080.前長官に与えられた特権
「私も、公爵様とは懇意にしたいと思っております。前長官はあなた様の忠誠を疑っておりましたが、私は、強い魔法力の受け継がれなくなっている我ら王宮魔法使いよりも、あなた様こそが最も陛下の守りとなられる方ではないかと見ておりますので……」
「ずいぶんと耳に心地よい言葉だな。何が欲しいのだ?」
その口元は楽しげに笑っているが、目は笑っていないセインに見つめられ、新長官は緊張した面持ちで居住まいを正した。
「何もいりません。私は今の暮らしに満足しております」
毅然として静謐な目でセインを見ている新長官の言葉に、嘘はないとアナベルは感じた。
「魂の属性は同じでも……その点は、前長官とは正反対なのだな」
どこか面白そうに呟いたセインに、新長官は同意するように小さく笑った。
「あの方はとにかくお金と女性がお好きで……公爵様からも、ラッセル侯爵からも多大な支援を頂いていたと存じております」
「あの男に、私以上の金を出す人間がいると考えなかったところは、甘かったと素直に認めるよ」
セインが少しおどけたように肩を竦めて見せた。
考えなかったというくらいだ……災害被害の援助もしていると言っていたようであるし……おそらく、セインが前長官に渡していた金額は、アナベルが簡単に想像できるような額ではないのだろう。
「前長官は、そのお金で贅沢品だけでなく女性も手に入れているわけですが……近年は、外国の女性まで別宅に住まわせています」
「愛人が複数いるのは知っているが、その中に外国人までいると言うのは初耳だな……」
新長官の語る内容に、セインの目が険しいものとなった。
それは、妻以外の女性を囲っている……愛人というのではないだろうか。なんだか、とても嫌な話になってきたように感じ、アナベルは眉を顰めてしまった。
「魔法使い以外の者には、ベリルの民にしか見えないよう偽装の魔法をかけているのです。前長官はベリルよりはるか遠き……北の国の女性を好んで侍らせています。この大陸全土で見ると、ベリルの民も肌の色は白い。ですが北の国の人間はもっと白いのです。血管が透けて青い肌のように見える。そこが気に入りの理由のようです。……そして、彼女たちは太陽の光にとても弱い」
「色白で太陽の光に弱い……」
アナベルは思わずつぶやいてしまう。
それでは日中の行動がかなり制限されるのではないだろうか。
面識のない国の人に余計なお世話だろうが、なんだか気の毒だ……。
「そのような太陽の光に弱い者たちが、わざわざ自国を遠く離れてまで、自ら好き好んで前長官の慰み者になるために来ると思いますか?」
新長官は殊更にゆっくりと、アナベルの心に深く浸透するような口調で語った。
その内容を噛みしめたアナベルは、最悪なことに思い至り背筋が震えた。
「まさか……前長官は、北の国から無理矢理女性たちを我が国に連れてきているのですか?」
妻以外の女性を囲っている、という話だけでも充分嫌な気持ちになっていたが、新長官の言葉はアナベルにそれ以上の衝撃をもたらした。
「そのまさかです。私の知るところ、前長官はその女性たちを奴隷として購入し、他者に見破られないようにと偽装の魔法をかけています。……そして、前長官と親しくしているラッセル侯爵も、銀の採掘に使う人間を南国から買っているのです」
「ラッセル侯爵も?」
次々ともたらされるとんでもない情報に、アナベルは愕然として目を見開いた。
世界的に厳しく取り締まられている奴隷買を、今回のことで前任者となったとはいえ、王の守護者とベリル中から讃えられる王宮魔法使いの長官ともあろう人間と、外務大臣がおこなっている。
もし、このことが白日の下にさらされれば、間違いなく国内外に大きな恥として広まり、ベリルの威信に傷がつく。
そんな事態になれば、ベリルを良き国にしようと奔走しているセインの苦しみは、いったいどれほどのものとなることか……。
無理やり連れてこられた気の毒な人々に、自国民の罪を申し訳なく思う以上に、アナベルはそれを思い胸が痛くなった。
「奴隷買は原則禁じられています。ですから、裏取引で買ったからと簡単にベリル国内に入れることはできません。普通に運べば、外務大臣の名を使おうとも必ずどこかの検問で引っかかります。しかし、前長官の名を使えばどこにも引っかかることはないのです」
「魔法で隠して誤魔化すからですか?」
アナベルが問うと、新長官は顔が強張っているセインに目を向けた。
「もちろん、誤魔化すための魔法も使っているでしょうが……前長官には検問を抜ける、それ以上の方法があるのです。公爵様には、私がご説明申しあげなくともおわかりかと……」
「王宮魔法使いの長官。その交易の荷は、宰相権限を使っても検められない。だから、ラッセル侯爵だけをいくら調べても何も出なかったのだ。あの二人が組んで奴隷買をしているとは……」
新長官の問いかけに、セインは低い声で呻くように答えた。
悔しげに眉間に皺を寄せ、その膝の上で手を強く握りしめている。
途轍もない怒りが彼の全身を取り巻いているのがひしひしと感じられた。
「どうして宰相閣下の権限を使っても、前長官の荷は検めてはいけないことになっているのですか?」
宰相権限とは、王命に次ぐ力を持つものではないのだろうか。
アナベルは、王宮魔法使いの長官の権威が宰相以上であるなど聞いたことがない。もし、そうであるなら、長官はセインに地位を追われると焦って襲撃するなどしなかったはずだ。
どうにも納得がいかなくて小首を傾げてしまうアナベルに、セインが苦笑した。
「これは父が宰相であった頃の話なのだが……当時王太子であられた陛下は、その時にも一度生死の境をさまよう事態に陥られたことがある。医師たちすべてが救う術がないと詫びる中……陛下のお命を救ったのが前長官の魔法だったのだ」
そこまで聞いて、ピンときた。
「荷を検めないのは……その褒美ですか?」
「そういうことだ。もともと魔法使いが敬われる我が国で……前長官は、医師団が匙を投げるよりほかなかった陛下のお命をお救いしたのだ。彼に対する尊敬はさらに高まり……彼が褒美にそれを求めても、どこからも異論の声はあがらなかった。その結果、忠誠心篤き素晴らしい魔法使いが悪事を働くはずがないということと、前長官が外国で購入する魔法道具の中には不用意に目にすると人体に危険が及ぶ物がある、との理由で……前長官の荷は検めないという特権が与えられたのだ」
「その特権を使って、前長官は自身の欲望を満たすために悪事に手を染めていたのですね」
魔獣の角の所持だけでは飽き足らず、女性が欲しいからと奴隷買をおこなうなど許しがたい。
いっそ、蛙ではなく女性に変身する魔法をかけて、意思に反して異国に売られるのがどれほど恐ろしいことか体験させたほうがよかったのだろうか。
憤りが胸に渦巻くアナベルは、そこまで考えてしまう。
「まったく……。調査の手を入れているのに後手に回るばかりだ。自分が情けない……」
こめかみのあたりを人差し指と中指で軽く押さえるようにしながら、セインが顔をしかめた。
アナベルはその肩にそっと触れる。
「情けなくなどありません。セインは光属性のとっても素晴らしい人ですが、世界のすべてを見通せる創造神様ではないのです。できないことがあって当然の人間なのですから、うまくいかない時だってあります」
「アナベル……」
笑顔で肩に触れているアナベルの手に、セインの大きな手がやんわりと重ねられた。
「この先、すべての権限を失う前長官は二度と奴隷買はできません。永遠に悪事を許さず、阻むことができたのですから……あまりご自身を追い詰めないでください」
セインのような地位にいる人には、たとえ途中経過で敵側に押されていようとも、最後に勝てばいいとするこんな考えは生ぬるいのかもしれない。
常に勝利を求めたいのだろうが……それでもアナベルは、それが出来なかったからと一人で何もかも背負い込んで、自分を責めて思い悩んでほしくはないのだ。
「そうだね。前長官の排除が叶うのは……すべて君のおかげだ」
アナベルの気持ちが通じたかのように、セインが陰りの払しょくされた柔らかな笑みを浮かべてくれた。
それは見ているだけで、あったかい気持ちになる表情だった。




