007.まんまるおでぶなブ……の正体。
「君は上級白魔法使いだったのだな」
とても感心しながらこちらを見ている男性に、アナベルは首を横に振った。
「いいえ。上級白黒魔法使いです」
領地では誰にも知らせるつもりはなかったが、王都では魔法屋をしようと考えているので正直に答えた。
「え?!」
男性は、大層驚いた様子で肩を揺らした。
魔法は、地、水、火、風、光、闇といった元素を使用する。
それが白魔法として使用されれば治癒や補助的なものに効力を発揮し、黒魔法となれば攻撃となる。
ただし、白と黒は反するものなので、両方を使える魔法使いは滅多に生まれない。
現在では数が激減している魔法使いは中級で、どのような場に出ても素晴らしいと褒めそやされる存在だ。
その上位、上級魔法を使用できるとなれば、試験を受けずとも王宮魔法使いの地位が確定している。貴族の出でなくとも、富も権力も地位も十二分に与えられるうえに、望めば国王の側仕えも夢ではない。
それほどに上級魔法使いは稀有な存在となっており、それが白黒両方使用可能となれば、稀有どころでは済まない。
「母方の祖父が黒魔法使いで、祖母が白魔法使いなのです。ですが、二人の娘である母にはまったくその力が顕現せず、孫の私に二人の力が合わさっただけでなく、より強力になって受け継がれたようなのです」
「なんと素晴らしい! 白黒両方使える魔法使いなど、王宮魔法使いにも五百年は存在していないはずだ。しかも上級とは……宮廷に出仕は考えないのかい?」
興奮しているように見える男性に、アナベルは苦笑した。
「お褒めに与り光栄ですが、どんなに素晴らしくとも役に立たない力では無意味です。宮廷に出仕は考えておりません」
「役に立たない? そんなことはない。私の飛竜を救ってくれたではないか。とても感謝している。なんなりと礼をしよう!」
心のこもった言葉だと思うが、アナベルは首を横に振った。
「礼などいりません。あと半年でこの世から消える身ですので……。それでは、飛竜と共にお元気で……」
素直に消えるつもりはないが、飛竜を癒したのはその健気な姿と、男性の飛竜をとても大切にしている気持ちに心打たれたからだ。お礼目当てではないので、そう言っておいた。
「まってくれ! どうして半年で死ぬ……」
男性が手を伸ばしてくるが、今度は掴ませない。
アナベルは素早く身を躱し土手の斜面を駆けのぼった。
「うわっ! わあああああああああ……」
悲鳴とまるで大岩が転がるような振動が轟く。
『きゅ、きゅううう~~~~!』
飛竜の哀れな鳴き声が土手に響き渡る。
「セイン様っ!」
御者や護衛騎士達からも、慌てた声が次々とあがった。
男性が土手を転がり川に向かっていた。
アナベルを追おうとして足を滑らし、そのまま態勢を崩して川までまっしぐら……。
巨体は丸まり、坂を転がり落ちる勢いは増すばかりだった。
斜面を上りきっていたアナベルは、土手の道で呆然とその光景を見た。
騎士たちが追うも間に合わず、アナベルが制止の魔法を使おうとした時には、男性は豪快な音と派手な水しぶきあをあげて川に落ちていた。
水深はあまりないようで、男性は流されることなく川の中に座り込んでいる。
アナベルは浮揚魔法を使って男性を川から自分の傍まで移動させた。飛竜が男性の肩にちょこんと乗り 『大丈夫?』 と問いかけるかのようにその頬を翼で一撫でした。
「ああ、びっくりした」
座り込んだままの態勢でいる男性は、飛竜に一つ頷くと、アナベルを見上げて面白そうに笑った。
この状況で笑えるとは肝が据わっているように思うが、驚いたのはそちらだけではない。アナベルもとても驚かされた。
巨大でまんまるな人間が土煙をあげて土手を転がり落ちていく……現実とは思えぬあのようなモノは、この先二度と目にすることはないだろう。
「……怪我がないようで、何よりです……」
濡れネズミ……というより濡れブ……全身水浸しで地に座り込み安堵の息を吐いている男性は、アナベルの見るところ無傷だった。
両手を男性に向け、風魔法を温風仕様にして送り乾かす。瞬く間に元の通りとなった。
「便利なものだねぇ」
男性は暢気に笑って自身の姿を見回しているが、こちらに寄ってきた騎士たちはそうはいかなかった。
「そこの、女! きさま、公爵様を突き落としたのか?」
今にも抜刀しそうな勢いで、アナベルに詰め寄ってくる。
「公爵、さま?!」
このまんまるおでぶなブ……にしか見えない……いやいやいや……大きな方が?
アナベルはぎょっとして硬直した。
公爵とはベリルの特権階級……貴族の最高位であり、七家しか存在しない。どの家も中央政治に携わる重臣であり大領主だ。
上級貴族とは思っていたが、まさかそこまでの貴人とは夢にも思わなかった。
突き落とすなどとんでもない。
男性が勝手にバランスを崩して土手を転がったのだ。
第一、この巨体を女の細腕で突き飛ばせるものか。魔法を使えば可能だが、わざわざそんなことをして自分から寿命を縮めて、いったい何の得があるというのだ。
「公爵様を川からこの場に運んだのもきさまの仕業のように思うが、魔法使いなのか? 突き落としておいて、怖くなって引きあげたのか?」
しかし、騎士たちの怒りの形相から見るに、話したところで通じるようには感じない。
だが、ここでしっかり主張しなければ罪人扱いとなり、公爵ほどの大貴族に無礼を働いたと断定されれば、問答無用で首を刎ねられる。
「違います! 突き落とすなどしておりません!」
アナベルは騎士たちから目を逸らさず、強い口調で対峙した。
「…………」
しかし、騎士たちのアナベルに対する態度は軟化せず、こちらを睨む目は信用できない、と突きつけてくるばかりだった。
拙い事態に顔色が悪くなったところで……空気まで凍りつきそうな、冷ややかで厳しい声が響いた。
「彼女にもう一言でも余計な口を聞いたら、お前たちを護衛騎士から外すよ」
公爵が黄金の瞳に苛立ちを込めて、騎士たちを見据えていた。
「こ、公爵様……」
ひゅっと騎士たちの喉が鳴る。それまでの威勢が嘘のように消え、怯えたように身を震わせた。
公爵の眼光の鋭さと身に纏う威厳に、屈強な騎士たちが完全に気圧されている。
先程までとは違う公爵の気配に、アナベルは意外なものを感じて目を瞬いた。
「彼女は私の恩人だ。こちらが礼をする立場であるのに、何を突っかかって無礼な真似をしている。下がれ!」
「は、はい。申し訳ございません!」
騎士たちは公爵に深々と腰を折って謝罪すると、アナベルにも同じようにしてから足早に馬車の側へと戻って行った。
おっとりした温和な人だとばかり思っていたところに見た、思わぬ苛烈な態度に驚くも、公爵家の当主ともなれば、飛竜に対するように優しいだけでは務まらないのだろうとも思う。
それよりも気になるのは先程感じた公爵の気配だ。
あれは、魂に光の属性を持つ者しか纏えぬものだ。
人間はそれぞれ魂に、地、水、火、風、光、闇、いずれかの属性を持って生まれる。
魔法使いは他者のそれを感じることができるのだが、その中で、光と闇を持って生まれる人間は滅多に存在しない。
公爵は、その稀に生まれる光属性の持ち主だった。
光属性の魂を持つ人間は、人々の中心に立ち導く力がある。公爵家の当主に相応しい属性だと思うが、光属性であるならば、呪いに対して耐性がゼロに等しいなどそんなことはあり得ない。
魂が光属性であれば、低級のみならず中級の呪い魔法であっても問題なく弾き飛ばせるはずだ。
これは、一体どういうことなのだろう。不思議に思うアナベルを、公爵が申し訳なさそうに見ていた。
「すまないことをしたね。私からもあの者たちの非礼を謝罪するよ」
座り込んだままではあったが、本心から申し訳ないと思ってくれているのがよく伝わってきた。
その雰囲気は、穏やかで柔らかなものに戻っている。どちらも公爵の本質であり、息をするように容易く使い分けられるのだろう。
「いえ……あの方々はあなた様の危機に驚かれたのだと思います。ですので、酷い罰は与えないであげてください」
いきなり主が土手を転がり落ちたのだ。
護衛騎士が慌てるのは当然のことだ。側にいた女を犯人と思うのも自然な成り行きである。
逆に何もせず、主が川に落ちても平然としている方が大問題だ。
アナベルは公爵に忠節を尽している騎士の態度に特別不快なものは抱かなかった。
「君は、優しい人だね。そんな優しい君に、ぜひとも礼がしたい。どうか、我が家へ来てはもらえないだろうか?」
「せっかくのお誘いですが、そのように恩に着てくださらなくとも構いません。飛竜を回復させた先ほどの魔法ですが、もし、飛竜に寿命が残っていなければ何の効果もなかったのです。ですから、その子はまだ死ぬ定めではなかった、それだけの事なのです」
公爵の不思議は気になるものの、アナベルにはそれよりも考えなければならないことがある。
一礼して去ろうとするも、しかし、素早く腕を掴まれ引き止められた。
今度はあまり力を入れないようにしてくれているが、それでもこちらを見ている黄金の瞳に、逃がさないという強い意志ははっきりと感じた。