移動用の馬車であった。
一般的とはいえ、ただし夜間運航の特殊便ではある。
その幌の下の座席は広く、十人以上は余裕をもって座せるだろう。けれど現在、そこに腰掛けるのはたったの三人。三馬鹿は並んで座る。
非常に珍しく、三馬鹿は駅馬車に乗って移動していた。
村と村、都市と都市とを行き来する馬車乗車は存外に高値を要求される。護衛や術付与における料金、御者の危険手当までも考慮されているからだ。
外は緑の原とまばらな木々、後はそこを一直線で拓かれた道があるのみの平和な風景。だがそこは外界で、いつ何時、魔物に襲われるかわかったものではない。
旅路の安全性を考慮するに、都市間移動の馬車の値が張るのも致し方がない。
だが逆に、護衛を必要としないほどに戦力保持した面子が揃っているのなら、それは無駄な出費と敬遠するのもうなずける。
だからこそ今回の馬車に乗るとのシノギの発言に、少なくない驚きを同行者ふたりは覚えたものだ。
ベルとリオトは交互に口々、遠慮なく言う。
「ずぅっと渋っておったじゃろう」
「俺たちが何度、提案してみても断固として断っていたじゃないか」
「しかもやはり金がかかるとほとんど避けておった馬車にまで乗って」
「それも無理やりにこんな夜更けになんて」
そう、今は夜。
魔物の活性化する時節であり、人々の瞳が閉ざされる時間帯。月と星だけが味方してくれはするが、それでももっとおぞましき宵闇は魔物の味方で、どうしたって危険なのである。
当然、普段ならばどんな馬車も走らない。幾ら護衛をつけても断られる。
無理を言って金を使って、そして権力を用いてなんとかこうして馬車にいる。
御者はこの道四十年のベテラン。隠形の術は魔術師協会最高位の術者に依頼。護衛は防人機関少数最精鋭で名高い「凪ノ鞘」から第九位と第八位の二名を擁する。
通常の昼の運行と比すれば十倍以上のコストをかけて、様々な機関に力添えをもらい、全速力で向かっている。
普段、金欠を嘆くシノギの判断として、異常事態と言える散財だった。
「そんなに――急ぎの用なのか?」
次々と投げ込まれる疑問に、シノギは聞き流すのも面倒になってため息ひとつ。
流れていく星空を見上げていた悪瞳をふたりに向ける。ひとつずつ返答していく。
「べつに。なんの成果もなく帰るってのもカッコ悪ィってだけで、行きたくないわけじゃねェぞ」
「誰に格好つかないんだ? 例の引きこもりの従業員か?」
「あー。まぁ、そう」
曖昧にはぐらかすのはいつものこと。
けれど、ベルはくふふと笑う。
「相も変わらずこの期に及んで茶を濁すのぅ。とはいえ、ようやっとはぐらかすのも終わりじゃな。楽しみじゃのぅ」
「そんなに気にしてたかよ」
「まあ、俺も挨拶くらいはとずっと考えてたぞ」
「そーかよ」
「しかしまたどうして此度は観念したのじゃ。大急ぎの理由があるのじゃろう?」
常ならばあーだこーだとなにかにつけて言い訳して遠慮しそうなものだが。
ある日、『飛送処』において一通の手紙を受け取ってから血相変えて目的地を変更した。郵便予定もキャンセルし、駅馬車の確保を急いで、あれよあれよと既に目前である。
手際がいいのは驚くに値しないが――常ならぬ焦燥ぶりにベルもリオトも心配が先んずる。
シノギはそこで、些か驚いたような顔をする。
ふたりの言い分を理解し、そこではじめて自分が焦燥していると気が付いたかのような顔だった。ここまで大慌てに無理やり疾走していながら、当人は冷静のつもりだったらしい。
シノギは間抜け面を隠すように片手で顔を覆い、重いため息をひとつ。
「……ちと呼び出しくらっただけだ」
今回、彼らの目的地は宝庫都市リスパルミオ――そこはシノギの郵便屋としての本拠地である。
◇
「お待ちしておりました、サカガキ様」
宝庫都市リスパルミオ。
そこは広大な領地を結界内に収めた世界でも五本の指に入る大都市だ。
土地面積、人口、発展度合、貿易。なにもかもが最大最多最上位であり、大陸において中心的な地位に立つ。
夜の帳が下りて久しい現在においても、都市は真昼のように明るく輝く。あの無数の灯りひとつひとつに人がいて、働いて、集まって夜をも照らす。
光の運河の如く、煌めく宝石の如く、眠らぬ住人は闇夜を裂いて繁栄を誇る。
文明的な発展、魔術的な技術の最先端。ただの灯りも、その膨大さから読み取れるものはある。
おお、とその光の都市にベルだけでなくリオトも大いに感心して目を輝かせたものだった。
なのだが、常ならぬ土地であっても同じようなことは起こる。
大都市であるがために、門前におけるチェックも当然厳しい。馬車の検問において、制止されてしまう。
この時間帯に現れた馬車というだけで怪しいのだが、馬車業者と護衛の所属が有名所であり信頼がある。そこはなんとか不問であったが、問題がひとつ。シノギの目つきの悪さはどうしようもない。
大きな都市、厳重な土地ではちょくちょくあること。少し話をと別の部屋に案内されたのである。
抵抗しても無駄に時間をとる、素直についていって。
そこで。
不意に、声というには玲瓏すぎる弦楽器じみた音色が呼び止めた。
途端、悪瞳に疑心し勇敢に警戒をしていた衛兵たちが姿勢を正し敬礼の構えをとる。シノギの眉尻が下がる。
そこに直立するのは燕尾服に身を包んだ眉目秀麗の青年だった。
その家令服だけでなく艶やかな髪も、縦に裂かれた瞳孔も黒一色で染まる。手袋やシャツ、そしてその端麗な顔立ちは相反して白いのだが、それは逆に彼の闇の如き黒さを際立たせる。
なのにその黒さは不気味や恐怖を誘うものではなく、高貴さと底知れぬ深みを他者に思わせる。
酷くミステリアスな美形の伊達男、そういう風情の青年魔人であった。
衛兵たちはこんなところにこんな人物が現れたとなって大パニック。敬礼の形から硬直して声すらでてこない。
ベルもリオトももちろん知らない顔。困ってシノギに目線を送れば、彼は少し複雑な表情をしていた。
「……バトさん、あんまおれなんかに畏まらんでくれって言ってるだろ」
「とんでもございません。サカガキ様は敬意を払うだけの価値あるお方ですよ」
不審人物と連行した者が、なんと彼と話し始めたことに門番たちは戦慄する。
まさか自分たちは大変な人物を疑い、つるし上げようとしてしまったのか?
構わず、燕尾服の彼は今度はシノギからベルとリオトへと意識を移す。柔和に笑って丁寧にお辞儀を。
「貴方方がサカガキ様の同行者のリンカネイト様にトワイラス様ですね?」
「えっ、あ、うむ」
「ええと、シノギの、知り合いですか?」
所作のひとつひとつが恐ろしいほど洗練され隙ひとつ見当たらない。さしもの魔王と勇者もわずか気後れしてしまう。
対して青年はどこまでも低姿勢。恭しく、気品高く、礼を失せず名を名乗る。
「申し遅れました、私、執事をさせていただいておりますバト・ニグレドと申します。以後お見知りおきを」
「執事?」
どういうこっちゃ。
ベルとリオトの疑念に満ちた目がシノギへと突き刺さる。
刺されてもどこ吹く風、放り捨てるように答える。
「はん、引きこもりにゃお手伝いが必要なんだよ」
「あっ、ああ、そっちか、よかった」
「うむ、本当によかった。よもやシノギが執事を雇う立場にあったなんだらわし、この世のなにもかもが信じられんくなるところじゃったわい」
「どういう意味だ、コラ」
そのままの意味であろうと、リオトは突っ込むことは抑えた。
目線を逸らされて空っとぼけるふたりに追及も面倒、シノギは肩を落としてバトへと矛先を変える。
「しっかしバトさん、どうしてこの絶妙なタイミングで門に?」
「サカガキ様の位置からなりふり構わず全力でこちらに向かいますと、おおよそこのくらいに到着するでしょうとお嬢様が」
「ち」
シノギの行動などは全部お見通しというわけか。
なんともコン畜生、敵わない。
そして、シノギをして敵わない少女の代行は、僅かの綻びもない完璧な微笑でもってそれを告げる。
「お嬢様が首を長くしてお待ちです」
「要は絶対逃がすつもりはねェってか。たく、流石にここまで来たら逃げも隠れもしねェってのに」
「一刻も早く、お会いしたいのでしょう。馬車を用意してあります、どうぞこちらへ」
「ああ。行こうぜ」
「…………」
――お嬢様。
先ほどから何度かでてくる単語、およそ彼の執事としての主。シノギにして曰く引きこもり。
バトがその言葉を口にする度に感じるのは敬服と服従の念。
執事としての格はその主人の格に通ずる。逆もまた然り。
ならばこのバトという見るからに極まった男を執事として従えている引きこもりとは一体?
リオトとベルは同じ疑問にぶつかって、同じ折に顔を寄せ合い、同じように肩を竦めた。
まあここでは問うまい。
どうせすぐにたどり着く。バトの先導に従って、シノギとともにふたりは行く。
◇
その馬車は風のように速かった。
魔術的な軽量化と加速が施され、けん引する馬は八本足の軍馬という上位種。
先ほどこの都市にまで乗っていたそれも相当に速いと思っていたが、それ以上。
乗り込む際に目に入った四輪車は装飾が凝っており、疾走を助け難を吹きとばす精霊の象徴図をあしらっている。見た者を感嘆させうる美術品としても一級と言えよう。
無論、広々した内部への振動も最小限。まさか高速で街中を疾駆しているとは思えぬ静かなソファの上で、三人は座り、対面にはバトが控える。
「…………」
沈黙である。
三人きりならば、ベルやリオトはシノギに訊きたいことが山ほどあった。
けれどこの狭い――馬車と思えば広すぎるが――空間内において初対面の相手が座すのは若干、気まずい。距離感を計りかねている。
問いたい内容が執事を名乗った魔人の彼にとってどう捉えられるかも不明なことであり、慎重になってしまうのだった。
一方で、この場で全員に面識ある当のシノギは眠そうに船を漕いでいる。というか閉眼して眠りに就こうとしていた。
いや、寝たがりのベルでさえがんばって起きているのに、あっさり寝てしまおうとしているのはどうなんだ。
呆れそうになるリオトだが、ふと気づいた。
それは、安心からくる眠気であると。
まるで旅人が帰郷したことで訪れる他にはない安堵を感じているような、他の都市や村にはないほど、シノギは警戒心を解いていた。
それが奇縁を通じてわかってしまう。
郵便屋としての本拠地というのは、つまり彼の故郷であるということなのか。
リオトは気になる要素がまた増えて、堪え切れず気まずげな沈黙を破る。
「なあ、シノギ」
姿勢を変えず、けれど閉じていた目を薄く開き、シノギは応える。
「なんでい」
「それで、その、引きこもりのお嬢様というのは、一体どういった人物なんだ」
「……」
シノギは口を引き結び、ちらとバトへと目線を送る。
頷き、執事が説明の役目を請け負う。
「それは私のほうからお話しましょう。サカガキ様には語れぬ事情がございますので」
「やはりか。やけに口が堅いとは思うておったが、話さぬのではなく話せぬのじゃな」
「……」
やはりノーコメントなシノギだが、その沈黙はなによりも雄弁な肯定だろう。
これまでの誤魔化すような受け答えも、それで合点がいく。
バトはあっさりと、シノギの語れなかった重大なる事実を包み隠さず直言する。
「端的に申し上げますと、我が主フラウラリーネ・フォン・エスタピジャ様は『飛送処エスタピジャ』の中枢人物――かつての創始者である【飛送転】の勇者の子孫にございます」
「……は?」
ここは宝庫都市リスパルミオ――シノギの郵便屋としての本拠地であり。
そして。
『飛送処エスタピジャ』の総本山である。
「は……?」




