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041.花が咲く

「駄目人間、か……。そんなものになる君など想像がつかぬが、私にだけ甘え癖のついた人間になるのは大歓迎だな」

「な、何を真顔で……」


嬉しそうに笑う顔を見ていると、胸が異常にドキドキして全身が熱くなり髪の毛まで逆立ちそうだ。

言動がおかしくなりそうなので、あまり心を掻き乱さないでほしい。


「本心なのだから、真面目な顔にもなるよ。……だが、王太后様にはいくら私が心を尽くそうと真面目に語ろうと通じない。そんな私が陛下の治療に関することで王太后様の許可を得るなど不可能に近いから、長官から話を通してもらおうと考えたのだが……」


セインから楽しげな表情が消える。苦渋の滲む顔となり、首を横に振った。


「隊長に魔法をかけてくれたと伺っていましたから、セインのお話を聞いてくださる方だとばかり……それが拒否というのは意外でした」


長官が、見たこともないアナベルを信用できない気持ちはわかる。

だが、ベリル一の権勢家たる宰相公爵が推薦しているのだ。それを頭ごなしに拒絶するというのは驚きだった。

せめて、試験をしてから考えるとの柔軟な態度を取るものではないだろうか。その結果、王のために役に立つ魔法使いであるとわかれば、長官にとっても悪い話ではないと思うのだが、違うのだろうか。


「陛下の特別なご命令がない限り、長官に限らず王宮魔法使いは皆、中立の立場だ。どの王族、貴族の相談にも乗るが、特定の人間を優遇して過剰に肩入れするような真似はしない。それが、あからさまに王太后様のお言葉に肩入れしていた。……それはないと油断していた自分が情けないよ」


セインはきゅきゅが楽しげに水と戯れているのを眺め、小さく息を吐いた。アナベルはその横顔に、それで平静を保っているのだと知る。

表情に翳りが見えたから落ち込んでいると思っていたが、そうではなかったのだ。

草を握りしめている手が微かに震えている。

セインは、魔法使いの長官と王太后が手を結ぶはずがないと信じて後手に回ってしまった己に怒っていたのだ。

アナベルは、セインの握りしめた手の上に己の手を重ねるように置いた。

そうしたからと何の効果があるわけでもないのだが、無性にそうしたくなったのだ。

セインは、アナベルが重ねた手を見て眼差しを和らげた。再び嬉しそうな顔をしてくれたのに、アナベルもとても嬉しい気持ちになった。


「中立をやめてセインを嫌う王太后様につく……それで、長官様には何か得になるようなことがあるのでしょうか?」


巷では、王太后よりもセインの権勢が強いと言われている。そして、アナベルが実際に見聞きするセインの言動の端々からもそうであると感じた。

そのような相手を不快な気持ちにさせてまで王太后を優先しても、長官が得るものはあまりないように思うのだ。


「私の知る限りないな。……実は、私は長官に結構な額の援助をしている」

「え? 王宮魔法使いは中立の立場で誰の味方にもならないのですよね。特定の人物から援助など受け取らないのでは?」


さらりと入ってきた言葉に、アナベルは目を瞬いた。

では、長官にとってセインは恩人となるのではないだろうか。

そして、恩人の言うことであれば、聞いてしまうようになるのではないだろうか。

となれば、中立の立場などないも同然だ。

だから、そういうものは誰から寄越されても受け取らないし、受け取ってはならぬとの決まりがあるのだと思っていた。


「そこを受け取らせて味方にしてしまうのが、宮廷で力を保つ手段の一つだよ。君のように真っ直ぐで綺麗な心の持ち主はあそこにはいない。かく言う私もその一人だがね」


セインは、己を蔑むような笑みを浮かべた。

アナベルは重ねていた手を離すとチョコレートの袋を探り、一つ摘まんでその口に運んだ。


「私の心は綺麗でも真っ直ぐでもありません。……セインは私に清濁併せ持つから良いのだと言って下さいました。私も、その言葉をお返しします。私は、自分の目で見ているセインを信じます。陛下を好きに操ってベリルを自身の物としたいから長官を味方にしたのではない。他に理由があってのことだと……」


光属性であり、理不尽な恨みで呪われてなお王家を恨まず陛下のことを大切に思うような人が、自身の欲の為だけに長官を味方にと考えたとは、どうしても思えないのだ。


「なんだか、涙が出そうだ……」

「辛い物入りなんて、そんな品はない筈なのですが……」


お気に入りの品だけ選んで購入している。元々あの店に辛い物入りなどなかったはずだし、もしあったとしてもアナベルは辛い物が苦手なので買わない。

何かの手違いで混じってしまい、それを食べさせてしまったのだろうか。

焦っておろおろするアナベルを、セインが楽しそうに見つめて頭を撫でた。


「君という存在に出逢えた幸運に、嬉しくて涙がね……」

「!」


とんでもない言葉にアナベルは硬直した。

アナベルは自分の思ったことをそのまま伝えているだけで、特別立派で綺麗なことを言っているわけではないのだ。

そんな自分にここまで言ってくれる人間なんて、この先二度と現れることはないだろう。そうと本気で思うほど、心に沁みる言葉だった。

魂まであったかくなったように感じ、アナベルのほうも涙が出そうになる。


「アナベル?」


無言で固まっているアナベルに、セインが少し首を傾け下から顔を窺うようにしてくる。

大貴族として生まれたからこそ、大家を守るためにたくさん辛いことがあるだろうに。王太后たちに気持ちが通じず腹立たしいことが多々あるだろうに。

それでも、優しい目をして自分を案じてくれる。セインは他者をいたわる気持ちを忘れない人なのだ。

その大きな心に余計に感じ入り、ますます目頭が熱くなる。


「私も……セインに出逢えた幸運を、この世のすべてに感謝します」

「ありがとう。とても嬉しい言葉だ」


そっと頬にキスされた。

心地良いそれに、アナベルは目蓋を閉じて微笑みながらふと思う。

王宮魔法使いの長官とは国から高給が支給される上に、税収の多い豊かな領地を与えられると聞く。そのような人が必要とする援助とは何だろう。


「援助とは、どのような援助なのですか?」


ぱち、と目を開けて問うと、唇同士が触れそうなほど互いの顔が近くにあって驚いた。

セインも驚いているようで、瞬きして一つ息を飲んだ。そうして、顔を離しつつ苦笑交じりに教えてくれた。


「……先年長官の所領で大雨が降ってね。麦畑がすべて水没したのだ。その被害が大きく領民が困っていると聞いたのでね。復旧にかかる費用をね……」

「上級魔法使いの所領で、豪雨被害ですか?」


上級魔法使いの領地で自然災害による大きな被害、というのに、アナベルは首を傾げるばかりだった。

下級や中級の魔法使いでいあるならわかる。だが、長官は上級魔法使いと聞いている。それが大きな被害を出すなど信じられない。


「何をそんなに驚いているのだ。いくら魔法使いであっても自然に関することは神の領域ではないか。想定外の大雨が降れば、それなりの被害を出してしまうのはあり得ることだよ」

「確かに神の領域ではありますが……上級魔法には、自然に干渉できるものもあるのですよ」


アナベルは言いながら立ち上がる。


「え?」


首を傾げてこちらを見上げるようにしたセインに微笑み、両腕をいっぱいに広げて風も陽光も全身に受ける。


『地、集え。風、集え。火も、光も……花よ咲け。色鮮やかで可憐な花よ……一面に咲き誇れ!』


呪文を唱え終わると同時に、アナベルとセインを中心にしてあたたかく柔らかい風が吹く。

風の流れに沿うようにして緑の草地だった土手に花が咲き始める。それは一気に広がり、土手は色とりどりの花に埋め尽くされていく。

緑の絨毯は、あっという間に色鮮やかな花園へと変貌を遂げた。


「花が咲いた……これは、夢か?」


セインが呆然として声を発する。

少し離れた場所で憩いの時間を持っていた者達も、突然の事態に大きな声をあげて騒いでいるのが聞こえてきた。

アナベルは元のように腰を下ろすと、側に咲いていた桃色の花を一輪摘む。

良い香りのするそれを、セインの真正面に見せるようにしてにっこりと微笑んだ。


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平民令嬢の結婚は、蜜より甘い偽装婚約から始まる
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