5.結婚という名の死亡フラグ
……まぶたをこすり、目をぱちぱちと瞬きする。
しかし見える風景は変わらない。
木、木、木。
どうやらここは森の中らしく、月の光が木々の隙間から俺を照らしていた。
「どこだ、ここ……」
つぶやいた言葉に、獣の遠吠えが答えた。
獣がいるのか、それとも風か、奥の茂みがガサッと音を立てる。
……いや、まじでどこだここ。
暗いし寒いし怖いんだけど。
なんだろう、いくら何でも無責任じゃね?
せめて町の中とか、人家の近くとか、そういうところに送り出してほしかった。
これじゃ結婚以前に人と会う前に死ぬ気がする。
「……っ」
「うお!?」
へいへいへい、ピッチャービビってる!
野球興味ないけど。
茂みから聞こえた音に驚き、よくわからないことを考える。
ビビってるんじゃねーよ、このヘタレって?
だって考えても見てほしい。
異世界、人間と魔族は抗争中、森の中には何がいるかもわからない。
一方俺は生前と同じスーツ姿、当然武器はなし。
正直、野良犬と遭遇しただけで死ぬ自信がある。
ていうか剣を持ってたところでやっぱり死ぬ気しかしない。
くそっ、早く人間がいるところに行きたいが、どこをどう行けばいいのかわからない。
ついでにいうと怖くて腰が抜けてしまって動けそうにない。
せめて夜が明けるまでここで待つか……いや、茂みの奥に何かいるなら逃げた方がいいのか?
「……」
「……っ」
悩んでいると、再び茂みから音が聞こえた。
よし逃げよう。
そう決心し走り出そうとした俺だったが、あることに気づき動きを止める。
この音は……もしかして……。
いや、でも違ってたら死にそうだし……。
そもそも考えがあってたとしてもうまくいくとは限らないし。
けどじゃあ一人で森の中を当てもなくさまよい歩くか?
どれだけ森が広いかもわからないのに?
考えている間も茂みからの音は続いている。
ええい、一か八か、ままよ!
俺は溜まっていた唾をごくりと飲み込むと、ゆっくりと茂みへ近づいていった……。
◇◆◇◆◇
「うわぁ……」
茂みをかき分けたその先には、半分想像通り、半分予想外の光景が広がっていた。
そこには女の子とおっさんが一人、これは予想通り。
しかし、おっさんが女の子を押し倒してズボンをずり下げているのは予想外だった……。
女の子はこちらに気づいたのか、俺に向かって手を伸ばして声を上げた。
「助けて……」
「あん?」
女の子の視線を追って、おっさんがこちらを振り返った。
それに合わせて股間のモンスターもこちらにこんにちわする。
……なんだろう、モンスターかもとは思ってはいたが、このモンスターは大分予想外だな。
しかもモンスターにしてはやけに小さいし。
「ちっさ……」
「なんだとコルァ!?」
思わず口に出てしまった言葉に逆上し、おっさんがこちらに殴りかかってくる!
やべっ、早く逃げないと!?
そう思うがとっさのことで体が動かない。
――しかし、俺が逃げるよりも早く、そいつはズボンに足を取られて勢いよく転んでいた。
倒れたまま慌ててズボンを引き上げようとするおっさんと、それを見下ろす俺。
流れる気まずい空気。
……。
はっ!?
これはチャンス!
俺は勢いよく足を振り上げると――その足をそのまま頭めがけて勢いよく振り下ろす!
「くぺっ!?」
おっさんは変な声を上げて地面に顔をめり込ませると、そのまま動かなくなった。
ふっ……ざっとこんなもんよ。
こいつは運をなくしたんだ。
欲望に負けてズボンを下した時にな。
「おい、大丈夫か?」
「うん、ありがとう……」
少女はそう言うと立ち上がり、でも警戒したように腕で体を抱きながらこちらを見てくる。
俺はそんな少女を上から下まで、じっくりと観察する。
おっさんの趣味なのか、着せられたショートなメイド服は乱れて、見えてはいけないところが見えそうになっていた。
その上には褐色の肌に銀色の髪、その整った顔には細く尖った耳がついている。
うん、観察してみて二つ分かったことがある。
一つ、この娘は可愛い。
二つ、……これはチャンス!!
「なあ」
「う、うん」
「俺と結婚しないか?」
「……!?」
差し出した右手、そこに刻まれた黒竜が月の光を受けて紅い目をうっすらと輝かせる。
俺の予想ではこの娘、俺に惚れているはずっ!
悪漢に襲われているところを颯爽とあらわれてピンチを救った、いわば白馬の王子様だ。
惚れないわけがない!
――しばしの間、固まって見つめあう俺と少女。
疲れてきた右手がぷるぷると震えるのがわかる。
……これはまたダメなパターンか?
俺は結局、異世界でも結婚できずに死んでいくのか?
数秒か、数分か……俺にとっては長い時間が過ぎる。
俺は冷え切った右手をぱたりと落とすと、もう片方の手で顔を抑える。
いや、抑えたのは顔ではない。
目から溢れ出そうになった何かだ……。
……もういいや、とりあえず近くに街がないかだけ聞こう……。
生きてればまだチャンスがあるかも知れないし。
「悪い、今のは――」
「あの、いいですよ、結婚。ボクなんかで良ければ……」
涙声の俺の言葉を遮ったのは、少女の気恥ずかしそうな声だった。
少女のほうを見ると、緊張したように手を後ろに回して、こちらを見上げていた。
月の光の具合だろうか、その顔も心なしか上気して見える。
……え?
いまなんて言ったこの娘。
予想外の言葉に俺は完全に固まっていた。
「あの、今なんて……?」
「おっけーです、結婚」
「まじでか」
「まじです」
「結婚詐欺とかじゃない?」
「いや、この状況で何を騙そうっていうんですか」
「いやでもほら、美人局とか」
「ないですって」
「じゃあほんとに本当?」
「ほんとに本当です」
……きた。
ひゃっほぉぉぉぅぅぅ!
俺は思わずガッツポーズをとり、そのまま踊りだす。
っても盆踊りしか知らないけどな!
高速で盆踊りっぽい何かを踊りながら喜びに浸る俺。
はたから見たら奇怪この上ないだろうが、そんなことはどうでもいい!
苦節27年。
彼女もできなかった俺だったが、ついに結婚!
結婚という名の墓場? ならば俺は死んだって悔いはない!
「よし行こう、今すぐ行こう、最寄りの教会はどこだ!」
「で、でも……その……」
少女の手を引き走り出そうとする俺だったが、しかし少女は動かずにその場に留まろうとする。
立ち止まって少女の顔をのぞく。
うつむいた少女の表情は憂いをおびており、瞳は不安に揺れていた。
「ごめんなさい、ボク……一緒には……」
そう言って少女が視線を向けた先には、古びた洋館がひっそりと佇んでいた……。