059.ときめき成分
触りたい……。
見ているとふっくらとした頬に触れたくてたまらなくなり、アナベルは無性にうずうずしてきた。
きっと、ぽよんとして柔らかい……いや、それだけではない。ふよふよとした絶妙の心地良さも感じられるはずだ。
【かわいい顔をしてるでしょう。私はセインの、眠って気が緩んでいる時の顔が一番好きなの】
「まったくもってその通りだわ」
安らかに寝入る無防備な寝顔。これに勝るものはない。
なんとも心弾む光景に嬉しくなるばかりだ。ごくりとつばを飲み込み、ますます見入ってしまう。
眠るセインは、口許が心持ち微笑んでいるように見える。疲れている、と聞いていたから心配だったのだが、とても幸せそうな顔だ。こういう表情をしていて悪夢を見ているということはないだろう。
ああ、触りたい。
見れば見るほど 『ぽよぽよ具合を確かめたいだろう?』 とアナベルを誘惑してくる顔だ。
でも、さすがに触って撫でたりすれば起こしてしまうだろう。それに、恋人でもない女がじっくり寝顔を眺めるばかりかぺたぺた触るのはあまりに図々しいおこないだ。
途轍もなく惜しいが、ここは我慢である。
【副隊長は、本当にセインが太っていることを気にしないのね。それどころか、今のセインがとてもお気に入りのように見えるのだけど……あまりの食いつきのよさに、ちょっと驚くくらいだわ】
「え?」
どこか不思議そうなきゅきゅの声に、アナベルはセインを凝視していた目をそちらに向けた。
【私は痩せた美男でも丸くてかわいい姿でも、セインであれば何でも大好きなのだけど、人間の女性は丸くてかわいいだけじゃ駄目なのでしょう? 痩せていてかっこよい男性を求める生き物だと思っていたのだけど……】
翼にて、シーツの内に入るようにと示しながらの言葉に、アナベルは素直に従いながら小さく笑った。
「そうねえ……痩身の男性が好まれるベリルでは、女性は隊長の感じている通りなのかもしれないわ。それでも人間の女性の好みはいろいろあると思うから、皆が皆、男性は丸くて可愛いだけじゃダメ、ということはないと思うの。少なくとも、私は今のセインを見ていると安心して気持ちが穏やかになるし、なによりあったかいのが嬉しいわ」
不摂生の成れの果ての姿であるなら健康のために痩せてもらいたいが、原因が呪いにあり健康状態に支障がないのであれば、アナベルはまん丸な今の姿の方がいい。
痩身の美男子よりも、シーツの内がとってもあったかいことと、見ているだけでこちらまで幸せな気持ちにして貰えるまあるい寝顔のほうが遥かに貴重で重要なものだ。
ベリルの女性らしくない変わり者と思われるかもしれないが、それがアナベルの偽らざる心情である。
【安心、穏やか、あったかい……。セインを悪く思わないでくれるのはありがたいのだけど、副隊長の感想には恋人に必要なときめき成分が足りないように思うわ】
「ときめき成分?」
どこか不満げなきゅきゅに首を傾げると、大きく首を縦に振ってうなずいた。
【なんだか熟年夫婦の話を聞いてるように感じるのよね。結婚もしてない内からそれじゃ駄目よ。ときめいてドキドキしてもらわないとつまらないわ】
「つまらない?」
引っ掛かりを感じたのでそこのところを問うと、きゅきゅは僅かばかりアナベルから視線を逸らすようにし、小さく咳払いをした。
【そ、それはこっちの話。あなたは気にしなくていいの。でも、ときめき成分を増すには、やっぱりセインはまん丸でかわいらしいだけじゃ駄目だわ……】
「駄目じゃないと思うけど……」
今のセインに駄目出しをして、ときめき成分、などというよくわからないものなど特に増やさなくていい。
「いいえ。愛し合う男女にときめき成分は絶対に必要なものなの。今のセインにはかわいらしさしかないからそれが増やせないけど、呪いが解けたら痩せて滅茶苦茶かっこよくなるわ。そうなれば、副隊長のときめき成分が何倍にも増えること間違いなしよ。この城にはちゃんと痩せていた時の肖像画があるから見せてもらうといいわ】
逸らしていた視線をアナベルに戻し、懸命に力説してくるきゅきゅに、アナベルはそっと手を伸ばした。
「隊長もここに入るといいわ。三人で一緒に眠りましょう」
シーツの内に入って来ないきゅきゅを、自分とセインの間に誘う。
すると、緑の瞳をくるくると動かしたきゅきゅは少し不満げに言った。
【私が嘘をついていると思ってるの? 呪いが解けてもセインは美男になんてならないし、ときめき成分なんて増えないって……】
どうやら、肖像画に興味を示さないアナベルが不服のようだ。
まるで人間が怒った時に頬を膨らませるかのように、きゅきゅの頬がわずかに膨らんでいる。その姿がとても愛らしくて、アナベルはそこを人差し指で軽く撫でながら目を細めた。
「嘘をついているなんて思わないわ。痩せたセインは、とても綺麗な顔をした殿方になるのは間違いないでしょうね。今の姿からでもその顔が想像出来るもの。だから、痩せていた時の肖像画に興味は惹かれるけど、特別見たいとは思わないわ」
アナベルが撫でているときゅきゅの頬から膨らみは消えたが、その顔には困惑の感情が滲んでいた。
【どうして?】
「痩せた美青年の姿を見ているよりも、今の安心できてあったかいのがなによりだわ。ときめき成分なんて無理に増やさなくても構わないのよ」
第一、痩身の美男子になったセインを見たからと、アナベルの中にときめき成分とやらが増えるとは限らない。
【副隊長ってもしかして……セインに限らず、太ったかわいい男性が好きなの?】
思わぬ真剣な目をして問われ、アナベルは苦笑して軽く首を横に振った。
「そんなことはないし、痩せたセインの姿も見たいとは思うのだけど……綺麗な顔をした男性というのは、正直少し苦手だわ……」
セインであるからまん丸おでぶさんの体型を好ましく思うだけで、太った男性が好み、ということはない。ただ、美男子という存在にあまり肯定的になれないのは確かだ。
【苦手なの? そんなの困るわ。セイン、一生呪いにかかってるなんてことないと思うし……】
きゅきゅは翼が大きく下がり、悲壮感満載の姿となっていた。
でも、アナベルにとって顔の整った男性というのは、見惚れる対象というよりも関わらずに済むなら関わりたくないと思う存在なのだ。
ジャンを最初に見た時も、出来るだけ態度に出さないよう努めたが、かなり身構えていた。
ただ、ジャンは美男子であるが、セインを守るという共通の目的を持つ同志のような人間となった。だから今は苦手意識はない。
「父の決めた婚約者だった人が、綺麗な顔をしていたのだけど……会うたびに、父たちの目がない場所を選んでは、碌でもないことばかり言ってくれたおかげかしらね。綺麗な顔の男性を見ると、どうしても緊張してしまうわ」
アナベルは、綺麗な顔をした男性に傍にいてもらうよりも、優しくて安らぎを感じさせてくれるような人に傍にいてほしい。
だから、自分の心をあったかく包んでくれるセインのような人がいいのだ。気に入らないところを並べ立ててて罵倒してくるのではなく、アナベルにもいいところはあると認めてくれる人がいい。
【それは、夜会で喚いていた無礼な男のことね……】
「隊長やセインのおかげですっきりさせて貰ったから、昔のこととして忘れるけど……でも、美男子だから無条件で信用して惹かれる、なんてことはこの先もないでしょうね」
ときめく、というのもないように思う。
【副隊長。痩せたセインはね、あんな男よりも何倍も綺麗な顔をしているわ。ときめき成分増加は諦めるから……お願い、嫌わないで。性格は何も変わらないのだから、ね。お願い】
不安げな顔となって懇願してきたきゅきゅに、アナベルはにっこりと笑った。
「もちろんよ。今の姿のほうが安心するとは言ったけど……私も、セインであれば隊長と同じでどんな姿でも気にしないわ。大切なのは容姿でなくてその人の持つ心根だと思うもの」
【そうよね。そうよね! やっぱり、副隊長に出会えてよかったわあ……しあわせ~】
朗らかに言ってその場でくるくる回ってみせた上機嫌のきゅきゅに、アナベルは面映ゆく思いながら微笑みを浮かべた。
素の自分を認めてくれるばかりか、それでいいのだと褒めてくれる。そんなきゅきゅとセインに出会うことのできた自分の方が、はるかにたくさんの幸せを貰っていると思う。
とはいえ、いずれ痩せた折には、柔らかくてあったかいのは無くなってしまうのだ。そう思うと、どこか残念にも感じた。
やはり、我慢して諦めるよりも、そうなる前にここで触っておいたほうがいいのではないだろうか。
貴重な機会を逃して後で悔やんでもどうにもならない。そんな気持ちがむくむくと己の内で急成長していく。
何かよい理由があれば触りやすい。
都合のよいものはないだろうかと考えながら寝姿を眺めていると、名案が閃いた。
「私、セインに疲れが取れるとっておきの魔法をかけると言っていたわね」
休む前に疲労があったとしても、今はもう癒えているように見える。が、それはこの際見なかったことにする。
【よい魔法があるならかけておいてほしいわ。セインがいつでも元気でいられるように】
きゅきゅが頷くのを見て、アナベルは両手でセインの頬を挟むようにして触れた。
「ああ、なんて柔らかいの……」
起きている時に触れたよりも数倍柔らかく感じる。ぽよぽよふよふよしていて気持ちいい。この幸せに堂々と触れるなんて、魔法使いで良かった。
うっとりとしてそう思う。
自分を魔法使いとしてこの世に誕生させてくれたすべてに感謝しながら、アナベルはほんのわずかな疲労でさえもすべて取り除ける最上の魔法を使う。
続けて、夢見がよくなる魔法もかけようと、そっと身を寄せその額に唇で触れた。
すると、良い夢を約束する前にセインの目が開いた。




