004.祖母の魔法屋
「ばばさまぁ!」
アナベルが祖母の店の前に立つと、中から甲高い声が響いてきた。
その場から店内を覗くと、若い娘が三人訪れていた。
明るい色のドレスを纏った娘達は店の奥に向かい、急かすように何度も何度も 『ばばさまぁ』 と大きな声で呼んでいる。
娘達の身なりから察するに、一般市民の町娘ではなく貴族の令嬢のようだった。
とはいえ、護衛騎士も付いておらず、上等な馬車で移動してきている様子も見られない。上級貴族ではなさそうである。
「待たせてすまんのう。お嬢さんたち」
店の奥からゆっくりと、腰の曲がった小柄な老婆……アナベルの祖母が現れる。
娘達はその姿に目を輝かせた。
「ばばさま。理想の殿方を虜にする魔法をかけて!」
三人の娘は声を揃って言った。
白魔法使いである祖母は、その力を生かして商いをしている。
魔法を求めて依頼に来る客の話を聞き、それが自身の魔法力で使用可能な魔法であれば引き受けて、対価を得ているのだ。
「理想の殿方を虜にする魔法?」
祖母は明るい合唱に、怪訝な顔をして問い返した。
アナベルとしても 『その魔法はなに?』 と、言いたいものだった。
「マーヴェリット公爵様の誕生祝賀の夜会に招かれているの! そこにはベリル中の貴族が来るはずだから、ぜひとも見目麗しくて優しくて、家格も充分な殿方を射止めたいのっ!」
令嬢たちは頬を桜色に上気させ、興奮しきりで訴えた。
冗談や冷やかしで 『理想の殿方を虜にする魔法』 なる、童話にしか存在しないようなものを求めているわけではなさそうだ。
娘たちの話を聞いた祖母は、その内容に面白そうに笑った。
「魔法で、公爵様を射止めたいとは言わぬのだな。たしか独身と聞くが……」
途端に令嬢たちから興奮が消え、微妙な顔つきになった。
「……公爵様が、わが国一の名門貴族の当主様で、有能な政治家ということも知っているけど……あまりにも身分が離れすぎているわ……」
「そこまで図々しい望みは抱けないわ……それに……年も離れているから……」
「あのように肥えた方はちょっと……女性はお嫌いとの話もあることだし……」
三人の令嬢は、夜会の主役である公爵にはまったく興味がないようだった。
わが国一の名門貴族の当主であるマーヴェリット公爵は、御年三十三歳。その若さで、国政の長である宰相を務めている。
宰相位を家の力で取ったものだと妬み交じりに話す者達もいるが、アナベルは違うと思う。
顔を見たことはないのだが、公爵が宰相となって僅か二年で、領民に過度の搾取をおこなっていた領主たちが軒並み罪に問われてその地位を追われている。
貴族だけを優遇せず、一般の民の生活を向上させようと真剣に取り組むその姿勢は、悪辣な貴族たちには嫌われるものだ。
いくら名門であろうとも家の力にのみ頼った宰相位であれば、悪者貴族たちは己の利を守ろうと団結し、そのような人間をいつまでも宰相にしておくはずがない。
本人に知恵や老獪さがなければ、この国では自身の地位を保ったまま、既得権に胡坐をかく貴族を罰するなどそう容易く出来ることではないのだ。
その公爵は独身で婚約者もいない。
家柄も地位も財産も充分であるから、縁談の話は降るように来ているはずなのだが、一向に結婚しようとしないのだ。
とにかく後継者を望まれる貴族の当主としては異例な人物である。
令嬢たちは十八の自分とさほど年が変わらないようだから、公爵とは十五歳ほど離れているわけで……確かに、離れすぎと考える者は敬遠するだろう。
しかしそれ以前の問題として、令嬢たちの言っている通り、よほどの名家の令嬢でもない限り、マーヴェリット公爵を望むというのは高望みがすぎるというものだ。
「そなたらと年の近そうなオリヴィア・ラッセル侯爵令嬢は、年の差などものともせず公爵様に執心と風の噂に聞いたのでな。そなたらはどうなのかと思うたのだが、違うようじゃの……」
「あの方は、私達とは考えが違うから……」
一人の令嬢が、少し嫌そうな顔をして頷く。
すると、二人目の令嬢も同じような顔をして相槌を打った。
「とにかく王妃となって、女性第一位の位を手に入れて自己顕示欲を満たしたい。国庫の金を好きに使って身を飾りたい。それしか頭にないようだから……」
「陛下のご病状には回復の兆しがなく……このままでは、遠くない未来でマーヴェリット公爵が王位を継がれる可能性がとても高いから、その妃の地位に拘っているのよ」
三人目の令嬢も、嫌悪の感情を隠さず雰囲気に滲ませている。
愛ではなく、打算で妃の地位を手に入れようとしている侯爵令嬢のことが、三人ともにあまり好きではないようだ。
だが、貴族といえば自家の安泰を図るための政略結婚が普通だ。
アナベルはラッセル侯爵令嬢とも面識はないが、御年二十歳のとても美しい人であるとは聞いたことがある。
ラッセル家は名門でもあることだし、マーヴェリット家と家格の釣り合いも取れるだろう。
その家の令嬢が、さらなる高みを目指してマーヴェリット公爵の妃の地位を望むというのは、アナベルにはそれほど悪辣な行動とは思えなかった。
ただ、公爵が王位を継承すると決めつけているのは、納得できない。
御年40歳のアルフレッド王は病弱であるが死去したわけではないのだ。最高の医師団も魔法使いたちも付いているのだから、回復の兆しがないなどと決めない方が良い。この先健康になる可能性は充分にある。
それを勝手に死ぬと決めつけているのは失礼だ。
「そうかい。お嬢さんたちの世界にもいろいろあるのじゃな」
「あるんです! だから、ばばさまお願いっ!」
「魔法をお願いしますっ!」
令嬢たちは両手を合わせるようして、真剣に祖母を見つめた。
祖母は中級の白魔法使いである。
その気になれば王宮魔法使いとなり王に仕えることも可能だが、面倒くさいと言ってその試験を受けに行くことはない。
市井の魔法屋が気楽で楽しいというのが祖母の偽らざる真情だった。
そしてその腕前ゆえ、表通りに店を構えることをせずとも、客足が途絶える事はなかった。
「お金なら、絶対になんとかしますからっ!」
超常の便利な技である魔法は、誰にでも気軽におこなえる安易なものではない。
魔法力がその身に顕現し、魔法使いとなれた者にのみ使用可能な特別なものである。
ゆえに、祖母に限らず安値で商売をする魔法屋は存在しない。
それでも、お人よしの祖母の価格設定はまだましな方である。
表通りにドーンと立派な看板を掲げて商いをしている魔法屋など、その価格は貴族であっても財に乏しいような家では完全に手も足も出ないものが付けられている。
「そう言われてものう……なんとかしてやりたいとは思うが、わしはそなたらの望みに添うような魔法は売っておらんのじゃよ」
祖母は申し訳なさそうに首を横に振った。
「ええっ?!」
「『理想の殿方を虜にする魔法』 ということは、相手の心を支配する魔法じゃろ? わしはそうした類の魔法は好きになれなくてな、腕を磨いておらぬのじゃ。すまんが、どれほど金をつまれても引き受けられぬよ」
「そんなぁ……」
がっくりと肩を落とす娘達に、祖母は苦笑した。
「恋しい男は自分の魅力で手に入れてこそ幸せになれるものだ。相手の心を縛るような魔法を頼れば、待っているのは暗い未来だけじゃよ」
悲壮感満載の娘たちに、祖母は優しく諭した。
アナベルも、その通りだと思う。
「代わりに、髪が今よりさらに艶やかとなる魔法を無料でかけてあげよう。一生涯の保証付きでな。それで、笑顔でパーティに出ることじゃ。さすればきっと良い出会いがあろうぞ」
「きゃあ、本当ですか!」
「嬉しい!」
「ばばさまのつやつや魔法、すごくいいって評判なんですよ!」
娘たちは落ち込んでいたのが一転、はしゃいで明るい笑い声をあげた。
「それは惜しいことをしたな……無料はそなたらだけじゃよ。他の者には言うでないぞ。わしはこれで生活しているのだ。他の者にまで無料奉仕をさせられてはたまらん」
「は~い。内緒にしま~す!」
娘たちは元気よく返事をし、祖母はその溌剌とした姿にアナベルを見るような優しい目をして魔法をかけてあげていた。
祖母の魔法が掛け終わり、艶々に光り輝く髪に感動しながら店を出る娘たちと入れ替わりに、アナベルは店に入った。
「はあ。ただ働きをしてしまった……」
「おばあちゃま。相変わらずお人よしね。あの魔法……生涯保証を付けると、とても難しいものになるのに」
丸まっている背をさらに丸めて大きなため息を吐いている祖母に、ふふ、と笑った。
「アナベル……いったい、どうしたのじゃ? 今頃は結婚式のはずでは……」
目を丸くしてこちらを見上げた祖母に、苦笑した。
祖母はその結婚式に、招待状を出す前から欠席を伝えてきている。アナベルが嫌いだから、というのではなく、大勢の前に出るのが苦手なのだ。
二年前に亡くなった祖父もそれは同じで、祖父母がカウリーの領地を訪ねて来たことはない。
「そのことで、相談があるの」
祖母はその一言で玄関扉に 『本日閉店』 の札を掛け鍵まで掛けてくれた。
「ゆっくり聞こう」
ぽん、と優しく背を叩き店の奥へと促してくれる。
そのおこないに、アナベルは目頭が熱くなった。これまで堪えていた悔し涙が溢れそうになるも、なんとか気合で誤魔化した。
居間に入って席に着くと、祖母はアナベルの好むお茶を入れてくれた。
一口飲んで小さく息を吐き、これまでのいきさつを語った……。
「なんと酷い……父親が亡くなると同時に、名誉を傷つけ婚約を破棄するなど……」
「私としても結婚したくない、というのが本音だったからそれはいいのだけど……問題はこれよ」
叔父とブルーノに対して激しく憤っている祖母に、アナベルは苦笑しつつ右腕を見せる。
「何度魔法をかけても解呪できないの。月の欠片が手に入らなければ、半年後に死ぬなど冗談じゃないわ!」
しかも、犯してもいない罰としてなど本当に腹立たしい。
「月の欠片……必ず探し当ててやろう。かわいい孫を、呪いでなど死なせるものか!」
祖母は、アナベルの手をしっかりと握ってくれた。
「おばあちゃま」
その優しい気持ちに感謝しながら、アナベルは希望を捨てないのだと己に言い聞かせた。
しかし、希望というのはそうそう都合よく手にできるものではなかった……。