057.ちょっとした技
「迎えに行ったほうがいいのか……」
というよりも行きたい。
アナベルに関しては、セインの婚約者となったという以上に、王の病を癒すことのできる可能性を持つ特別な魔法使いであることが広まっているはずだ。
いくらマーヴェリット公爵夫人の地位を狙うのに邪魔だからと、そのような彼女を襲う者などいないと思うが、それでも心配だ。
セインは焦燥に駆られながら夕日が落ちていく窓の外を見る。
「危険な場所に行ったわけでもなし、彼女の目に触れないように護衛もつけているではないか。その彼らから何の連絡もないのだ。帰るまで待ったほうがいい。魔法で戻ってくるのだろうから、行き違いになる可能性がある。それに……」
そこまで言ってジャンは言葉を切った。
「それに、なんだ?」
その姿になんだかいやな予感を覚えながらも目を向けると、にやりと底意地の悪い顔をして笑われた。
「もう真夜中とでも言うならいざ知らず、この程度の時間でそわそわするとは……余裕のない男は嫌われるぞぉ~!」
「…………」
面白がられてむっとするも、言い返せない。
セインはアナベルに、自由を阻害する鬱陶しい人間とは思われたくない。しかしいくらそう思えど、少しでも早く顔が見たいとも思ってしまうのだ。こんなにも、己の心であるのに儘ならないと感じたことはこれまで一度たりともなかった。
唇を引き結ぶ。自分でも理解不能な呻き声が出そうなのをそうして堪えていると、真正面にきゅきゅが飛んで来た。
【あなたは今、心がたくさん疲れているわ。そのままの状態でいつ帰るかわからない副隊長を待っていては余計に疲れるように思うの。だから……】
「きゅきゅ?」
セインの目をじいっと見つめて意識に伝えてくる声に小さく首を傾げる。
【少し眠ったほうがいい。きっとその間に帰ってくる。副隊長は、絶対にあなたと私の傍からいなくなったりしないわ】
きゅきゅの翼が大きく羽ばたく。一度、二度……と続くたびに、言葉では形容できない不思議な……あたたかで柔らかなものがセインに向かって流れてくる。
「きゅきゅ。魔法でも使っているのかい?」
何故か意識がぼんやりする。唐突に眠くなってきたので問うと、悪戯っぽい囁きが返ってきた。
【いいえ。飛竜の持つちょっとした技よ。この風を送ると、短い時間だけど正面にいる相手を眠らせることができるの】
「そんなことも出来るとは……驚きだ……」
視界が揺れる。どうしても目蓋が落ちてくるのを堪えきれない。
飛竜にこのようなことまで可能など、どの文献にも乗っていないはずだ。長く共にいる自分ですら知らなかった。まだまだ未知の存在なのだな、と思ったのを最後にセインの意識は途切れた。
◆◆◆
「きゅきゅ。疲労回復に眠らせたのはいいが、ちょっとした技とやらで寝室まで運べるのか?」
机に突っ伏し安らかな寝息を立てているセイン姿を見ながらジャンが問うと、きゅきゅは首を横に振った。
【そんな技はないわ。それはあなたの役目でしょ】
セインの肩に乗って当然とばかりに返してきた姿に、ジャンは苦笑しつつ少し肩を竦めた。
「いくら私でも、一人で運べるわけがない。運ぶ手間を考えて寝室で眠らせてほしかったな……」
【副隊長が戻ってないのに、寝室で眠ってと言って素直に頷くわけないでしょ】
ぼやきに呆れたような声が返り、それもそうだと納得する。
「恋に落ちると人は変わると言うが、まさかセインのあんな姿が見られるとは思わなかった。最後には夢など諦めて、後継者を残すためだけの結婚をするとばかり思っていたからな……」
そうして女性不信のまま生涯を送るのかと思うと、せっかく地位も財もある大貴族の当主であるのに、仕事ばかりの暗鬱な人生になるだろうと気の毒にしか感じなかった。
ジャンは、女性との愛ある暮らしは人生を華やかに楽しく生きるのに何より大切なものと思っている。なので、大切な存在であるセインには是非ともそのような暮らしを営んでほしかったのだ。この度アナベルという女性が見つかり、その希望が叶いそうで一安心である。
【それには私も同意するわ。そうならなくて済みそうで、本当によかった】
まるで、我が子を案じる母のような目をして翼でセインを撫でるきゅきゅに小さく頷くと、ジャンは運ぶ手はずを整えるため家人を呼んだ。




