60.奥の手という名の保険
「貴様、汚いぞっ!」
「誰もボスが一体だけなんて言ってないぜ。終わったと思って油断したのはそっちだろう」
「トシさん……」
罵声をあげる勇者に、しらを切って笑みを浮かべる俺。
ハルは安堵したような、しかしちょっと引いたような表情で俺を見上げていた。
「楽に死ねると思うなよ……!」
敵から視線を外さずに勇者。
その相対する再び動き出したレッドドラゴン――しかし、その身は腐り果て、この世のものとは思えないほどの腐臭を放っている。
他に何が混ざっているのか、その体からは人の腕や頭、さらにはトカゲの半身などが生えて蠢いている。
そいつはその大きな咢を開くと、炎の代わりに黒い瘴気のブレスを吐き出した!
「くっ、ごほっ……」
毒気に当てられた勇者がせき込む音が部屋に響く。
しかし次の瞬間、勇者から巻き起こった冷気の旋風によって瘴気が吹き散らされていく!
「やっぱり、あの剣の力か……」
インフェルノスライムを凍らせ、さらには冷気の風でドラゴンの動きを鈍らせる。
あの光の一撃……恐らくは受けたダメージを蓄積して一気に解き放つのだろうが、その他にも氷も操れるとは……。
他にどんな能力があるのか分かったもんじゃない!
早くあの剣を何とかしなければ……。
ドラゴンゾンビ――実際はドラゴンを素体にしたフレッシュゴーレムだが、は冷気の風をものともせずに勇者にその爪を、吐息を浴びせかける。
「ごほっ……」
障壁の傷から漏れてきた瘴気に当てられたのか、ハルが口に手を当ててえずく。
……俺もなんか気分が悪くなってきた。
俺はポーチから札を取り出すと、障壁を新しく手前に一枚貼りなおす。
しかし、少し漏れただけでもこの威力なのに、その中にいてあれだけ動けるっていうのは……。
「ふっ!」
勇者が気合一閃、ドラゴンゾンビの足に斬りかかる。
ドラゴンと同じ方法で倒そうとしているのだろうが――甘いっ!
ドラゴンゾンビの足に生えていた腕が、頭がその一撃で切り落とされていくが、勢いの落ちたところを別の腕が、頭が噛みつき剣の動きを抑える。
更に力を込めて斬りぬこうとする勇者だったが、それよりも早く噛みついていた頭が膨らみ――弾ける!
「ぐあっ!?」
勇者はとっさに飛びのこうとするが、剣を手放すのが遅れてまともに酸を浴びてしまう!
普通の剣だったらさっさと諦めて飛びのいていただろうが――あれだけの能力の剣だ、判断が遅れたのも仕方がないだろう。
しかし、その代償は大きかった。
「貴様、よくも……」
「かかったな、勇者よ!」
企みが上手くいき、何なら高笑いすらこみ上げてきそうな程に俺は高揚していた。
その視線の先で勇者の纏った軽鎧はもちろんのこと、ドラゴンゾンビの足に刺さったままの剣がその力を失い――べしゃっという音を立てて腐り落ちる。
そう、魔法の効果を打ち消す粉――破滅の粉というらしいが、それを仕込んだゾンビ爆弾。
以前、店に強盗に来たごろつき達が対ゴーレム用に持ってきたものを回収したものだった。
あの剣を破壊できるかは正直賭けだったが……ここまで上手くいくとは!
「国王陛下より賜りし聖剣グラムが……こんな……」
「くくくっ、はーっはっはっは」
勝った、勇者に勝った!
いくら勇者が強いとはいえ、武器がなければどうにもならないだろう。
勇者は懐から短刀を取り出して再びドラゴンゾンビに斬りかかるが、リーチの差で傷を負わせることなく殴り飛ばされていく。
後はこのまま畳みかければ――しかし、何かが引っかかる。
「……まあ、気のせいか」
よぎった不安を振り払い、俺は天井に視線を向ける。
まさか大丈夫だとは思うが……。
再びドラゴンゾンビが吐息を吐いたのか、障壁の向こう側に瘴気が充満する。
黒く濁った視界で、かすかに何かが光るのが見える。
……光?
まさか……いや、待てよ……。
頭の中で引っかかっていた疑問が、その光によって形を成す。
「聖剣グラム……国王陛下より賜りし……国王陛下!?」
剣を勇者に授けたのは女神じゃない!
そんな、まさか……。
さっきまでの熱い汗とは違い、冷たい汗が背筋を流れる。
黒く濁った視界の中でその光は徐々にその輝きを強めていき――
「嘘、だろ……」
「そんな……」
閃光、衝撃。
振動で、天井からぱらぱらと粉が舞い落ちる。
目を見開いて固まる俺とハルの前で瘴気が晴れていく。
そこから現れたのは――勇者。
右肩は酸で灼けただれ、体中に傷を負って満身創痍といった様子だったが、しかしその目は燃えるような敵意で溢れていた。
「よ、よくぞドラゴンゾンビを倒し――」
虚勢を張って口上を述べようとした俺だったが、勇者はそれを無視して手にした短刀を俺目がけて投げつける!
短刀は勢いよく障壁のちょうど傷の部分に突き刺さり――障壁と共に砕け散った。
砕けた短刀の破片が俺の頬をかすめ、浅い傷を作る。
間に合うかっ――!?
俺は札を取り出し、呪文を唱えて障壁を作り出すが、
「無駄だ!」
勇者の素手の一撃で障壁は無残に砕け散る。
まじかよ、素手で壊せるもんじゃねぇだろ!?
あと少し……。
びしっ、っという音を立てて天井がはがれていく。
構わずこちらに向かって間合いを詰めてくる勇者。
勇者が砕けた短刀の破片を拾い、こちらに向かって投げようとして――直後、部屋を襲う大きな振動と落下音。
それに葡萄を素足で踏んだような、何かが潰れる湿った音……。
天井から振ってきた巨大な拳に押しつぶされて、勇者は今度こそその動きを止めたのだった……。