049.卑怯者
「なぜ、ここに……あ!」
まさかの姿に呆然と呟きかけて、セインは己が重要なことを抜かっていたと思い出した。
寝室を別にする話をモリーに伝えるのを忘れていた。
だから、彼女たちは今宵もこの寝室にアナベルを案内したのだろう。
アナベルはさぞ驚き困惑したはずだ。それでも、偽りの婚約者だから部屋は別にと言わないでくれた。そのやさしさが心に沁みる。
きゅきゅやジャンが言うように、彼女はセインの心に光を与えてくれる人だと思う。
ささくれ立っていた心が、アナベルを見ているだけで穏やかなものとなっていくのが自分でもわかるのだ。特別な話などしなくてもいい。ただ、そこにいてくれるだけで幸せな心地になれる。自分にそのような相手など、生涯探しても見つからないと思っていた。
だからこそ、自分が今感じている以上の幸せを彼女にも味わってもらいたい。その為なら、何でもする。
そう考えているのに、己のおこないは真逆でしかなかった。
「すまない。寒いだろうに……」
新緑の季節とはいえ夜はまだ冷えるというのに、アナベルは寝台を使わずソファで眠っていた。しかも、寝台からシーツを取って使うこともしていない。
彼女はきっと、セインの寝台で眠るのを恥ずかしいというよりも、図々しいおこないであると考えたのだろう。
セインが偽りではなく本気で求婚していることは理解しているだろうに、それでも、求婚されているのだからあったかい寝台を無断で使っても大丈夫とは考えない人なのだ。
出会ってからわずかな時間しか共にしていない。そうであっても、セインは己の感じるアナベルの人となりを間違っているとは思えなかった。
歩み寄り、美しい寝顔を間近で見下ろしても、アナベルは一向に目を覚ます様子はない。
心より申し訳なく思いながら、セインは起こさないように細心の注意を払ってその身を抱き上げた。
「え?」
柔らかくて馨しい香り、までは理解できる。
だが、アナベルを包み込むように存在するあたたかい空気には首を傾げた。
しかし、その謎は瞬時に解ける。
少しでも心地よい眠りを得られるようにと、アナベルは魔法を使っているのだ。
「これではますます私が守るなど話にならないな。私は君のやさしさに縋り、迷惑ばかりかける男だ……」
他の女がセインを跪かせたいと望んでいると知ったときは、嫌なものしか感じなかった。だが、アナベルならば話は別だ。跪いたくらいで結婚を承諾してくれるなら、いくらでもその足元に跪きたい。
でもきっと、彼女はそんなことは望まない。してみせようとすれば、おやめくださいと大慌てで止められるだけだろう。
苦笑しつつ寝台に運び入れる。
セインはゆっくりとその隣に横になった。己の胸もとへ抱き寄せるようにすると、アナベルが微笑んだように見えた。
「起きたのかい?」
起こさないよう気を付けたのだが、やはり抱き上げたりすれば異変を感じて目が覚めてしまったのだろうか。
眠りを阻害してしまったとますます申し訳ない気持ちになるも、返事はない。
それどころか、アナベルはすりすりとセインの身体に頬ずりするようした。しかも、大層機嫌が良さそうな雰囲気を纏っており、その身を包んでいたあたたかい空気は消えていた。
「私があったかいから、無意識に魔法を切ったのか……」
昨夜も、暖を求めてセインに抱きついてくる彼女が可愛くて、欲望を堪えるのに我慢しながらもしっかり抱きしめて過ごした。
今日も我慢、と思いながらも額にキスすることだけ許してもらう。
すると、どのような夢を見ているのか、アナベルは大層満足げに微笑んだ。
しかも、セインに向かって手を伸ばしてくる。
その手はセインの胸もとやわき腹をやんわりと撫でた。
優しい動きは心地良くもくすぐったいもので、思わず笑い声をあげそうになる。
起こすわけには行かないのでなんとか堪えていると、アナベルはついにはセインの腹を軽く叩くようにペタペタ触り始めた。現実ではそのたびにぽよんぽよん揺れているのだが、目を閉じて寝入っているアナベルがそれを見ることはない。
しかし、何か柔らかいものに触れていることはわかっているのだろう。とても楽しく気持ちよいようで、ご機嫌である。
己の腕の中で愛しい人にこんな姿を見せられては、自分の腹などいくらでも叩いていればいいという気持ちに自然となる。
アナベルはセインが太っていることをあまり気にしていない。それどころか、本気で柔らかくていい、と思っている節が多分に見受けられる。
なんだか、痩せたら喜ばれるどころか、がっかりされるようにすら感じるほどだ。たとえ寝ぼけようとも抱きついてくれなくなるのではないか、とセインは少し危機感を覚えていた。
「わたしの……」
アナベルの、常とは違うぼんやりとした声が耳に届く。
寝言だとわかっていても、もしやと期待が高まってしまう。
セインは、ついその背を抱く手に力が入ってしまった。
ここで、アナベルに自分の名前を呼んでほしい。『セインは私のもの』 と、囁いてほしい。
「アナ……」
その望みを込めて名を呼びかけたのを遮るように、アナベルの嬉しそうな声が重なった。
「おいしい、おにく……」
「…………」
満面の笑みを受かべているその姿に、セインは一瞬だけ固まると、現実などこんなものさと拗ねた気持ちで息を吐いた。
きっと今、夢の世界のアナベルの目の前にはセインなどおらず、素晴らしい肉料理がこれでもかと並べられているのだ。
「おなかいっぱい、お食べ」
頭を撫でながらそっと囁きかける。
今はそれでいい。でも、いつの日か、肉料理の夢ではなく自分の夢を見てほしい。
彼女に守られるだけの男でなく、彼女の夢に登場できるような頼りになる男になりたい。セインはそう願いながらもう一度アナベルの額にキスをする。
別々の寝室にした方がアナベルは安堵するだろうが、セインは明日もこうして共に眠りたいと思う。だが、わざとモリーたちに伝えないなど、そんな卑怯な真似はしたくない。
しかし、アナベルにそれを 『お願い』 すれば、それも卑怯な真似と同じだ。セインを恩人だと思っている彼女は、その願いを断ることはないからだ。
「どうするかな。だがここはやはり、卑怯者になるしかないか……」
綺麗ごとを言って別々に休むよりも、悪辣な真似をしようとも一緒に休みたい。
「わがままで、すまないね。私は君の思うような善人ではないのだよ……」
呟いて目を閉じるセインに、アナベルは無防備に寄り添い深い眠りに愛されたままだった。
そうして早朝。
セインは、再び食べられそうになる。
昨日と同じくこれは理性の限界と感じ、アナベルを起こしてしまった。
「わ、私、確かにソファで寝た筈なのに……セインの寝台に、勝手に上がり込んだのですかっ!」
己のおかれた状況を認識したアナベルは、昨日と同じく大慌てでセインの側から飛び退いた。
この世の終わりと言わんばかりの顔をして、悲鳴交じりに謝罪を述べようとするのを、もちろんセインは止めた。
悪者は完全にこちらである。善良なアナベルには微塵の落ち度もない。




