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086.ふつうは五つ

「ほ、本当に、すべてお持ちしてよろしいのですか?」

「本気で食べるつもり?」


男性とオリヴィア、両者から揃って驚愕の声が届く。

アナベルは眉を下げてオリヴィアを見た。


「やはり、全部というのは駄目ですか?」


この機会を利用して全制覇という夢を叶えてみたくなったのだが、さすがにそれはお金を使わせ過ぎる暴挙だったか……。

この店が製作するお菓子は原料に拘り抜いているため、ひとつひとつがとても高額なのだ。王家に仕えた菓子職人が始めた店であり、初期は、王族と上級貴族しか口にできないほどの価格だった。

それを、店側が何とか皆に菓子を愛して貰おうと苦心し、現在では一般市民でもなんとか購入できる価格としてくれている。

それでも高いことに変わりはないが……。


「食べられるというのであれば、好きになさい」


駄目と言われるのを覚悟してオリヴィアを見るアナベルに返ってきたのは、予想に反してこちらの要望を承諾してくれる言葉だった。


「ありがとうございます!」


今、この時ばかりは、オリヴィアから神々しい後光が差しているように見えた。


「……では、上から記載された順番にお運びしても、よろしいでしょうか?」

「はい。よろしくお願いします」


アナベルは喜々として男性に頷いた。


「いくら滅多に食べられない物だからと全種類だなんて、さもしいにしても酷すぎるわ」


イブリンに嫌そうに睨まれたところで、アナベルは露ほども気にならない。早く来ないかな、と浮かれて待つだけである。


「およしなさい。彼女に好きなだけ食べるようにと言ったのは、私よ」

「だからって、全種類なんてふつうは言わないわ。五つも食べれば限界のはずよ」


オリヴィアに諫められて、イブリンは不満げに唇を尖らせた。その内容に、ふつうはそんな物なのか、とアナベルは勉強させてもらう。

アナベルは、通常であっても十個くらいは食べられる。でもイブリンの様子から察するに、公の場でそういう食べ方をすれば、悪目立ちしてしまいそうだ。

五つ……覚えておこう。

心の内で頷いていると、先ほどの男性が銀盆に乗せてケーキを運んできてくれた。


「一度にすべて、というのはテーブルに乗せられませんので、分けて運ばせていただきますね」


美しい皿に盛られた十種類のケーキ。どれも、光り輝く宝石のように魅力的で、とても美味しそうだった。

アナベルは恍惚として眺め、カトラリーを手に取った。


「いただきます」

「確認を怠っていまして申し訳ございません。当店のメニューにはゼリーやムース、パフェもございます。ケーキだけでなく、それらもすべてということでよろしいのでしょうか?」


まずはイチゴのケーキ。魂が抜けてしまいそうなほど美味なそれに身を震わせて感動していると、男性がすまなそうに問うてきた。


「パフェ……」


それも、もちろん食べたい。

しかし、お金を出すのはアナベルではないのだ。オリヴィアのもてなしと言うのがケーキのみであれば、それらは我慢である。


「この店で食べたい物があるなら、何でも食べて帰るといいわ」


アナベルが問う前に、オリヴィアがそう言ってくれた。あまりこちらに都合のいいことを言われると、良い人に見えてしまって困る。

アナベルはそんなふうに思いつつ、でも、その言葉には甘えた。


「ケーキ以外の品も、すべて持って来て下さい」

「かしこまりました」


本当に食べられるのだろうか、と男性のこちらを見る目が言っているように感じたが、アナベルは自信があるので部屋を去る男性を笑顔で見送る。

ケーキを食べるのを再開し、幸せの味に打ち震えた。


「大口を叩くのはあなたの勝手だけど……その十個さえ食べられるものかしらね」


貧しいからと無尽蔵に入る胃袋など持たないでしょう、とイブリンは紅茶を飲みながらアナベルを嘲った。


ところが、アナベルを馬鹿にしていたイブリンの顔は、すぐに凍り付く。


アナベルは十個のケーキをぺろりと平らげると、続けて運ばれてきた十個も、あっという間に食べ終えた。

さらに十個……。パフェ、ムースといった物も、二十種類ほどおなかに収める。


「お、美味しすぎる。……気に入ったケーキを、もう一度頼むなどしてもよろしいでしょうか?」


食べれば食べるほど欲しくなり、好きなだけ食べてもいい、という言葉に期待して問うてみる。


「……店が悲鳴をあげるまで食べてもいいわよ」


呆然とした様子でアナベルを見ていたオリヴィアが、苦笑交じりに許可をくれた。

アナベルはそれを受けて、目を輝かせる。隣に立つ男性に、意気揚々と気に入ったケーキを伝えた。

男性は少し口元が引き攣っているように見えたが、頷いて部屋を下がった。


「き、気持ち悪い。魔物としか思えないわ。あなたのように食べる女なんて、絶対に公爵様に嫌われる。あなたが公爵夫人になれる日なんて、永遠に来ないわね!」


すっかり顔色を悪くしたイブリンは、口元を押さえて席を立つ。アナベルがいくつ食べても平然としている姿に、具合が悪くなったらしい。

吐き捨てるように言うと、そのまま部屋から出て行った。

入れ替わりに、男性が再注文のケーキを持って来てくれた。

イブリンに好かれようと努力する気持ちなど皆無であるし、正直好かれても困る。魔物で結構と思いながら、目の前に並んだケーキにアナベルは舌鼓を打った。


「全種類食べきっただけでなく、おかわりまで……素直に、恐れ入ったと言っておくわ」


オリヴィアの顔も多少引き攣っていたが、それでもイブリンのように面罵してくることはなかった。


「私は、普段も食べるほうだと思うのですが……魔法を使うと特におなかがすくのです。ちょうど魔法屋で働いた後でしたので、助かりました」


遠慮なく食べておいてなんだが、とんでもない額になっていると思う。オリヴィアは金銭面に関する事ではまったく動揺を見せないが、アナベルは少し頭を下げて礼を述べた。

すると、どこか気味悪そうにこちらを見ていたオリヴィアの感情に、変化が生じた。


「そういうことなの。食欲は魔法を使う代償……」


納得した様子で頷いているオリヴィアに、アナベルは言葉を返すことはしなかった。目蓋を伏せるようにして桃のタルトを口に運ぶ。


「……あなたはなんだか不思議ね」


攻撃的なモノを孕まない、どこか柔らかなオリヴィアの声だった。


「不思議とは?」


紅茶味のシフォンケーキを食べようとしていたアナベルは、つい手を止めて問い返していた。



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