089.相容れないふたり
「そのようですね。でもそう言っていただけて、ほっとしています」
微笑んでその顔を見つめるアナベルに、オリヴィアが怪訝そうに眉を顰めた。
「ほっとした?」
「オリヴィア嬢が、もしも私と同じようにセインを好ましく想っていたなら……今頃、お二人は結婚されているかもしれません。そうであったなら、私がこうしてセインの傍にいることはないでしょうから」
優しい声に甘やかしてもらうことも……あの、あったかく柔らかい手で頭を撫でてもらうこともできないのだ。
それはとても寂しいので、オリヴィア嬢がセインの持ち物にしか興味がない人で助かった。二人が結ばれず、セインが独り身であってくれたことは、アナベルにとって途轍もない僥倖である。
「男に何も求めず、逆に与えるだけのあなたのような想いなど、私には抱けないわ。あなたがあくまでも公爵につくと言うなら、あなたも排除しなければならない。でも、いろいろ便利に使えそうな魔法使いは、処分してしまうのは惜しいとも思うわ」
獲物を狙うかのような目で、オリヴィアはアナベルを眼光鋭く見据えていた。
「私は、そう簡単に処分されたりなどしませんよ」
アップルパイにフォークを入れながら、アナベルは小さく笑ってみせる。
「この世に不死身の人間は存在しない。あなたが、たとえどんなに優れた魔法使いであろうと、それは同じはず……あくまで公爵の守護者を気取るつもりなら、隙を狙って必ず消すわ」
こちらを威圧するかのような笑みを返してきたオリヴィアに、アナベルは、アップルパイの絶妙な甘さに身震いしながら笑みを深めた。
「消されません。私は野心を封印し、我が身に宿る魔法のすべてで、セインの望みを邪魔する者たちと戦うと決めています。ですから、何があろうと生き残ってセインを守り続けます」
セインが、ベリルとマーヴェリット公爵家を守ることを心に誓って生きる人であるなら、アナベルは、そのセインを守ることを心に誓って生きる。
覚悟を言葉にし、アナベルはひたりとオリヴィアを見据えた。
「その戦いの一環として……美容魔法と引き換えに、社交界の情報を集めているのね。我が家に関する有益なものは得られたかしら?」
オリヴィアが、唇の端をあげるようにして嗤い返してきた。
「私は田舎から出てきたばかりで、王都の社交界には疎いですので、親切なお客様たちに勉強させていただいているだけですよ」
カスタードプディングとシュークリームを美味しくおなかに収めながら、心の内で苦笑する。
お客の令嬢たちの話す内容から……オリヴィアの友人らしき人間はいないと思っていたが、令嬢たちがアナベルの美容魔法を求めていることを、オリヴィアはしっかり知っているようだ。
さすがは、家格が上の公爵家令嬢よりも社交界の女性たちに影響力を持つと言われるだけはある……。
「彼女たちが囀った程度のことで、我が家の秘密を握るなど不可能よ。甘く見てもらっては困るわ」
オリヴィアは紅の瞳に氷の刃を宿し、艶やかに己の力を誇示するかのごとく微笑む。その笑みを、アナベルは怯むことなく受け止めた。
「そちらも、こちらを甘く見ないでください。手始めに、王宮魔法使いの長官は、本日よりクラーク侯爵ではなくなります。この先ラッセル侯爵は長官と組んで甘い汁を吸うことも、セインを窮地に立たせることも出来ません」
「なんですって?」
オリヴィアの余裕が崩れた瞬間だった。片眉がピクリと跳ね上がる。
「クラーク・ターナー侯爵は退官されます。ターナー侯爵家は今日限りで取り潰されます」
「取り潰し……それは、マーヴェリット公爵が陛下にそう働きかけるということ?」
息を呑み、顔を強張らせて問うてくるオリヴィアに、アナベルはこくりと一つ頷いた。
「ターナー侯爵は、絶対にしてはならないことをしていましたので」
「公爵を見限って父についたから……ターナー侯爵は王宮魔法使いの中で最高の使い手であるのに、自身に反すればすぐさま破滅させるなど、なんと悪辣な……」
オリヴィアの声が怒りに震えていた。
「違います。ターナー侯爵がその地位を追われるのは、してはならない罪を犯していたからです。私たちは、その証拠を握りました」
「綺麗ごとは結構よ!」
「!」
ぴしゃりと言葉を叩きつけられる。
「どんな罪を犯していようと、マーヴェリット公爵は、その相手が自身の利になると判断すればあらゆる手を講じて庇うわ。あなたは恋に目が眩んであの男を良い人のように語るけど、そんなものは偽りの幻想でしかないのよ」
「偽りの幻想……」
セインのアナベルを労わってくれる優しい心、ぬくもり……それらがすべて偽りなど、アナベルには到底信じられないことだ。
「そうよ。公爵はマーヴェリット家のためなら、眉一つ動かさずどんな冷酷な真似も厭わない。まともな血の通っていない人間よ。長官は、お父様の良きお話し相手であったのに……それを取り潰しなんて……なんて忌々しい人間なの!」
「…………」
ここまで言い切るオリヴィアに、その考えを変えさせるのは難しいとアナベルは思う。
「やはり、一日でも早く始末しなければ……ベリルが悪くなるばかりだわ」
オリヴィアが、その全身に憎悪の炎を燃え立たせたような気配を纏い、アナベルを睨んでいた。
「ベリルを悪くしているのは、セインではありません」
「私の父だとでも言いたい目をしているわね。公爵の偽善に心酔しきっているあなたに、何を言っても無駄と思うけど……一日でも早く目が覚めることを願っているわ」
「私はオリヴィア嬢に、一日でも早く……ご自身の父君よりも、セインのおこないこそが、この先もベリルの繁栄を約束するものであると知ってほしいです」
同じように言い返したアナベルに、オリヴィアはあからさまに面白くなさそうな顔をした。
「貧民を守ってどうしてベリルが繁栄するのよ。足を引っ張られて、崩壊するだけでしょ……白黒上級魔法使いを処分なんて、面倒なことだと私だってわかっているわ。公爵の愚かさを知って見限る気になったら、いつでも私の許へいらっしゃい。あなたの無礼な言動はすべて水に流して好待遇で迎えると約束するわ。隙を狙って暗殺されるより、そのほうが楽しく暮らせるわよ?」
アナベルを暗殺して排除もしたいが……配下に置いて好きに使ってみたい。
オリヴィアにはそんな欲もあり、それが抜けきらないようだ。
「セインが私に呆れて見限ることはあっても、私がセインを見限ることはないと思います」
この先、何があろうとあなたの配下となることはない。言葉にはっきりとそれを匂わせ、アナベルは席を立って一礼した。
「ごちそうさまでした。おもてなし、ありがとうございます。大変満足させていただきました。では、これにて失礼いたします」
自分たちに共感する思いはない。そうとはっきり知った相手と、これ以上話すことはない。
おなかもいっぱいになったアナベルは、オリヴィアの返事を聞くことなく、洋菓子店から去った。
◆◆◆
「……と、いうことがお昼にありまして、魔法屋で情報を得ることは出来なかったのですが……オリヴィア嬢に美味しいケーキをたくさんごちそうしていただきました」
今宵も、アナベルのほうが寝室に入るのは早かった。
が、眠る前にセインが入ってきてくれたので……今日の出来事を語った。
「君は口にしないが、オリヴィア嬢が連れてきたイブリン嬢は、さぞ君に不快な言葉をぶつけたのだろうな……」
寝台に並んで腰かけるセインが、申し訳なさそうな顔をしてアナベルを見ていた。
「私は、セインの女性除けのための偽装婚約者ではありませんか。あなたを巡る女の闘い、望むところです。何もせずに守っていただくだけでは、ここにいる意味がありません」
セインに余計な気をもんでほしくないアナベルは、力強く微笑む。
すると、セインは不服そうに首を横に振った。
「もう女性除けの偽装ではないよ。私は本気で君に求婚している」
「……そのお返事は、もう少し待ってください」
現在抱える問題がすべて片付き、セインの気鬱が晴れた暁には、きちんと言葉を纏めて心に抱く気持ちを伝えられると思う。
「返事を考えてくれているなら、ゆっくりでいいよ」
セインが、アナベルをそっと両手で包み込むようにして抱きしめた。あったかいその腕の中で、心地よくうっとりと目を細める。
「これまでセインがお見合いされてきた相手の方は、あなたの持ち物に注目するばかりだったようですが……そうではなく、結婚を前提としないお付き合いを望む女性も多くいらしたそうですね」
オリヴィアから聞いたことを思い出しながら、ぽつぽつと口に乗せる。
セインがぎょっとし、その身体が一気に強張ったのが伝わってきた。




