025.夜会が終わり……その後。
「陛下が快癒された暁には、私、あなたと公爵様のご成婚を心より祝福いたしますわ!」
「…………」
王が快癒すればセインの王位継承は遠のくので、オリヴィアにとっては用無しとなる。誰と結婚しようとどうでもいいのだ。
セインの婚約者として紹介されたアナベルに殺意まで向けておきながら、この変わりよう。
そんなに王妃になりたいのか……。
美しい深紅の瞳を煌めかせてこちらを見ているオリヴィアのあまりにあからさまな態度に、アナベルが苦笑を堪えていると、セインも同じような気持ちでいるのが何となく伝わってきた。
「公爵様。彼女が陛下の許へ行かれる日が決まりましたら、是非とも私にもお知らせくださいませ。ご寝所に入りたいなどそのような事は申しません。廊下で、お元気になられるその時に立ち会いたいのです。なにとぞよろしくお願いいたします」
オリヴィアは深々と頭を下げてセインに乞うたが、セインの方は眉を顰めた。
「その許可を出されるのは陛下お一人だ。私に権限はない。どうしてもと望むなら、父君もしくは陛下の側仕えに相談するがよろしかろう」
「さようでございますか。では、そのように……」
断られても嬉しげに微笑んでいるオリヴィアを見るに、アナベルによる王の治療日には確実に寝所の外に立っているだろうな、と思った。
セインが、楽隊の方へ向けて軽く右手を挙げてみせる。
すぐさま楽の音が再び奏でられ、会場の雰囲気を明るく盛り上げた。
「思わぬ者に場を乱されてしまったが、皆、先ほどの事は忘れて今宵の会を楽しんでほしい」
セインの声が朗々と響く。
主催者であり国一の権勢家の言葉だ。無視して不興を買っても何の得もない。
その計算が出来ないような者はさすがに存在せず、皆一様に笑みを浮かべてセインとアナベルに祝いの言葉を述べにきた。
セインがそれらに機嫌よく対応し、アナベルもその隣で懸命に笑顔を作って頑張った。
どの貴族も必ずのように、我が家を選んでいただけるとありがたいと言葉を付けてくるのには辟易するものの、嫌悪の目で睨まれるよりはいい。
突然に現れてマーヴェリット公爵夫人の地位を浚っていくことに対する令嬢たちのやっかみ。それによる攻撃があるかと身構えていたが、思ったほどのものはなかった。
自分の父親がアナベルを養女にする可能性がある中で攻撃するわけにはいかないと考えたか、はたまた父親自身に止められたか、おそらくどちらかだろうと思う。
ブルーノが消えた後の夜会は和やかに進行し、オリヴィアはいつの間にか退席していた。
「一通り、祝いの言葉は受けたな……では、あちらで踊ろうか」
「え?」
広間の中央に目を向けたセインに少しきょとんとする。婚約を発表した二人がその夜会で踊るというの当たり前の話だ。だが、誘われるとは思っていなかったのだ。
でも、嫌ではない。アナベルは、差し出された手に己の手を預けて微笑んだ。
◆◆◆
ごめんなさい。
身体が重いから踊るのは苦手なのだと勝手に思い込んでいました。
アナベルはステップを踏みながら心の内でセインに謝った。
自分などよりはるかに上手で軽快なステップを踏むセインに、アナベルはついて行くのが必死である。
アナベルもダンスは充分に習い修めていると思っていたが、日常茶飯事的に公の場に出るセインほどの上級貴族ともなるとアナベル程度のものとは違うのだ。
「苦手な曲だったかい。誘ってしまい、すまないことをしたね……曲が変わったよ。これはゆっくり踊る曲だから、もっと私に寄り添って気を楽にすると簡単に踊れる」
「は、はい……」
上手く相手を務められていないことを怒るのではなく、逆に労わられる。
優しい囁きと共に、その胸許に包み込まれるようにされて、かあっと頬が火照った。
我が身に触れる己の手より一回り以上大きな柔らかい手。アナベルの身体全部をすっぽりと包んでしまう立派な体格。
セインは大人の男性であったのだと、なんだか不思議なほど意識してしまい、気恥ずかしくて堪らなかった。
しっとりとした落ち着いた調べの中で、ピッタリとくっつくようにして踊る。
足さばきに余裕が出て来たので、ブルーノの前にタイミングよく現れてくれたお礼を言わねばと思うも、アナベルはドキドキするばかりで、うまく言葉が操れない。
全身があまりに熱くて溶けてしまうのではないかと思うほどだった。
とはいえ、人間がそう容易く溶けるようなことはない。
ダンスは無事に終わり、やがて夜会も閉幕となった。
「すまない! まさか、あのような男が君に近づく事態になるとは……傍を離れてしまったこと、心より謝罪する!」
アナベルがセインと共に招待客は使わない扉から大広間を出ると、ジャンが駆け寄ってきた。
本当に申し訳ないと思っているのが、その表情にも雰囲気にもはっきりと感じられた。
しかし、セインはその姿を少し不愉快そうに眺めていた。
「ジャン。私はおまえに彼女のエスコートを命じていた筈だ……」
その命令を無視して何をしていたのだ、と続くだろうセインの言葉を、アナベルは遮っていた。
「私が、会場を歩くくらい一人で大丈夫だからとジャンの案内を断ったのです。ですから、一人でいたのは私の意思です。まさか、あそこでブルーノと会うとは思っていませんでしたが、呪いが解けたことを見せられてスッキリできましたので、ジャンの謝罪はいりません」
もし、ジャンと一緒にいればブルーノは近寄ってこなかったかもしれない。
そう思うと、一人でいて正解だったとアナベルは笑みが零れる。
「セインにはたくさん助けて頂き、本当にありがとうございました。これでは私の方がして貰ってばかりですね。なんとか、陛下のことでお役に立ちたいものです」
ようやくお礼が言えた。
きゅきゅがブルーノを蹴り、セインが現れたあの時……アナベルは物凄く嬉しかった。
セインときゅきゅは領民たちのようにアナベルに背を向けない。ブルーノに、お前の嘘など通用しないと言ってくれたことに途轍もなく感激したのだ。
だからこそ、なんとしても王を癒し、王太后の腕輪を奪う。
セインの心労を癒すためにも必ず成し遂げるのだ。
あらためてアナベルは気合を入れていた。
「そうかい。君がそう言うなら……だが、次はあのようなことは許さぬぞ!」
「いたっ……わかりました。肝に銘じます!」
背中を思い切り叩かれて悲鳴をあげるも、ジャンはセインとアナベルに丁寧に礼をして真摯に誓った。
その姿に満足そうに微笑むセインに、アナベルは暇を告げることにした。
「夜会が終わりましたので、私はこれにて家に帰ります。陛下の許に参る日取りが決まりましたら、お知らせくださいませ」
礼をして空間移動魔法を使おうとすると、セインに腕を握られた。
「帰るとはどこに?」
とても驚いた顔をしているのに、アナベルは少し首を傾げる。
「お世話になっている祖母の家です。魔法屋として独り立ちできるまでは、居候させてもらっているのです」
話したと思ったのだが、抜かっていたのだろうか。
王都に出て来たばかりで住む場所に困っているのではないか、と案じてくれたのだとしたら余計な気を遣わせてしまった。
偽装婚約が解消となるまでお昼間にこの城にお邪魔することはあるだろうが、夜まで迷惑をかけるつもりはない。
「それは聞いているが……君は私の婚約者となったのだからこの城で暮らせばいい。あの男が今後どのような難癖をつけてくるかわからぬし……魔法使いであるから大丈夫だと君は言うかもしれぬが、私は心配だ」
「ここに……私がですか?」
まさか、祖母の家に帰らないようにと引き止められているとは思わず、アナベルはぎょっとしてセインを見つめた。
偽装婚約者がこのような贅を尽した夢の城で暮らすなどとんでもない。
ブルーノには、己のおこないを省みている様子がまったくなかった。セインが懸念する報復の可能性は充分にある。が、アナベルはあの男が何をしてこようと叩きのめして黙らせられるのだ。
だから大丈夫と申し出を拒否しようとすると、両手を握られた。
「どうしても、ここで暮らすのはいやかい? あの男のことも心配だが、それ以上に私が……君に側にいてほしいのだ」
「…………」
懇願するような目に見つめられて、とくん、と心臓が喜びの鼓動を刻む。アナベルの心から断りの言葉が消えた。
気持ちが浮き立ち、自分の方もセインの側にいたいとの思いが高まったところに、きゅきゅの声が届いた。
【副隊長……セインを、守ってくれるのではないの? 遠くに行ってしまうのはいやだわ】
詰るような寂しげな声だった。
セインの肩から、じいっとアナベルを見ている姿に心打たれぬはずがない。
偽装が終わるまでの僅かばかりの期間であるが、二人の望むようにしよう。アナベルはその気持ちを込めて、大きく頷いて見せた。
「お世話になります! 守りますとも隊長。私はどこにも行きません!」
アナベルの身を案じながら家で待ってくれているだろう祖母には、風魔法で報告した後、時間を見つけて報告に行こうと考える。
「そうかい。それは嬉しいことだ」
セインが口元を綻ばせて機嫌よく笑うときゅきゅも……。
『きゅう!』
大層満足そうに鳴いて、嬉しげに翼をぱたぱたさせた。
大歓迎で迎えてくれる二人に、アナベルははにかむように笑った。
それを傍から見ていたジャンがぼそり。
「恋をしてほしいとは言ったが……あんまり真面目で素直だと、セインときゅきゅに良いように転がされるよ。ま、それも幸せの一つの形なのかもしれないがね」
「ジャン。いらぬことを言うな」
セインが顔を顰めると、ジャンは面白そうに笑った。
転がされたような覚えのないアナベルは、そんな二人に小首を傾げた。
すると、きゅきゅが側に飛んできた。
【疲れたでしょう。早く部屋に入って休んだほうが良いわ】
「ありがとう」
労わってくれるきゅきゅに、アナベルはにっこり笑ってその身体を撫でた。
ジャンは自身の屋敷に帰り、アナベルは迎えに来たセルマとロージーに案内されることになり、セインとは別行動となった。
盛装を解いて眠るための衣類を着せてもらったアナベルは、ほうっと小さく息を吐いた。
ここでようやく夜会が終わったのだという安堵感に満たされる。
今日は本当に目まぐるしい一日だった。
奇跡的な出逢いにより呪いが解けて絶望から解放されただけでなく、まさか、マーヴェリット公爵の婚約者となって夜会に出るなどまったく思わぬ展開の連続だった。
思わず口元のゆるむアナベルを、二人が優しげな目で見つめながら再びの移動を促してきた。
「それでは、お休みなさいませ」
茶色の艶光する重厚な扉の前で、二人は揃って礼をした。
ということはここが寝室なのだろうと、アナベルは案内に礼を言って中に入った。
本当に何もかも立派な物ばかり……と感心しながら室内装飾を眺めていると奥の方に置かれている大きな寝台に、人の気配を感じた。
「え?!」
驚いて瞬きする。
寝台にはセインが腰かけてこちらを見ていた。




