034.お見送り……。アナベルは祖母の家へ
「アナベル?」
訝しげに名を呼ばれる。
「セインは光属性ですし、隊長が側にいるから大丈夫とは思うのですが……」
満腹になって心地よさそうにテーブルで微睡んでいたきゅきゅが、アナベルの声に反応して首をあげた。
緑の瞳をくるくるっと動かし、こちらをまっすぐに見る。
セインにはそのきゅきゅだけでなく、人間の護衛もつく。だからよほどの事態がおこらなければ害されるようなことはない。
そうとわかっていても落ち着かず、何もせずにはいられなかった。
アナベルはセインの傍に立ち、その額に少しだけ唇で触れた。
『地集え。風集え。盾となり、この方の守りとなれ。頑丈で、とてもとても強い盾。誰にも壊せない強~い強~い盾とな~れっ!』
守護の魔法。アナベルから地属性と風属性の力が迸る。セインの全身を包み込むようにしてその身の中に溶け消え守りの結界となった。
「これで良し。……呪い攻撃は魂の力で弾けますし、呪い以外の魔法攻撃や物理攻撃に関しては今の魔法が弾きます。どのような攻撃が来ても大丈夫ですよ」
満足して微笑む。
これで、安心して祖母の家に帰れる。
「アナベル……とても、ありがたいことをしてくれたのはわかるが、魔法を使うと疲れるのだろう? 陛下の為に難しい魔法を頼んでおいて今更だが……私の為には無理しなくていいのだよ」
突然の光に驚いて瞬きしたセインだったが、すぐにアナベルの手を取り、申し訳なさそうに眉を下げた。
その姿に、アナベルの笑みは深まった。
「セイン。あなたがそういうお人だから、私に可能なことならば何でもしてあげたくなるのです。大丈夫です。昨夜ゆっくり休ませて頂きましたし、先ほどたくさん食事をしましたから疲れはありません」
「ならばいいのだが……私のことを案じてくれるならキスだけでいいのだよ。まるで、神の使いが触れてくれたように感じてとても幸せな心地になった」
「言いすぎです……」
脳が沸騰して使いものにならなくなるから、本気でもう勘弁してほしい。
どうして自然体で、これでもかとアナベルを嬉しい気持ちにさせる言葉を繰り出せるのだろう。もしも、公爵をやめることがあれば吟遊詩人になるといいのではないか、と本気で思うアナベルだった。
【話は終わったようね】
少し身体を伸ばすようにしながらそう言うと、きゅきゅが軽快な動きでセインの肩にちょこんと乗った。
セインはその頭を撫でると席を立つ。食事室を出るその隣に、アナベルはお見送りをしようと並んで歩いた。
玄関にはすでに馬車と護衛騎士が揃っており、セインの姿を見ると丁寧に礼をして挨拶した。アナベルにも同じようにしてくれるので、笑みを浮かべて言葉を返す。
「では、行ってくる。……大丈夫とは思うが、ちゃんと私のところに戻ってくるのだよ」
少し身を屈め、アナベルの頬に行ってきますのキスをしたセインは、なんだか不安げな目をしてこちらを見ていた。
迷子になるような年齢ではないし、アナベルにとって空間移動魔法は左程難しいものではない。
そんなに心配しなくても大丈夫なのだが、セインに心配してもらえるというのはなんだか擽ったくて心地いいので、口元が綻んでしまう。
「はい。きちんと戻ってまいります。……行ってらっしゃいませ」
アナベルは、セインの頬にお返しのキスをした。
多くの目があるので恥ずかしくて緊張するも、セインだけがするとなると仲の良い婚約者であるとの証明にはならない。
それに、自分が触れることで少しでも不安を払拭してから王宮に向かって貰いたかった。
言葉を違えることなく必ず戻りますよ、との気持ちを込めたキスに、セインは朗らかに笑んで馬車に乗った。
どうやら、無事気持ちは伝わったようだ。
アナベルは安堵し、動き出した馬車を笑顔で見送る。
馬車が見えなくなると側に控えるセルマとロージーに外出を伝え、祖母の家へと移動魔法を使った。
◆◆◆
祖母の魔法屋の二階。
自分に与えられた部屋に降り立ち、ほうっと息を吐いたその時。
「今日はもう帰ってくれ! わしは限界なんじゃ。どんなに言われても、魔法はかけられぬよ!」
階下から聞こえた祖母の悲鳴のような叫びにアナベルはぎょっとした。
「おばあちゃま?!」
一体何事だ。
休む間もなくアナベルは部屋を飛び出し階下に向かった。
「それでもどうしてもと言うなら、表通りの店に行くがよい。とにかく、わしには無理じゃ!」
狭い店内に、華やかな衣を纏う貴族の令嬢たちが押し合いへし合いしていた。十人くらい入ればいっぱいになる店に二十人はいるだろうか。
その熱気で熱いと感じるほどだ。
令嬢たちは祖母を取り囲むようにして詰め寄っている。
祖母の店は客足が途絶えるようなことはないのだが、それにしてもこれは異常だ。一度にこんな大勢のお客が来たのを見るのは初めてだった。
アナベルが見慣れぬ光景に呆然としている間も、令嬢たちは祖母に向かって懇願していた。
「そこをなんとか聞き届けてください。お金ならいかようにもお支払いいたしますから! 大通りの魔法屋といえど、おばば様ほど上質なつやつや魔法はかけられないのです!」
懸命なその叫びに、同意の声が数多くあがった。
「彼女が伯爵様を射止めたのは、おばば様の魔法のおかげですわ! そうでなければ、どうしてこの私を差し置いて……」
「そうですわ! 私のお目当ての子爵様も……おばば様のつやつや魔法がかかったあの娘にっ!」
令嬢たちの、怒りの感情が色濃く滲む声が連綿と続く。
どうやら、祖母があの時つやつや魔法をかけてあげた三人の令嬢が、昨夜の夜会で揃ってとても良い条件の殿方に見初められたようだ。
しかも、それはここに詰めかけている令嬢たちの目当ての殿方だったらしい。
その人を奪われたことと自分以外の娘がとても美しく変身したことへの不満。そして、次の夜会では我こそがという望みを叶えようと、令嬢たちはその魔法をかけた祖母の許へ来たのだ。
祖母のつやつや魔法は確かに素晴らしいものではあるが、それだけでそう簡単に条件の良い殿方の心が得られるとは思えない。
あの三人には、それ以外にも殿方の心を虜にする良いところがあったはずだ。
だが、アナベルは、この場に集っている令嬢たちにそれを説いて納得させるのは難しいだろうと感じた。
「そ、そう言われても……今日はもう十人にかけておるでな。わしは疲れたのじゃよ。年寄りをいたわっておくれ……」
令嬢たちの真ん中で、祖母が小さな身体をさらに小さくして断りを述べる。
限界人数まですでにかけ終えているようだ。
ならば、ゆっくり休息をとって魔法力を回復させない限り、祖母は魔法を使えない。
祖母は嘘を吐いているわけではなく本当に疲れているのだ。
祖母の顔を見ればわかるだろうに。それでも令嬢たちは一向に退く気配を見せない。金を払えば何をしても許されると思い、他者を労わるよりも自分の目的を優先している。そんな令嬢たちに、アナベルは顔を顰めて魔法を使った。
全員の身体が瞬時に浮き上がり、外へ続く扉へと運ばれていく。
「きゃあ! なんですのこれはっ!」
「外に出されるっ!」
「う、浮いてるわっ……」
悲鳴など無視してアナベルは全員を外に出す。
自分も店の外に出ると後ろ手に扉を閉めた。中には絶対に入れないという意思表示として、閉じた扉の前で仁王立ちする。
「祖母は疲れていると言っております。礼儀を弁えた貴族の令嬢であるならなおのこと、無理を言わずに帰って下さい。魔法は好き放題にかけられる都合の良い便利な道具ではないのです」
尻もちをつかせた令嬢たちを腕を組んで見下ろした。
「無礼なっ! この私を誰だと……」
「私達を追い出すなんて、あなた何者……」
アナベルに対して非難の声をあげかけた令嬢たちは、何かに気付いたかのように言葉を止めた。
そしてこちらを凝視した。
「この店の主の孫です」
誰だと問われたので素直に名乗ったアナベルに、令嬢の一人がぎこちなく首を横に振った。
「あなた……マーヴェリット公爵様が昨夜発表した婚約者ではないの?」
「そ、そうですわ! 宙に浮いた上級魔法使い……」
「陛下に快癒をもたらせる優れた魔法使い!」
アナベルに向かって、不気味な熱の篭った視線が数多く寄越される。
背筋がぞわっとして寒気がした。




