175.百花繚乱の新たなる主
「本日はお招きありがとうございます。婚約者様、公爵様はどちらに?」
アナベルが温室に入ると気づいた客たちがわらわらと近寄ってきた。
「執務が立て込んでいるようでして、こちらに訪れはもう少し後かと……」
説明に集った客たちは「常にお忙しいお人だから」とあっさり納得した。そうして各々の会話に戻るも、ひとりの男性が最も人だかりの出来ているほうをアナベルに示す。
「見事な薔薇たちと秘宝を拝見させていただき、誠にありがとうございます。偲ぶ会を開いてくださった公爵様に感謝を申し上げます」
丁寧に腰を折って礼を述べる男性は面識のない相手だったが、アナベルもきちんと礼を返した。
「皆様の笑顔に、天の国でセインのお母様もきっと喜ばれていることと思います」
「『百花繚乱』は今回限りの披露でしょうか? 出来ればこの先も拝見させて頂きたいのですが……」
願われるも、そればかりはアナベルに返答出来るものではない。
「そのお話は所有者のセインに……」
「あのお品は公爵夫人のために作られたものと聞いています。ならば当代公爵夫人となられるあなた様に権利があるのでは?」
真顔でとんでもないことをさらりと言ってのけた男性に、アナベルはぎょっとしておののいた。
「ありません! 『百花繚乱』という宝は、セインのお父様がご自身の大切な奥様のためにと作らせたお品です。それを私が何かすれば間違いなく罰が当たります」
きっぱり否定し、身振りでもそれを伝える。
「せっかく見初められて公爵夫人となられるのに、あれほどの品をご自身の物としたいとは思わないのですか?」
ところが男性は納得しないようで、怪訝な顔をしながらアナベルを人だかりの中心へと導くように案内した。
「!」
ガラスケースの中には、アナベルの度胆を抜く品が威風堂々と鎮座していた。
まるで炎を閉じ込めたかのような、濃厚な「赤」。
黒味まで感じる濃さでありながら、内部まで透き通る透明度を誇る「青」。
内部に傷のまったくない、森の奥深くにひっそりと存在するかのような清廉な泉の「緑」。
色味が濃く鮮やかな「桃」色。
艶やかな乳「白」色。
それら5色の大きな石が、周囲を虹色に輝く大量の金剛石に彩られ、花模様を形成するように細工されている。まさしく大輪の花の競演。 凄まじいと言うほかない豪奢すぎるネックレスに、アナベルは呆気にとられるばかりだった。
「素晴らしいでしょう? 花模様の中心となるように配置された色のついた大きな石。あれも金剛石なのですよ」
「透明ではないのに?」
金剛石といえば透明な物と思い込んでいたアナベルは、男性の説明にぱちくりした。
「色つきで大きく、その色味が濃厚な金剛石は希少中の希少で、通常の金剛石の何百倍も価値があります。前公様が世界中の宝石商に依頼を出して七年掛けて蒐集されたそうです。初めて公開されたときの反響は他国にまで鳴り響くほどのものでした。国宝と言ってもよいと私は思いますよ」
男性は得々と語った。
「国宝……」
「このような金剛石を5色も揃えるなど、マーヴェリット家の財力でなければとても出来ないことです」
「愛の為せるわざとは言え、セインのお父様とんでもない」
世界中の宝石商……この豪華温室しかり。
とにかく前公爵様は、前公爵夫人が好きで好きで堪らなかったようだ。その感情はひしひしと伝わってきた。
「ね。ほしいでしょう?」
「いえ。眺めるだけで充分です」
ねっとりとした声音に問われるが、アナベルの返答は変わらない。こんな尋常でない物、もらってどうしろというのだ。
「あ! いらっしゃいましたよ。……公爵様。このたびは素晴らしい会をありがとうございます!」
「薔薇も『百花繚乱』もとても美しく、同等以上に麗しいお姿であられたお母上様がはっきりと脳裏に蘇ります」
ジャンと共に温室に入ってきたセインに、客たちから歓声が上がる。彼はそれらの声に温厚に返しながら、アナベルの側に立った。
「遅くなってすまないね」
「大丈夫です。レオニス・ルードもまだいないようですし」
ここに来る庭の道中でも、温室に入ってからも、視線を巡らせて探しているのだが一向に見つからない。
「公爵様。どうかこの素晴らしいお品を隠さないでください。展示してベリルの民に感動を分け与えて頂けないでしょうか」
セインに向けて懇願の声が上がり、人々がその声に賛同するかのようにうなずいていた。多くの目が彼の反応を注視している。
「それを決められるのは私ではないよ」
柔らかなセインの笑みと声音に、客たちが心得ているとばかりに一斉にこちらを見た。ぞっとするほど大勢の目を向けられたアナベルは、慌てて両手を振った。
「こ、こっちを見ないでください! セインは決める権利があるのは母上様だけだと仰っている……っ!」
アナベルが自分に集う人々の視線を散らせようと躍起になっていると、突然首に冷やっとする物が触れた。次いでずしっと重みが……。
ぎょっとして固まったときには、ケースに収められていた煌びやかな秘宝は自身の首に巻かれていた。
「皆の考え通り、新たな公爵夫人となる彼女が今後はこの首飾りの主だ。よく似合っているだろう?」
背後からアナベルの両の肩に手を置いて、セインがにこやかに語る。客たちは一瞬呆けるも、すぐに賛同の声に変わった。
「とてもお似合いです!」
「アナベル公爵夫人。どうか展示の許可を」
「もちろん。警備の厳重な規模の大きな博物館のみで構いませんからっ!」
「お願いします!」
怒濤の勢いでわっと詰め寄られたアナベルは、急いで首から宝石を外そうとした。
「なんて怖ろしいことを! 天の国でご両親様が怒っていますよ。私に罰を当てたいのですか!」
これは息子さんの冗談です。お願いですから怒らないでくださいと本気で天の国のセインの両親に祈ってしまう。が、上手く外れなくて焦るアナベルとは対照的に、彼のほうは暢気に笑っていた。
「そうかな? 私は父も母も君が主となったことを喜んでくれていると思うよ。この先この首飾りに日の目を見せるも見せないも、すべて君が決めると良い。私は君にしかこれをつけさせたいとは思わないからね」
外そうとする手を握られる。
「そんな無茶な……」
「私を愛しているならどうか新たな主となってほしい」
こちらを一心に、誠実な目で見つめられる。
アナベルは眉を下げて上目でちょっと睨んでしまった。
「それ、すごくずるい言葉ですよ。絶対にいやと言えないじゃないですか」
思わず詰ってしまうと、すこぶる爽やかな笑顔が返ってきた。
「最高にうれしい返事をありがとう」
「……展示するなら、拝観料は全額困っている人々への寄付としてもいいですか?」
「とてもいいことだと思うよ。母上もそうしたことのお好きな人だった。天の国で大いにうなずいているだろうね」
快諾してくれたセインに、アナベルもちいさく微笑んだ。
「モリーはこうなると知っていたからこのドレスだったのですね。襟の詰まったドレスでは、宝石の邪魔になりますから……」
今の状態ならば、首許が大きく開きすぎで寂しいと思うことはない。逆にぴったりだ。
「君が付けてくれると宝石たちがより輝いて見えるね。実に美しい」
「それは褒めすぎ……」
褒め言葉をまったく惜しもうとしない婚約者にアナベルはうれしい以上に照れてしまう。が、続く言葉には眉根が寄ってしまった。
「私も自分で探した物を贈りたいな。がんばって父上以上の品を集めるから楽しみに待っていておくれ」
「これ以上の品? すみませんが、聞かなかったことにしますね。今でも豪華すぎて倒れそうなのに無茶を言わないでください」
楽しみに待つなど無理に決まっている。ちょっと胡乱な目をしてしまうアナベルに、セインがとても楽しげに笑った。
「何度も身に付けていれば慣れるよ。大丈夫」
「大丈夫って……」
ちっとも大丈夫とは思えないアナベルがあ然としていると、童顔の美青年がこちらに歩んできた。いよいよ登場した姿に、背筋が少し伸びる。




