177.脇が甘すぎて、敵にもならない人でした
「こちらのカウリー伯は、私の正真正銘の叔父です」
「え?」
レオニスはぎょっとし、口が半開きになった。
不安定に瞳も揺れ、その視線がアナベルと叔父の間を行ったり来たりする。
オリヴィア・ラッセルは突然セインの婚約者として登場したアナベルを訝り、素性を調べた。
一方レオニスはセインと結婚したいと思っているわけではないので、その婚約者の素性など特別興味はなかったのだろう。一般市民だと疑いなく言うくらいである。が、毒虫扱いで嫌悪し、いずれその役職を奪おうと考えているなら、身辺は弱点探しを兼ねて詳しく調べるものではないだろうか。
それをしなかったというなら、やはりセインの言うとおり彼はラッセル家の人々よりも脇が甘いのだ。
「私の本当の身分は前カウリー伯爵の娘。アナベル・カウリーというのが本名です。ちょっとした手違いで死んだことになっていましたが、戸籍は修正しました。私はカウリー伯の姪という身分を持って、マーヴェリット公爵家に嫁ぎます」
「では、カウリー伯爵家はマーヴェリット公爵家の姻族になると?」
焦っているようで、口調が少し乱雑になったレオニスに叔父が毅然と返した。
「そちらの要求は一切受け入れない。我が領の薬草は、すべて姪の夫君となられる公爵様にお任せする」
「公爵様が選んだ一般市民の娘が実はカウリー伯爵の姪だったなど……そんな馬鹿げた話があって良いものか!」
レオニスが感情的になって怒鳴るも、叔父はふんっと無視して目を逸らした。人を人とも思わぬおまえなど、会話する価値もないと突きつけたに等しい姿だった。
「私は、妻の実家は厚遇すると彼女と婚約を発表する場で公に宣言している」
叔父とレオニスの間にすっと入ったのはセインだった。いつもの柔和でほのぼのした様子がすべて消えている。先程アナベルのことで怒ってくれていたのとは少し違う。光属性の魂の特性のひとつである統率者としての面が強く出ている。
きっと、政務の場ではこのような感じで宰相として勤めているのだ。ベリルを守ってくれている姿だと思うと、ぽっちゃりさんでなくとも格好良く見えてしまう。こんな時なのにアナベルはつい見惚れていた。
「公爵……さま……」
「これでも陛下より宰相位を頂き、貴族筆頭家の当主を名乗る身だ。己の言ったことも守れぬ人間となるつもりはない。カウリー家は宣言通り私が手厚く遇して守るよ」
「っ……」
セインの冷徹な目と淡々とした口調で語られる内容に、レオニスは気圧されたように呻いて歯噛みした。
「もし、そなたであろうと他の者であろうとカウリーの領地に手出しした場合、我が一族すべてに宣戦布告したと見做す」
それは、この場に集まっている貴族たちすべてに向けての言葉だった。ざわっと周囲の空気が揺れ、緊張が走ったのがよく伝わってきた。
「そんな……」
「お父上殿はアンズワース家との付き合いを大事にされていたから、あえてこちらから交流を持ちかけることはしなかった。だが、そなたにはこの場ではっきり言っておく」
「……」
平素の穏やかなものの消えているセインの気配が怖すぎて、完全に萎縮しているレオニスは唾を飲み込むことしか出来ないようだった。
「おまえとの付き合いなど、なにがあろうとお断りだ」
「!」
乱暴な物言いに、レオニスが目を見開いて凍り付く。
「私情で付き合う相手を決めるな。公爵家と一族の利益を最も大切に考えて行動しろと幼き頃から叩き込まれた身だが、今回だけは私情で一族に命を出す」
「それは一体……」
まるで刃のような言葉をセインに突きつけられているレオニスは、悪い予感しか覚えないのだろう。顔色がどんどん悪くなっていた。
「おまえが当主となるなら、今後ルード侯爵家との付き合いを認めない。一族の長のなにより重い命として、分家当主たちに徹底させる」
「なっ……」
絶句して言葉を失ったレオニスの背後で、招待客たちも愕然としていた。
「これは手厳しい」
「一族すべてに長の強権でルード家との付き合いを許さないなど、とんでもない」
「当代マーヴェリット公の差配は行き届いているから、逆らう分家当主などいないだろうな」
周囲から次々漏れ聞こえてくる。
「マーヴェリットの分家と言えば、ベリル有数の大家ばかり……」
「これは、下手を打てば侯爵家だけじゃない。ルードの一族全体が巻き添えになるぞ」
彼らは薔薇の観賞そっちのけで大いにざわめいていた。
王家に並び立つベリル筆頭貴族。マーヴェリット家の当主に公の場でこうまではっきり宣告されては、出世どころか一つでも対応を誤ればルード家自体が崩壊する。のみならず、ルードの一族全体が立ちゆかなくなり、一蓮托生で消えてしまう可能性もある。
それらをひそひそ囁く客の貴族たちは、関わりになりたくないとばかりにレオニスから素早く目を逸らしていた。
「彼女が魔法使いだから私と陛下に寵愛されているだと? そのような節穴の目の持ち主に、どうすれば副宰相が務まるのだ? 陛下に交代させる意思がないというのに勝手に名乗りを上げて政の輪を乱すな。慮外者め」
「わ、私は奇跡の素晴らしい魔法使いだと、羨ましいと褒め称えたではありませんか! それがどうしてそのようにお怒りに……」
セインの気配に怯えながらも、レオニスは叫び返してきた。美貌は真っ青になって歪み、目を血走らせてこちらを睨んでいる。
「素晴らしいとさえ言葉を付けていれば、おまえが何を言っても私は褒められていると感じて喜ぶとでも?」
「……」
「おまえは、私が会話する相手の感情を察することも出来ぬ、木偶としか思っていないようだな。たまたまこの家に生まれたから宰相となれた、楽して甘い汁を吸うだけの人間だとも吹聴して、王家に憎まれる私はいずれ必ず破滅すると、秘密のサロンとやらを開いてせっせと説いているようだしな」
冷笑交じりに返したセインにレオニスは激しく動揺した。
「ど、どうしてそれを! あの場にあなたと懇意にしている者は絶対に招いていないのに……あっ!」
つい正直に口走ってしまい、慌てて口許を押えた。セインに対してどんな悪口雑言を並べ立てていようと絶対に知られていないと高を括っていたのがよく分かる姿だった。
「おまえが私をどう思っていようとも、私は他家を侵略してベリルに波風を立てようとする人間の動向を探るくらいのことはできるよ。そうした手立ては幾つも持っていてね、本人にまったく知られないようにして情報を得るのも簡単なことだ」
「簡単だと?」
レオニスはぞっとした様子で顔を引き攣らせていた。
「マーヴェリットを守る者として、それくらいの差配は目を瞑っていても出来るように、幼き頃より仕込まれているのだよ」
「で、ですが私はマーヴェリット家に不利益を与える真似はしていない。あなた様の邪魔になるようなことなどしていないのに、その命令はあまりに非情ではありませんか!」
ちょっと悪口を言っただけではないか、と詰る声が聞こえてきそうな勢いでレオニスは首を横に振っていた。自身が勝つことばかりを考えていて、負けた場合のことを少しも考えていなかったように見える。
筆頭公爵家相手にそれはあまりにも楽天的すぎるのではないかとアナベルはあ然としてしまう。徹底的に、中々しっぽを掴ませなかったラッセル侯爵とはまったく違うのだ。
「そうだな。だからルード侯爵家に対する正当な報復措置ではなく、ただの私情だと言っている。たまにはこんなわがままを言っても許されると思うくらいには働いているのでね」
「い、一般市民ではなかったようですが、カウリー家は今をときめく家ではありません。そのような家の娘が、どうしてあなた様や陛下に愛されるものですかっ。特別頭が良いと聞いた覚えも、絶世の美女というわけでもない。魔法使いだから以外になにがあるというのですか。私は間違ってないですよね!」
確かに、大食らいの上に寝ぼけ癖もひどい。淑女とはほど遠い自分だ。レオニスが、セインの怒りを理不尽だと感じて反論したくなる気持ちは分かる。
アナベルはそう思い苦笑するも、食い下がるレオニスに対し、セインの目は余計に冷め切ったものとなっただけだった。
「間違ってないと言い張るのはおまえの自由だ。だが私にはおまえが彼女を褒めた言葉に滲む感情は不快なものでしかなかったし、元々私はおまえという人間が嫌いなのだよ」
「わ、私がなにをしたと……」
レオニス・ルードが今後どれほど立ち回ろうとも、友好関係を結ぶのは不可能だと皆が感じるセインの声音と雰囲気だった。
「アナベルを陛下に渡すのが得になるなどと言った時点で、おまえは私にとっては塵以下だ。私に最愛を手放せと平気で言う人間。潰すのにどんな手段を取ろうとなんの罪悪感もない」
「なにが偲ぶ会だ。よくもこんな不愉快な招きに……」
レオニスは舌打ちすると、おもむろにジャンの腕を掴んだ。
本日、2023年4月12日。
この話【婚約破棄の次は偽装婚約。さて、その次は……。】の漫画版の2巻が発売しました。
表紙は、夜会のふたりにジャンです。明るく華やかです。見てほしい。
詳細は、下記のアドレスから確認して頂ければありがたいです。
https://arianrose.jp/comic/?published_id=4552
(↑ 紙版・電子書籍版、どちらもございます。お好みのほうでよろしくお願いします)
◆
小説書籍や漫画のほうにも目を通して頂き、誠にありがとうございます。星やレビュー等、話を書く励みになっております。




