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024.退 場

「私は不貞など犯していないもの」


あの腕輪でそんなものを立証できはしないのだが、ここはブルーノの言葉に乗っておく。

その方がこちらには都合がよく、ブルーノに起死回生の手は完全になくなる。

彼は自身が切り札としたカードこそが、最悪のものであったと知るだろう。


「嘘だ。あの腕輪がはずれるなど……」


ブルーノは自分の目で見ても信じられないようで、脂汗を流しながらぶつぶつと呟いている。

腕輪の解呪道具である月の欠片は神からの特別な恵み。そう容易く手に入るものではない。ブルーノはその事実に腕輪がはずれることはないと安心しきっていたのだろうが、おあいにく様である。


「私には確かにあなたの言うとおり、幼少時より決められた婚約者がいたわ。でも、私の婚約者は他の女性に懸想し、血縁であり幼馴染みでもある私を疎んじた。そして、自身の名を落とさぬようにして婚約を破棄するため、私に呪いの腕輪を使って不貞の汚名を着せた……」


「やめろ。それ以上喋るんじゃない!」


アナベルが語るのをブルーノが慌てて大音声で遮った。

その婚約者はあなたよね、とアナベルが続ければ己の名が地に落ちる。権勢の強い上級貴族の令息であれば庇ってくれる者も出るかもしれないが、社交界でほとんど忘れられた存在であるカウリー伯爵家の息子程度では、そのような者は出ないだろう。

アナベルの言葉次第で、ブルーノは出世どころか、血縁に不義理を働く非道な人間と蔑まれ、この先社交界で誰からも相手にされなくなる。

ブルーノはその未来を想像して恐れていた。

アナベルを睨む目に、憎しみと共に確かな怯えが見えるのが、その何よりの証だ。


「なぜ止めるの? 私は、自分のことしか考えない婚約者だった男の話をしているだけよ。邪魔な私になど何をしても良いと思い、平然と死の呪いをかける非道な男の話をね。それとも、この男はあなたに何か関係があるのかしら?」


わざとらしく首を傾げてみせる。


「不貞をねつ造した上に、死の呪いまでかけたというのか……」

「いくら他の女性に懸想したからとそれは酷すぎるのではないか……」

「血縁の幼馴染にそこまでするとは、とんでもない男だな……」


アナベルの話を耳にした貴族たちから、そのような声が聞こえる。

彼らの同情がアナベルに集まることに、ブルーノが顔を歪めた。


「ぅっ……」


それでもうまい言葉が出ないようで、忌々しげにこちらを見るだけだった。

ここでじたばた足掻けば、自分がアナベルを捨てた婚約者であると公表するようなものだ。

それがわかっているから何も言えないでいるブルーノを、アナベルはふふっと嘲笑う。


「私は不貞など犯していないのだから、腕輪ははずれて死の呪いも消えたわ。でも、婚約者に貞節を疑われるばかりか呪いまでかけられた私は深く傷つき、住み慣れた地を離れて王都に出た。そこで、公爵様に出逢ったの。公爵様は、私の傷ついた心をとても優しく癒してくださった。だから、求婚をお受けしてここにいるのよ」


傷ついてなどいないし、婚約破棄は万々歳だったわけだが、それをこの場で正直に語るつもりはない。

そして、月の欠片についても語らずに話を終えたアナベルの肩を、セインがぽんぽんと慰めるようにやんわりと叩いた。


「本当に可哀想な目に遭ったね。この世には酷い男もいるものだ」


アナベルに声をかけながらも、セインの目はちらりとブルーノを見る。

その視線を感じ取ったブルーノは、大仰に身体を震わせた。


「しかし、あの男はいったい何者なのだ?」

「公爵様の誕生日を祝う席で、その婚約者に詐欺師と言ったり不貞を疑ってみたり……公爵様に何の恨みがあるのか知らぬが、無礼にもほどがあるぞ」

「魔獣退治の功労者、であるとか公爵様がおっしゃっておられたような。お褒めの言葉を頂いておきながらあだで返すような真似をするなどとんでもないことだ」

「ブルーノ・カウリーとか名乗っていたが……貴族の子弟であるだろうに、まともな礼儀が身に付いていないのか」


貴族たちからブルーノに対する非難の声が次々とあがり始めた。

ブルーノの主張はすべて的をはずしているのだ。そうした声が出るのは自然な成り行きだった。


「え、わ、私は宰相閣下に恨みなど……とんでもないことでございます! 敬愛する宰相閣下に幸せなご結婚をなさっていただきたく、そのお側より悪女を排除しようとしただけにございます!」


ブルーノが必死の形相で弁明する。

セインの覚えをよくして出世を目論んでいたのだから、その名を貶めようとなど考えるわけがない。

だが、事ここに至り、その言葉を信用する者などいなかった。

皆、冷ややかな目でブルーノを見ている。叔父夫妻が助けに飛び出してくるかと辺りを見回すも、そうした気配はない。

来ていると思っていたのだが、どうやらブルーノだけを寄越しているようだ。


「悪女か……私には、祝いの日に婚約者を辱めるような真似をした君の方が、よほど悪人に思えてならぬよ」

「そんな、宰相閣下……」


まるで死刑執行書にサインを入れられた罪人のように、ブルーノの顔は青を通り越して真っ白になるほど血の気を失った。

愕然として立ち尽くす、一気に何十歳も老け込んだような姿をアナベルは見つめる。

項垂れたブルーノから、常に爽やかな好男子、美丈夫と褒められるばかりだった面影は消え失せていた。


「退場を命じる。私の祝いに君はいらぬ」


セインの声が冷たく響く。

ブルーノは撤回を求めて懇願することなく、ゆっくりと顔をあげる。

陰湿な目がアナベルを射抜くように見据えた、と同時に掴みかかってきた。


「素直に死んでいればいいものを! なぜ呪いを解いて生き残り、私の邪魔をするんだ!」


まるで悪鬼のような形相のブルーノを魔法で弾き飛ばすより先に、セインがすっとアナベルの前に立ちその身体を突き飛ばしていた。


「うぎゃっ!」


ブルーノは床に激しく尻餅をつき、情けない悲鳴をあげた。

魔獣を退治できるほどに鍛え上げているブルーノは決して軟弱ではない。そんな相手を、セインは簡単に突き飛ばして転がした。

アナベルはその光景に、そんな場合ではないと思ってもつい、すごいわ、と見惚れてしまった。


「この私の婚約者に、暴言のみならず暴力まで振るうつもりか? 君は命が惜しくないのか?」

「っ!」


セインに睥睨され、ブルーノは立ち上がることも出来ないほど怯えて身を震わせた。


「外に放り出せ」


傍に駆け寄ってきた警備の者らしき人間に、セインが厳しく命じる。

その四名は頷き、素早くブルーノの腕を掴むと立たせた。そのまま引きずるようにして会場を出ようとする。


「アナベル! こんなところで宰相閣下まで巻き込んで私に恨み言を言うほど私と結婚したかったのなら、上級魔法使いであることを教えればよかったではないか!」

「…………」


ブルーノの叫びに、アナベルはきょとんとした。

アナベルの行動は、婚約破棄されたことでブルーノと結婚できないことを嘆き悲しみ恨んだ。それゆえのものだとブルーノは思っているようだ。

解呪できなければ死ぬような腕輪を填められた怒りはないもの扱いなのかと、アナベルは半ば呆然となった。


「そうすれば結婚してやったものを。地味顔で何の取り柄もない姿ばかり見せておきながら、血筋だけでこの私の妻となれるなど、そんな甘いことを考えたお前が悪いのではないか!」


連行されるブルーノが、憎しみを滾らせた怒声を上げた。

ブルーノは、鍛え抜かれた屈強な身体の持ち主ではあるが、警備の者達も鍛えている。しかも四名だ。

ブルーノがもがいて抵抗したところで、拘束する手がはずれることはなかった。


「それをこのような場で恥を掻かせて、私の輝かしい未来に傷を付けるなど許さぬ。お前を絶対に許さないからな!」


血を吐くような怨嗟の叫びを響かせる。

己のおこないをまったく反省しない、どころか逆にアナベルへ憎悪の炎を燃やすブルーノに、心底呆れた。


「私を捨てた婚約者が誰であるか、自ら公表してくれてありがとう」

「なっ!」


ブルーノはそこでようやく、激情に駆られて自分が言ってはいけないことを口走っていたと気付いたようだ。


「私が上級魔法使いであるとあなたに教えなかったのは、母が一般市民であることにばかりこだわり貶める、あなたの貴族至上主義と上昇志向の塊のような人間性が疎ましかったからよ。結婚したくなかったから黙っていたのよ」

「なんだと……この私を疎んじていただと?」


驚いた様子で目を丸くしているブルーノは、どうやら、アナベルに好かれていると思っていたようだ。

なるほど。だから死の呪いがかかった腕輪を使ったのだ。ブルーノを諦めきれないアナベルが婚約破棄を受け容れずに自身に付き纏うことがないようにと……。

アナベルが死にさえすれば、その憂いが払拭できるというわけだ。

自分はアナベルを嫌って辛辣にあたっていたくせに、アナベルの方は自分を好いているなど、どういう思考回路で生きればそんなことを思えるのか。摩訶不思議である。

自分の容姿や頭脳に自信のある人間は、これだから気味が悪くて恐ろしい。

他者の感情を察することができない。皆、秀でて優れた己を好きになると思い込んでいる。こんなことでは、中央政治に携わっての出世などやはり無理な話だ。改めてそう思うアナベルだった。


「あなたが私に死の呪いなど掛けなければ、このように関わることはなかったでしょうね。あなたの望み通り、二度と顔を合わすことなどなかったというのに……」


アナベルのため息交じりの声と、貴族たちからの氷よりも冷たい目に見送られ、ブルーノは大広間より姿を消した。


これでブルーノの夢見る出世は消えた。恋するオリヴィアと親密になる機会も失われた。

ただ……そのオリヴィアは、ブルーノの退場になどまったく関心を寄せていなかった。


「公爵様のご機嫌を損ねた慮外者を庇うわけではございませんが、そちらの女性が宙に浮いただけで魔法使いと断定するは早計なように思いますわ。中級の魔法使いを数名しのばせ、何らかの仕掛けを施していたという可能性は考えられますもの」


彼女の紅の瞳が、ひたりとアナベルを見据える。


「あなたが真実上級魔法使いであり、私の血よりも尊き血としてマーヴェリット家に嫁ぐとおっしゃるなら、陛下を快癒させて頂けないかしら。それくらいはして頂かなければ、上級魔法使いであるなど信じられませんわ」

「…………」

「私の信用など得ずとも構わない……そうお考えかもしれませんが、上級貴族の妻として生きていこうとお思いでしたなら、私のような女は敵に回さぬ方がよろしいですわよ」


無言のアナベルに、オリヴィアは自身の方が上位者であることを印象付けるような眼差しを向け、ふふ、と自信ありげに笑って見せた。

上級貴族の令嬢を数多く支配下に置いているとでも言いたいのだろう。

セインと結婚した後、社交の場でそれらを使っていびるぞ、と脅しをかけてきているのがよくわかる。

アナベルは、上昇志向が強すぎる上に、己を誰より素晴らしいなどと本気で言いきれるオリヴィアという人間が好きになれなかった。

しかし、ここまではっきり言われては逆におもしろいと感じた。

陰険ないびりをしておいて、何もしてませんと誤魔化そうとする人間よりも、気に入らないことをしたらやるぞ、と言っておいてくれる方がはるかにさっぱりしていて気持ちがいい。

彼女はブルーノよりは性根が捻じ曲がっていないのかもしれない。


「オリヴィア嬢……陛下の側には王宮魔法使いの長官がついている。このような場で、彼を差し置いて他の者が陛下を癒すなどそのような事は語るものではない」


セインが少し顔を顰めて苦言を呈すも、オリヴィアは少しも怯まずこちらを注視している貴族たちを見回した。


「もちろん、長官様が優れた魔法使いであることは存じておりますわ! ですが、長官様お一人に頼るよりも、方法があるならいくらでも試すべきですわ。何より大切な陛下のお身体なのですもの!」


「それも、そうかもしれないな……」

「素晴らしい上級魔法使いであるなら、陛下の為に尽力していただきたいものだ……」

「陛下が快癒されれば、ベリルにとってこれ以上の喜びはない!」


貴族たちからオリヴィアの意見に賛同する声が上がる。

それらの声を耳にして満足そうに微笑むオリヴィアに、アナベルは頷いた。


「皆様のご期待に添えるよう、力を尽くします」


ここは、余計なことを言って反論しない方が良い。

ブルーノなどよりはるかに貴族の内に力を持っているであろうオリヴィアは、自身が納得しない限り、己に都合が良くなるまで煩わしい騒ぎを起こすのが目に見えている。

それを起こさせないためにも、ここはとにかく王の快癒に向けて頑張るしかない。

どうか寿命が残っていますように、とあらためて王に向けて祈った。


「やって下さるのね! さすがは本物の上級魔法使いですわ。そのような立派な方が詐欺など働くわけがございませんわね。不貞のほうに関しても、おっしゃるとおりに濡れ衣なのでしょう」


朗らかに言ってのけたオリヴィアに、アナベルは心の内で肩を竦めた。

王を癒せなければ、どんな理由を作ってでもセインの傍から追放してやる。

オリヴィアのアナベルを見る目には、その気持ちがはっきりと宿っていた。

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『婚約破棄の次は偽装婚約。さて、その次は……。』 書籍情報ページ
全三巻発売中。よろしくお願いします。創作の励みになります。
コミカライズが、電子配信されることにもなりました。


別作連載中です。こちらとよく似た話なのですが、よろしければ読んでみてください。
平民令嬢の結婚は、蜜より甘い偽装婚約から始まる
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