008.希望の光
「なぜ、君は半年で死ぬのだ。病に罹っているのか? 自分の病は白魔法で癒せぬのか? それを教えてほしい」
立て続けに問われるが、公爵は興味本位で聞いているのではない。
アナベルの身を真剣に案じてくれている気持ちがひしひしと伝わってきた。
そんな公爵の姿に、しつこく引き止められて苛立ちそうになっていた心が凪ぎ、つい口が軽くなってしまった。
「病ではなく、この腕輪で呪われているのです」
一向に立とうとしない公爵の隣に座る。右手首に填められた黄金の腕輪を見せながら、ぼやくように口にした。
「呪いの腕輪とは……どうして、そのような面妖な物を……」
不思議そうな顔をする公爵に、苦笑する。
「もちろん、好きで身に付けた物ではありません。私を疎む従兄が、自分の名を傷つけず婚約を破棄する絶好の理由として、この腕輪を私に付けて呪ったのです」
「婚約破棄の絶好の理由?」
怪訝そうに問いかけてくるのに、アナベルは小さく頷いた。
「私は今は一般の民ですが、元は伯爵の娘です。しかし、我が家には跡取りとなる兄弟がいませんでしたので、家の存続のために従兄と結婚して、その従兄が継ぐと幼少時より決まっていました」
「貴族の家によくある政略結婚だな……」
公爵の相槌と呟きには、なんだか暗い感情が込められているように感じた。
公爵家のような大貴族ともなれば、その手の苦労はアナベルの想像を絶するものがあるのかもしれない。
「そのような、親が家のためにと定めた婚約はよほどの理由がなければ破棄するなどできないものです。それでも破棄したかった従弟は、私にこれを填め 『不貞を犯したか否かを証明する腕輪』 だと領地中に吹聴しました。婚約者以外の男に身を許した女が填めれば呪いが発動し、決して外れることはなく半年後に死ぬと……そして、この腕輪ははずれませんでした」
「そのような物を証明する呪いの腕輪など、胡散臭い話だ。君が不貞を犯したと言うなら、その婚約者は相手の男を連れてくるのが先ではないのか?」
ブルーノを知らない人間がこの話を聞けば、普通はこうなる。
アナベルは苦笑した。
「領地の者達は、私よりも従弟を愛していましたので……そのような真似はせず、従兄の言葉を鵜呑みにしました」
「だが君は不貞など……」
「もちろん犯していません。この腕輪はそんな事には関係なく、解呪できなければ半年で確実に死に至る呪いがかかったものです。……私は少し前まで王都の女学院に通っていまして、そこの寄宿舎に入っておりました。学院の教師も寄宿舎の職員もすべて女性でした。婚約者がいるということで、パーティに出ても親密になるような殿方などなく、礼儀として少しダンスを踊る程度で、まともに口を聞いたこともありません」
「それなのに、君の縁戚や領地の者達は婚約者の男ばかりを信用して、君に不貞の汚名を着せて婚約破棄を成立させたのか?」
公爵が、そんな馬鹿げたことがあっていいのかと言いたげな顔をして問うてきた。
これこの通り。ブルーノに心酔していなければ、彼の使った婚約破棄の理由は成立しないのだ。
「私も従兄が嫌いでしたので、今お話ししたことは何も話さず、これ幸いとその企てに乗りましたので……。結婚せずにすんで助かったというのが本心です」
婚約破棄に関してはなにも気にしていないのだ。
それを伝えるようにふふ、と笑って見せるも、公爵は納得がいかないようで顔を顰めていた。
「だが、不貞の汚名と言うのは女性にとっては死活問題ではないか。しかも死の呪いなど……いくら君も婚約者を愛していなかったからと……そのような事を平然とするその男は、人間の皮を被ったゴミだ!」
まるで我がことのように憤ってくれている公爵に、アナベルは心があったかくなった。
「ありがとうございます。……確かに、婚約者を裏切った人間として領民に疎まれたままその地で生きていくのでしたら大問題ですが、私の場合は両親も亡くなり領地に未練もありませんでしたから、大丈夫です。それを機に貴族の身分は捨てました。祖母を頼って王都に出てきましたので、死活問題と言うほど重くはないのです。不貞を犯していないことは、私が知っていればいいことです。……問題は、不貞の汚名でも婚約破棄でもなく、私の魔法でも解呪できない呪いだけです」
「心が強いのだな……」
「!」
まるで、光り輝くいい物を見るような眼差しを向けられ、胸がドキッとして頬が赤くなる。
ぱんぱんに張った丸い顔がブルーノよりもかっこよく思えるなどどうかしている。
「つ、強くなどありません。強ければこれは解呪できる。でも、私にはそれを決断できる強さはないのです……」
マーヴェリット公爵家から奪って、相手の没落など知らぬ顔をして使う強さが自分にあれば……こんなところで悶々と悩んでいない。
「悲しげな顔をする必要はない。今この時より、私が後ろ盾となりよい嫁ぎ先と、その呪いが解けるように力となろう。君を捨てた愚か者が羨むほどに、幸せにしてあげるよ」
「え?」
突然の申し出に、アナベルは頓狂な声を上げた。
いくら飛竜を癒したからと、その申し出はお人よしすぎる。
「そういえば、まだ名乗っていなかったな。名も明かさぬ者に突然こんなことを言われても信用できぬよな」
公爵はアナベルが申し出を受け入れないのをそう考えたようで、苦笑した。
「私の名は、セイン・マーヴェリットだ。上級貴族に知り合いが大勢いるから、安心して任せるがいい」
「セイン・マーヴェリット……って……さ、宰相閣下……ほ、本物なのですかっ?!」
公爵の名が耳に入った途端、アナベルは息が止まるかと思った。
騙りで名乗れば確実に首が飛ぶ名だ。本人に間違いないとわかっていても、まさかの名に叫んでしまっていた。
目は限界まで瞠られ、全身はがちがちに硬直した。
公爵の中でも、まさかマーヴェリット公爵とは微塵も考えもしなかった。
ベリル一の名門貴族であり政の要でもある宰相。その上、現王の従弟にあたる方だ。
しかも、病弱な現王にはお子が一人もなく、兄妹もいらっしゃらない。
さらには、すでに死去されている前王にも、兄妹はマーヴェリット公爵家に降下した妹君しかおられない。
なので、もしこのまま現王が逝去ということになれば、祖母のお客の令嬢たちが話していたように、マーヴェリット公爵が玉座に最も近い人となる。
「もちろん本物だ。国中に触れを出してあげるから、呪いを解く方法は必ず見つかる。それでも駄目なら世界中を探させよう。君を捨てた婚約者より何倍も良い相手も、必ず見つけてあげるよ」
「…………」
そういえば令嬢たちはマーヴェリット公爵に関し……あのように肥えた人はとか何とかと言っていた。
目の前で優しく微笑んでいる公爵は確かに丸々と肥えている。
だが、アナベルより少し年上には見えるものの、三十を超えているようには見えない。老獪な切れ者というより、お人よしに見える。
でも、先ほど騎士たちに見せた威厳と物腰……それに、人の上に立つ人間の中でも、よほど特別な人にしか備わらない光属性の魂……。
それは、悪辣な貴族たちを容赦なく罰して施政を正している宰相に相応しい魂だ。
今は元気になった飛竜が弾き飛ばしているが、その背後に漂う無数の怨念も、宰相公爵であるならうなずける。
この人がマーヴェリット公爵であるなら、月の欠片を持つ人間だ。
自分が奪えば没落させてしまうかもしれない……。
だが、呪いを解く希望が目の前にあると思うとアナベルの心は落ち着きをなくした。
ごくり、とつばを飲み込みそのまるい顔を凝視してしまう。
「結婚相手にどうしても譲れぬような条件はあるかい? 何でも好きに言うがいいよ。難しく考える必要はない。君の力となると言っているこの私は、王家とも縁のある人間だ。都合の良い男が手に入ったと喜び、自分が幸せになるために利用することを考えると良い」
「利用……」
「私は、本当にきゅきゅを亡くすのが嫌だった。それを救ってくれたのだ。恩人に礼をするなど当然のことではないか。君は何も遠慮する必要はないのだ」
そこまで言ってくれる。鷹揚に微笑む優しすぎる公爵に、アナベルは身勝手とわかっていながらも押さえがきかなくなった。
跪き、地に額が触れるほどに深々と頭を下げた。
「どうしたのだ?」
「殿方の紹介などしていりません! 私に何でも礼をしてくださるとおっしゃるなら、あなた様が所有する月の欠片をください! それこそがこの腕輪の解呪道具なのです!」
やはり生きていたい。死にたくない。
月の欠片は間違いなくマーヴェリット家の家宝だ。
何も遠慮する必要はない、と言葉では言っていても、こんなとんでもない要求を出されるとは思ってもいないだろう。
それでも、自分に出来る事なら何でもするから譲ってほしい。