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040.表通りを離れてペルヴィ川へ

「駄目なのか。それは寂しいな……」

「うっ!」


セインに悲しげな顔をされると、こちらのほうが悪事を働いているような気持ちになるのはなぜだろう。

当たり前のことを言っただけだと思うのに、なんだろう異様に圧し掛かってくるこの罪悪感は。

呻いて悶々とするも答えは出ない。


「買ってもらうばかりというのはいけないな。私も、何か……」


アナベルが落ち着かなくてじたばたしそうになっていると、セインがぽつりと呟いた。そうして目を留めた店に、アナベルはぎょっとしてその右腕を左手で掴んだ。


「あの店に入って私に何か買おうとお考えでしたら、ご遠慮させて頂きますのでおやめください」

「心配してくれるのはありがたいが、あの店は入り口を広く取っている。私でも問題なく入れると思うよ」


アナベルが止めるのに、少し不服そうな顔をしたセインが見ている店は、確かに入り口が広い。

しかし、明らかに他の店舗とは様相が異なる。

艶光する黒い柱。白い壁には黄金で装飾模様が施されており、他の、淡い色合いの店舗にはない重厚な雰囲気が漂っていた。

おまけに、入り口の左右には店専用の警備まで立っている。

この店は、中央区に本店を構える西区で最も大きな宝石店なのだ。

中央区の本店は王家御用達となっており、目を疑うような価格の品ばかりが並ぶ。貴族といえど、財に乏しい家の娘であったアナベルには手が出るものではなかった。

下級貴族と一般市民を相手にする西区のこの店には、もちろんそれより安価な品が並んでいる。

アナベルとて年頃の少女である。

宝石に興味を抱かぬはずはなく、西区に安価な支店を出したと耳にして喜び、父におねだりして買ってもらったことがあるのだ。

だが、今はおねだりしていいところではない。


「そういうことを言っているのではありません。あの店の品は、チョコレートや飴の礼とするには高価すぎるのです」

「私は君の気持ちに礼がしたいのだから、何を渡そうと高価すぎることはないよ」


アナベルが何を言おうとセインの気持ちは変わらないようだ。

店に足を向けるのを、アナベルは腕を引っぱるようにして止めた。右手にはチョコレートの袋と飴の瓶を抱えている。左手だけでは力が足りずに引き摺られそうになるが、足を踏ん張った。


「セインは、この表通りで他に見たい場所などありますか?」


見据える目に、宝石店には入らないのだ、との思いを強く込める。


「いや、特にはないな。君と歩くのが楽しかったから歩いていただけだ。……そうだ。中央区の店のほうが君に相応しい物が置いてあるように思う。今からそちらに行こうか。そちらの店であれば、主は私の顔を知っているから話も通りやすいだろうし……」


そのほうがいいな、と機嫌のよい顔をして誘ってくる。


「な、何を言って……」


アナベルの思いはまったく通じなかった。

西区の店でも買ってもらうわけにはいかないと思うのに、中央区の本店などとんでもない。

しかも、セインは何の気負いもなく、王家御用達の店の主と懇意にしていると口にした。

アナベルにとっては耳を疑うような言葉なのだが、マーヴェリット公爵であるならそれは普通のことなのだ。生活環境の違いを改めて実感し、乾いた笑みが浮かぶ。

このままではセインは本気で宝石を購入しそうなので、埒が明かない。アナベルは少し離れた場所に立っている護衛騎士に聞こえるよう、声を張り上げた。


「チョコレートは買いましたので、もうこの場に用はありません。ペルヴィ川に行きます!」

「礼の品をまだ買って……」


セインの反論は無視して護衛騎士たちの返事も聞かず、アナベルは魔法で移動した。

チョコレートと飴の礼がどうして高価な宝石になるのだ。気持ちが多少なりとも上向いて笑顔を見せてくれるだけでアナベルは充分である。

それにいきなり抱きしめたりするから……往来を行く人たちが店を見るよりも自分たちに注目しているのも居た堪れなかった。


「……礼の品が買えなかったのは残念だが……つくづく、魔法とは便利なものだと思うよ」


一瞬でペルヴィ川の土手。自身の気に入りの場所を目の前にしたセインが、感嘆の息を吐いた。

そうして凹みに腰を下ろす。きゅきゅが機嫌のよい声で鳴き、川に向かって飛んで行った。

アナベルはその姿を微笑んで見送り、セインの隣に腰を下ろした。

西区の外周に沿って流れるペルヴィ川は、王都に水を運ぶ三本の川の中で最も透明度が高い。穏やかで美しい流れは人々の目を魅了し、良い憩いの場ともなっている。

川の土手は背の高い雑草や雑木が生えないよう常に整備され、美しい緑の絨毯のような草地が続く。だからこそ、中央区からは距離があるにもかかわらず、セインもきゅきゅを頻繁に連れてくるのだろう。

新緑の季節である今は、日差しもさほど厳しくない。

爽やかな風を受けながら草地で和み、虹色に煌めく水面を眺めているととても清々しい心地になれる。


「元気になってほしいと励ましただけで宝石を買ってもらうなど私はいやです。……それよりもジャンから聞いたのですが、セインと陛下はご兄弟のように親しいとか……そうであれば、私の魔法のことは直接陛下に掛け合うというわけにはいかなかったのでしょうか?」


常に王の側に控える王宮魔法使いの長官に話を通す、というのは宮廷作法的に必要なことなのだろうが、断られたなら直接王に申し上げるわけにはいかなかったのだろうか。

他の者であるならそんな真似はまず不可能だろう。

だが、セインの身分であれば可能ではないかと思い、そこが疑問として引っかかっていた。

すると、セインはアナベルを見ながら苦笑した。


「陛下は、政に関しては王太后様に口を挟ませない。私の言葉のほうを聞いてくださるのだが……それ以外のご自身のこととなるとお任せしているというか、丸投げしてしまっているのだよ」


場所を移り話題も変えたことで、セインもお礼の宝石にこだわりを見せるのをやめてくれた。

それには安堵するも、語ってくれた内容は明るいものとは程遠いものだった。アナベルの眉間には自然としわが寄っていた。


「丸投げ?」


王は確か今40歳。

その年の殿方が、自身に関することをすべて母親の意思に従っているとは……。

不敬を承知で思うが、少し気味が悪い。


「自身のことを最も心配してくれているのは母だから、と御身体のことに関しては王太后様の治療方針に従うという姿勢を崩さぬのだよ。だから、王太后様の許可がなければ何もしないと以前から言われていてね……」


そこまで言うとセインはくすりと笑い、アナベルの頬を人差し指で軽く突っついた。


「陛下に、何か不敬なことを考えているね」

「!」


ずばり言い当てられてアナベルは肩が大きく震える。

そんなに表情に出ていたのかと慄き、顔が強張った。

言い訳の言葉が出ないアナベルに、セインは怒るでなく笑みを深めた。


「君は正直で本当にかわいい。……陛下は決して、母親がいなければ何もできない精神惰弱な人間ではないよ。公務で私を信頼する代わりに、私事は母君を信頼することでバランスを取って下さっているのだ」

「バランス……」


再度頬を突かれる。

火照ってどうしようもない。きっと今、自分の顔は真っ赤だと見ずともわかる。


「陛下が私を信頼してくださるほどに、王太后様のマーヴェリット家に対する憎しみは増すばかりとなる。わが家は正直な話、王太后様に憎まれたところで潰されるような家ではないのだが……王族の方と公爵家が争っているというのは外聞が悪い。国民も不安を覚える。陛下はそれを憂えてどちらも大切にしているという姿勢を見せて下さっているのだ」


「すみません。物知らずで……」


身体の調子が悪くても、王は国民に不安を抱かせないよう、王家に波風を立てない配慮をしている。

そんな事とは露知らず、気味が悪いなど本当に不敬だ。心より反省した。

頭を下げて俯いたアナベルの肩に、そっとセインの手が触れた。

ぽんぽん、と優しく叩かれる。頭を上げるようにと促すそれにアナベルが素直に従うと、目の合ったセインは少し意地の悪い笑みを浮かべていた。


「これは内緒だよ。綺麗ごとを抜きにして本音を言えば、いくら母君だからと少し気を遣いすぎではないかとも思うのだ。陛下はベリルを治める絶対君主であられるのだし、もう少し強く言われても良いのではないかとね……。ご結婚相手に関しても母君の意向を最も重要視されたものだから、第一妃も二妃も王太后様の眼鏡に適った娘がお側に上がっているのだよ。特に第一妃は姪御殿だ。我が一族から第三妃を娶って頂くのには、本当に苦労したものだ」

「…………」


最後には、はあ、とため息まで吐いた。陛下に対する不満を述べた愚痴としか思えないセインの話す内容に、アナベルはぱちくりと目を見開いた。


「このように、私も陛下に不敬な思いを抱くことはある。同じなのだから、君が私に謝る必要はない」

「そ、そんなに甘やかさないでください。甘え癖がついて、駄目人間になりそうです……」


両手で口元を覆って首を振る。

その優しさに、どんなに高価な品を贈ってもらよりも、魂まで震えるほどに感激した。


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