002.予想外に強力な呪い
ひとしきり笑ったアナベルは、腕輪をはずそうと解呪の白魔法を使った。
亡くなった両親と祖父母しか知らぬことだが、アナベルは母方の祖父母より魔法力を受け継いだ魔法使いである。
過去世では世界各地に大勢存在した魔法使いであるが、現在ではその能力は滅多に受け継がれなくなっており、激減している。
現に、母には魔法力は顕現しておらず、魔法はまったく使えなかった。
父は、王都の町で出会った母に一目ぼれして結婚したのだが、魔法使いの血を引いていると知りとても驚いたとアナベルに語ってくれた。
だが、父はその血を目当てに結婚したわけではない。
ゆえに、母が魔法をまったく使えずとも気にせず、魔法使いの血筋であることは叔父にすら口にしなかった。
そして、アナベルに魔法力が顕現しても、声高に吹聴して便利な道具とするような真似もしなかった。
こっそりと祖父母の許に出して魔法の使い方を学ばせてくれた。
地方都市の高等学院ではなく王都のものに行かせてくれたのも、礼儀作法の習得が大半の理由を占めるが、王都暮らしの祖母の許に通いやすいというのを考慮してくれてのことだった。
寄宿舎の規律は厳しいものだったが、身内に会うためという理由であれば、学院が長期の休みに入った折には外泊することは認められた。
そうしてせっせと魔法の使い方を学んだアナベルは、強大な魔法力の甲斐もあり、今では祖父母の使うものよりも強力な魔法が使えるようになっていた。
ここで、この腕輪をはずしてもはずれない振りをして、ひっそりとこの地から出て行く。
生まれ育った地とはいえ、両親ともに亡くなってしまった今、特別親しい友がいるわけでもないアナベルは、この地にさほど未練はなかった。
「あら? この腕輪……」
しかし上級白魔法を使用しても、腕輪はまったくはずれなかった。
「呪いが強すぎるわ……」
まさか上級白魔法の使える自分が解呪できない腕輪とは思ってもおらず、アナベルの顔は強張った。
気持ちの悪い汗が背筋を伝う。
「ブルーノ。どこで、こんなとんでもない代物を手に入れたのよ……」
怒りを力に変えて懸命に浄化の白魔法を使うも無駄だった。
アナベルはもう二度と口を聞くことはないと思っていた元婚約者の許へ、魔法を使って一瞬で移動した。
◆◆◆
「あははははは! これで、私は婚約者に不貞を働かれた哀れな男だ。父上も納得するし、この婚約破棄で同情はされても誰にも非難されない!」
人払いをしている様子の部屋で、哄笑しながらワインを煽っているブルーノの前に、アナベルは姿を見せた。
先代伯爵と現伯爵が家のためにと決めた婚約を破棄するのに、爵位を継承していないブルーノが一人それを願おうと、誰も聞き入れない。
「嫌いだから」 では納得する者などいないのである。
しかし、ベリル王国では 「婚約した女性が、婚約者以外の男性に身体を許した」 というのは正当な理由にできるのだ。
それは一般市民のみでなく、貴族の政略結婚でも適用される。
結婚後に生れた子が違う男の子どもと判明すれば大問題に発展するからだ。そうした諍いを防ぐためにと、過去世からそうなっている。
ブルーノはそれを使って己を正当化するため、常人には解呪不可能なこの腕輪をアナベルに填めたのだ。
「あなたのその目論見には乗ってあげるから、これの解呪方法を教えて」
傍に立って右腕を突きつけるようにすると、ブルーノはぎょっとして目を剥いた。
「あ、アナベルっ?! いったい、どうやって……」
ブルーノは思い切りワインを噴き出した。
この世のものではない物を見るように、アナベルを凝視した。
「汚いわね。礼儀正しい爽やか好青年が聞いてあきれるわ!」
ワインの飛沫がドレスに掛からぬよう風魔法で弾き飛ばして腕を組む。顔を強張らせて固まっているブルーノを睥睨した。
「私は白黒両方使える魔法使いよ。魔法で拷問されたくなければ質問に答えて」
「ま、魔法使いだと? それも白黒両方など……我がカウリーの血筋に魔法使いはいないはず……」
魔法力は血に宿る。家系に一人も魔法使いの出ていない家には生まれないとされているのだ。
それを口にし、信じられない、とばかりにブルーノは首を横に振った。
アナベルはその姿に、唇の端だけ上げるようにして冷笑した。
「あなたが嫌った我が母の血筋は、その気になればあなたが目指している宮廷に仕えることなど簡単で、王家より貴族の位を下賜して頂ける魔法使いが生れるものなのよ」
大人たちの目のない場所では何度も下賤の血が混じっていると蔑まれた。
だが、アナベルに流れる母方の魔法使いの血は、ベリルに於いては没落しかかっているこのカウリー伯爵家のような貴族の血よりも重要視されているものなのだ。
アナベルはそれを知っているから、ブルーノの言動に腹は立っても傷つくことはなかった。
そしてそのたびに、こっそり魔法を使っては大人たちの前で派手に転ばせて留飲を下げてきた。
だがそれだけで、今日まで自身が魔法使いであることをブルーノに知らせることはしなかった。
教えれば、途端に態度を変えてアナベルの機嫌を取り、利用しようと企むのが目に見えていたからだ。
父はブルーノのことを好青年だと高く評価していた。それでも魔法使いであることは、アナベル自身が判断してブルーノに伝えなさいと言ってくれた。
その事には本当に感謝している。
「な、なんだと……」
「この話を信じるも信じないのもあなたの自由だわ。でも、私はあなたを、話す気になるまで痛めつけるわよ」
にっこりと微笑みながらテーブルを粉々にする。
ブルーノの座っているソファーも吹き飛ばして壁に激突させ、ブルーノ自身は内臓を損傷させない程度に床に打ち付けた。
「ぎゃあ! わ、わかった、話すから……殺さないでくれっ!」
ブルーノはアナベルの本気をきちんと理解してくれたようだ。涙目になって悲鳴をあげ、顔中に滝のように汗を伝わらせて懇願してきた。
少しだけ、すっとした。
「う、腕輪は、魔獣の腹から出た物だ! 伯父上が亡くなる少し前に、この地に魔獣が出たのだ。それを、俺が隊を率いて退治した……」
「魔獣……」
床に這いつくばるようにしているブルーノに、嘘を吐いている様子はない。
ベリルには時折、魔獣と呼ばれる獣が出る。
麦畑を荒らしたり家畜を食べたり、と暮らしに大きな痛手を与える獣である。成牛の倍ほどの大きさがあり、全身が鋼のように硬い剛毛でおおわれている。額に一本太い角を持ち、牙も長く鋭い凶暴な生き物だった。
屈強な戦士であってもそう容易くは退治できない。出現した場合は、罠を仕掛けて大勢で対処にあたらねば、小さな村などあっという間に壊滅の憂き目を見る。
それを退治した者はちょっとした英雄扱いだ。
「その褒賞を受けに王都に行った際、強力な呪いの掛かった物だと王宮魔法使いに教えてもらったのだ。何かに使えるかと思い、褒美として願ったら、絶対に使用しないようにと念押しはあったがもらえたのだ」
魔獣の退治者が貴族の子弟ともなれば、王宮にて讃えられ褒賞を受けることとなる。
腕輪はその褒美の一部とされたようだ。
「そう。使用しないようにと言われたにもかかわらず、幼馴染みで婚約者だった私に使ったわけね」
ブルーノに返す声音は低く冷たいものしか出なかった。
自分もブルーノが好きではないし、嫌われていることも分かっていた。
しかし、死に至る強力な呪いをかけられるなど、そこまでされるとは思っていなかった。
「魔獣を退治したことで、私の名は宮廷の権力者たちに覚えてもらえた。しかも、父上が伯爵位を継承することが認められ……私は伯爵の息子として、この先は王都で中央政治に関わる道を開くことができる。そう思ったら、君と結婚するのがますます嫌になった……」
「…………」
嫌になったからと、死に至るような呪いの掛かった物を使うなど、常軌を逸している。
とことん、自分のことしか考えられない人間なのだ。汚らわしくて反吐が出そうである。
ブルーノは昔から上昇志向が強かった。
田舎の小さな領主で終わるなど嫌だ、と友人たちに語っている姿を何度も見かけたものだ。
友人たちはブルーノのそれを 「君は才覚があるから絶対にうまくいくよ!」 と褒めそやしていたが、アナベルは遠目に見ていてもその姿を醜悪なものとしか感じなかった。
「私は、王都でお顔を拝見できた侯爵令嬢と結婚したいのだ……」
己のおこないをまったく反省する様子もなく、夢見るような顔で口にしたブルーノに、アナベルは心の内でうんざりして肩を竦めた。
己を殺す力を持つ者が目の前にいる状態で、よくもそんなことを言えるものだ。このような暢気すぎる人間が宮廷で出世するなどまず不可能だろう。
「だから、私の存在は心底邪魔、と、そういうわけね。その侯爵家にはご子息はおらずご令嬢しかいないのではないの?」
本気で恋に落ちたのか、はたまたあわよくば侯爵家に養子に入ってさらなる出世をたくらんでいるのか。
それはわからないが、恨みや憎しみを抱くよりも、情けない男としか思えずあきれるばかりだった。
「その通りだ……だが、君が魔法使いと知って、腕輪を使ってしまったことを後悔している。白魔法には呪いを解呪させるものがあると聞くが、それを使ってもはずれないのか?」
「はずれないから聞きに来たのよ。解呪の方法を早く話してちょうだい」
魔法使いと知ったから腕輪の使用を後悔しているなど、心底人を馬鹿にした話だ。
貴重な魔法使いであるなら出世のための良い道具にできる。だから死なせるのは惜しいと本人に向かって堂々と言い放てるなど、どこまで見下げ果てた人間性なのだろう。
それをおかしなことだと思っていないのだから、人間として終わっているとしか思えない。
「やはり無理か。王宮魔法使いが言うには、その腕輪は古の大魔法使いが作った物で、解呪には魔法力ではなく特別な道具が必要とのことだ」
「その、特別な道具とは何!」
魔法力で解呪する物だとばかり思っていたので、道具が必要などまったく考えもしなかった。
「『月の欠片』だ」
「月の欠片……それって、創造神から下賜される奇跡の石?!」
とんでもない名称が耳に入り、アナベルは目を瞠った。
この世界を創造したとされる神は、気まぐれに、天空に浮かぶ月のように輝く小さな欠片を、そっと大地に置くことがある。
その欠片は、手にした人間に富と権力を約束する。そして、強力な呪いの道具にもなる、最高の貴石だった。
欠片がいつどこに置かれるか、それを知る手立てを持つ人間は存在しない。
自家の庭で見つける者もいれば、荒野を旅する最中に見つける者もいるのだ。
神の気まぐれに相応しい奇跡の品である。
「そうだ」
「嘘はついていないようね。私もあなたのことが大嫌いだから、婚約破棄は喜んで承諾するわ。この地も離れて二度とあなたの前に姿を現すこともしない。でも……」
「でも、なんだ……」
言葉を切ったアナベルの滲ませる雰囲気に、よくないものを感じたのだろう。ブルーノは、恐る恐るといった様子で問うてきた。
「あなたのような猫かぶりのロクデナシが出世できるほど、世の中は甘くないわよ!」
「な、なんだとっ?!」
非難の声をあげかけたブルーノの手を、アナベルは思い切り勢いをつけて踏みつけた。
「ここで殺されないだけありがたく思うがいいわ!」
「ぎゃあ!」
痛みに悲鳴を上げる姿を無表情で見下ろし、アナベルは自身が魔法使いであることをブルーノの記憶から完全に消去するとその場から去った。




