39.レシピという名の悪魔の書
「儂の名はマッシュ。見ての通り料理人だ」
言いながら男は手をこちらに差し出してくるが、俺はそれを上から見下ろすだけだった。
いや、男――マッシュは未だ倒れたままだし、その状態で手を差し出されても……という感じである。
まあ相手が立ってたとしても握手はしないけどな。
男だし。
「で、何で料理人がこんなところに居るんだ?」
「それは……」
「それは?」
「アクア・ティラーナという店を知ってるか?」
聞きなれない名前に眉をひそめた俺だったが、代わりに横に戻ってきたロッテが声を上げた。
「アクア・ティラーナって、あの創作料理で有名なお店ですよね?」
「創作料理?」
「ええ、ボクも噂で聞いただけですけど、普通の食材だけでなくモンスターの肉も使うとかなんとか」
「知っているなら話は早い。そう、最初はサラマンダーの肉なんかを使っていたんだが、それもすぐに他の店に真似されてしまってな。それならばと張り合って珍しい食材をと徐々にエスカレートしていき……」
ここでマッシュは一息つくと、そばに落ちていたゾンビの腕に視線を向けて言葉を続けた。
「ところでこの間、古本屋でちょうどある本を見つけてな」
「本?」
「ああ、その本は魔の者向けに書かれたものらしく、モンスターを使ったレシピが大量に載っていた」
「ほう」
「だが、料理方法だけ分かっても食材がなければどうしようもないだろう?」
「確かにな」
「……」
「で、その話がこの異常発生とどうつながるんだ?」
「実は、その本の巻末に食材の召喚方法が載っていてだな」
「……ほう」
そこで訪れる沈黙。
マッシュと俺はしばしの間見つめあい……芽生えたのは恋! ではなく、もっと別の感情。
俺はその感情を表に出さないように、半分答えが出ている疑問を投げかける。
「その召喚方法試したら暴走してこの事態になった、とか?」
「んむ、よくわかったな」
「全部お前のせいじゃねーか!!」
偉そうに頷いた男を、俺は思い切り殴り倒す。
男は2,3歩後ろへよろめくと――そのままばたりと倒れて動かなくなった。
「やべっ、強く殴りすぎたか……」
慌てて駆け寄ろうとしたが、しかし視界に飛び込んできたものに思わず足が止まる。
倒れたマッシュの少し後ろに沸いてくる黒い霧。
俺は慌てて後ろを見るが、しかし後ろにも、左右にも黒い霧が沸いて出てきていた。
霧からは既に、そのボロ布をまとった頭が、手に持った大きな鎌が姿を見せ始めている。
「おいおい、嘘だろ……」
俺はゴーレムを呼び寄せるとその右手にしがみつこうとして、地面に落ちたままのマッシュを思い出す。
この事態を引き起こした張本人だし、因果応報といえばそうなのだが――
「とは言ってもなっ!」
こいつにはまだ聞かないといけないことが残ってるし、それに……さすがに人を見捨てるのは気が引ける。
左腕が剣だったり半分人間じゃないような気もするが、まあ半分は人間だろうし。
別に俺は勇者じゃないし、むしろ魔王側の人間だから見捨ててもいいとは思うんだけどな……。
俺はゴーレム(と、左腕にしがみついたロッテ)とマッシュの横に駆け寄ると一枚の札を引き抜き、力を解放する。
「プロテクション!」
淡い光の壁が俺たちを包み込むと同時に――ガンッ!!
間一髪、振り下ろされた死神の鎌が見えない障壁に弾かれる音が墓地に響き渡る。
「これ、どうしましょう……」
ゴーレムから降りたロッテが、外に剣を向けつつ聞いてくる。
そんなこと、俺が聞きたい。
思っている間にも死神の数は増えていき、気づくと周り一面死神だらけになっていた。
鎌はてんでバラバラに振り下ろされるだけで障壁を壊すには至らないが、一転集中とかされたらもたないかも……。
思わず冷たい汗が背中を流れるのを感じる。
「さっきも聞いたが、お前ってゾンビとかアンデットの類じゃないよな」
「ええ、さっきも言いましたけどもちろん違いますよ」
「そうか……」
俺は呟くと、地面に倒れたままのマッシュを見て考える。
こいつもまあ……左腕が剣になってたりもするけどとりあえずゾンビとかではないだろうし、大丈夫だろ。
俺は一人で頷くと、ポーチから一枚の札を引き抜いた。
「よし、全力全開の――」
言いかけて思い直す。まだ札はあるし、念には念を入れて……
「ターンアンデット」
極力魔力を込めずに撃った浄化魔法に、目の前の死神が一体だけ聖なる光と共に泡となって消えていき――
「イィィィィイイィイィィイィィ!?」
叫び声を残し、目の前から完全に消え去った。
しかし、その死神が消えた隙間はすぐに別の死神によって埋められてしまう。
「まじか……」
浄化の魔法でも仲間を呼ばれるってことは、全力で墓地全体を浄化してもまた沸いてくるっていうことで……。
まだヒビなどは入っていないが、障壁もいつまでもつかは分からない。
……どうしろと?
いっそ倒しながら逃げて町に逃げ込むか……。
そんなことを考えながら札を漁っていると、ロッテがいきなり剣で斬りかかってきた!?
「うおっ!?」
「イィィィィイイィイィィイィィ!?」
ロッテが貫いた剣の先には、拳の大きさ程の小さな死神が刺さっていた。
その小さな死神は少しの間痙攣すると、そのまま黒い霧となって消え去った。
「大丈夫ですか、ご主人様!?」
「ああ、助かった……けど」
全然助かってなかった。
今の死神が呼んだのか、小さな黒い霧が何個も障壁の中に現れてきている。
これはやばい。
やばいが、かといって今、障壁の魔法を解除したらそれこそ地獄まっしぐらだ。
手が震えるのを抑えながらポーチの中を漁る。
何かないか、この状況を打開できる何か……。
「ご主人様!!」
俺に向かって振り下ろされた鎌を剣で受け止めてロッテが叫ぶ。
しかしその後ろでは別の小さな死神が鎌をロッテに振り下ろそうとしていて――あった、これならっ!?
「テレポーテーション!」
引き抜いた札が燃え尽きるよりも前に、その鎌はロッテに振り下ろされるが――しかしその刃はロッテに届く前に消滅していた。
鎌だけではない。
周囲にいた死神たちも恨めしそうな表情だけ残して姿が薄くなっていき、次に瞬きした後には――綺麗に消え去っていた。
「……助かった、のか?」
「さすがご主人様!!」
「うおっ!?」
いきなり飛びついてきたロッテに押される形で俺は後ろに倒れこみ――
「ぐっ……」
何か柔らかいものの上にお尻から着地した。
ゾンビっぽいが、ゾンビほどは柔らかくない感触。
下に見える、人間の腕から生えた剣の鈍い輝き。
……そういや忘れてたけど、こいつそろそろ回復してやらないとマジで死ぬな。
俺は未だ抱きついていたロッテをどけると、ポーチから回復魔法の札を取り出したのだった……。