54.家出という名の心遣い
「お前のせいで滅茶苦茶じゃねーか!」
「だって、まさか勇者だなんて思わないですよ」
「いや、問題はそこじゃなくてだな……」
「勇者だって知ってたら食事に毒でも入れたのに」
「ロッテお前、それって俺も一緒に死なないか……?」
こいつならやりかねないから恐ろしい。
つい忘れがちだけどこいつ、暗殺だか諜報だかの部隊にいたんだよな……。
虫も殺さないような笑顔で、軽く首をかしげながらロッテは答える。
「ご主人様は強いから大丈夫ですよ」
「いや、俺、体は普通の人間だからな?」
確かに魔力は人間離れしているが、物理的には普通の人間だ。
剣で切られれば死ぬし、当然毒でも死ぬ……と思う。試したことないけど。
勇者は物理的にも魔力的にも強いようだが……なんかずるいよな。
こう、実は一回刺されただけで死ぬとか、わかりやすい弱点があればいいのに。
「まー、バレなくて良かったですね」
「まあ、それはそうだけど……」
「ボク、あんなイベントやるって最初から知ってれば止めたのに。女なんか居なくたって、ボクが居るじゃないですか」
「いや、お前男だろ……」
「そんな小さいこと、一回すれば気にならなくなりますよ」
そう言いながら俺の右腕に抱き着きながら俺を見上げてくるロッテ。
腕を包む柔らかい感触、さらっとした髪から流れてくる甘い香り。
こうして見ると女の子――それもかなり可愛い、にしか見えないんだけどな。
だが男だ!
一回でもやったら、なんかこう人として終わりな気がする。
愛の前に性別なんて関係ないっていう人もいるにはいるが……その前提の愛がない以上どうしようもない。
「ねー、後金まだー?」
「ねーよ」
「ちょっと、約束が違うじゃない!」
俺の左腕を引っ張りながら抗議の声をあげるフィーネ。
字面だけ見れば両手に花なのだが……どっちかっていうと、小学校の先生って感じだろうか。
――俺は何か嫌になり、深くため息をついて上を見上げる。
なんで俺の周りにはまともな人間がいないんだろう……。
こう、結婚相手とか以前に、人間としてまともなのがいない――ふと、類は友を呼ぶという言葉を思い出して寒気を感じる。
まともなやつ……まともなやつ……そうだ!
「そういや、ハルは?」
「さー、そういえば出てきませんね」
「ねー、そんなことよりお金ー」
ロッテは受付の奥――控え室への扉の方を見ながらも、俺の腕は離さない。
フィーネは……まあ、どうでもいいや。
先日の合コンのときに様子がおかしかったし、ハルのことが気になった。
俺は二人をぶら下げたまま部屋の方へと向かおうとしたが――それよりも早く、その扉が開く。
「ハル!」
「……はい」
「……その荷物は?」
「これは……その……」
大き目のカバンを背負ったハルは、下を向いて答えない。
何だろう、嫌な予感がする。
俺は乾いた口を唾で潤しながら、何とか口を開いた。
「もしかして、そういうことか……?」
「……すみません」
俺の問いかけに、ハルは謝罪で答えた。
うつむいているせいで表情は見えないが、ハルの顔からこぼれた雫が地面に小さな染みを作った。
俺は手を伸ばしてその顔をぬぐおうとするが――いまだ両腕にロッテとフィーネがぶら下がっているせいで、腕を少し動かすだけに終わる。
「理由は……あいつか?」
「……すみ、ません……」
「あいつのことが好きなのか?」
「ちが……、迷惑……に、なる……からっ」
俺の問いかけに、しかしハルはつっかえながらも予想外の答えを返す。
迷惑になる……どういうことだ?
勇者を合コンに突っ込んだのはロッテであって、ハルは関係ないはず。
疑問に思いロッテの方を見るが、ロッテもわからないのか同じくきょとんとした顔を俺に向けていた。
「迷惑って、どういうことだ?」
「それは――」
「お取込み中のところ悪いですが」
ハルの言葉を遮って響いた声。
俺はその声に覚えがあった。
俺はゆっくりと――別に勿体つけてるわけではなくて両腕が重いからだが、後ろを振り返ると、そこにはできれば二度と見たくないと思っていた人物の姿があった。
そいつは俺が振り向いたのを確認すると、俺の顔を見ながら言葉を続ける。
「彼女を迎えに来ました」
青い軽鎧に白い天鵞絨、背負った長剣、それに――忘れもしないその整った顔。
そう、合コンを台無しにした全ての男の敵――勇者がハルに向かって手を伸ばしていた。