173.愛する人はあくどくない
「薬草を順応させる魔法とは、その地に出向いてから掛けるものなのかい?」
夜。ふたりで寝所に入ったところでそう問われた。
「え?」
咄嗟に返答できず、アナベルはきょとんとして寝台に腰掛ける。
「出向くなら一緒にと思うのだ。だが、ルードのことが片付いても私はそう容易く王都を離れられないから……」
休暇を取れるまで少し待ってほしいと、隣に腰掛けたセインがすまなそうに言った。
「セインと一緒の旅なんてわくわくしますが、無理して時間を作らなくてもいいですよ。魔法はこちらの屋敷から掛けます」
政務に公爵家の管理にと日々忙しい人に、強引に時間を割かせるような真似はしたくない。
「ここから? 領地まではかなりの距離があるよ」
セインは不思議そうに瞬きしていた。
「人間を魔法で長距離移動させるのは無理でも、無機物や植物は大丈夫なのです。薬草を順応させたい領地の景色をはっきり記憶している人と、薬草の花を一本用意してください。私は祖母から水晶玉を借りてきます」
「記憶と水晶玉?」
薬草が必要なことは説明がなくとも納得できるが、他は疑問のようだった。
「水晶玉に移動先を投影してその中で空間を繋ぐのですが、私はセインが順応させたいと思う領地を知りません。ですので、見知っている方の記憶に協力してもらうしかないのです。交渉した薬草の花に繋いだ空間を渡らせ、そこで増えて貰います。水晶でなくても鏡やガラスでも構わないのですが、私はこの魔法には水晶を使うのが好きなので……」
水晶には精神を安定させる効能がある。それが良いように作用するのか、アナベルはこの移動魔法に失敗したことがない。手作りの品を、祖父母の元へ届けるのに使用していた。
「少し前に視察して確認しているから、私の記憶を使っておくれ」
「助かります」
セインのために順応させる薬草だ。本人が希望する地を見せてくれるというなら、それがなによりである。
「水晶玉は祖母殿の品でなければ駄目なのかい? 私でも用意できると思うのだが……」
「あ。水晶のお城を建てるとか無茶を仰っていましたよね」
思い出してくすりと笑うと、思いのほか真剣な眼差しで凝視された。
「城は諦めるが、水晶玉くらいならばもらってほしい」
「はい。お言葉に甘えていただきます」
頼らないのは相手に気を許していない。ジャンの言葉が妙に強く脳裏を過ぎったアナベルは、遠慮しようとした言葉を飲み込んでいた。せっかく言ってくれているのだからと素直に受けると、セインがとてもうれしそうに笑ってくれた。
「最高の品を用意するね」
「ありがとうございます。でも、これで守護魔法制作がまた遅くなってしまいます。それは申し訳……」
謝罪は、こめかみへのキスに遮られた。
「謝罪なんて必要ない。あの薬草を我が領に咲かせてくれるので充分だよ。守護魔法は君の気が向いたときにでもゆっくりで……」
「う~。ゆっくりはいやなんですけど、この調子ではゆっくりになっちゃいますね」
今回の魔法もかなり魔法力を必要とする。万全の態勢で守護魔法制作に取り組める日は遠そうだ。
「それに謝罪と言うなら、しなければならないのはどう考えても私のほうだよ」
苦笑しているセインに、そっと前髪を梳くように撫でられてアナベルは首をかしげた。
「セインが?」
こちらのほうが大いに頼る相手だ。謝ってほしいことなどなにも思い浮かばない。
「カウリー伯爵領の者たちが君を一方的に非難したことは、腹立たしく思っている。それでも、君があのタイミングで外に出てくれなければ、私が君と出会うこともきゅきゅが助かることもなかった」
感慨深げに語るセインに、籐の籠で眠っているきゅきゅのツノがぴくりと動いた。
アナベルは、そのことかと合点が行った。
「そう言えば、そうですね。あのタイミングでなければセインに出逢えることはなかったのですよね。伯爵令嬢をやめて良かったと改めて思います」
「だから君に不貞の汚名を着せたブルーノ・カウリーがすでにこの世に存在せず、伯爵も君に詫びた今、本音を言えば私はあの薬草の専売権が手に入り縁戚として繋がりを持てることをありがたく思っている。伯爵を連れて戻ってくれた君に感謝するばかりだ。えらそうに伯爵を非難する資格などない。ただのあくどい人間に過ぎないのだよ」
セインが己を卑下し、頭を下げようとするのを額にキスすることで止めた。
「あくどくなんてないですよ。私は、セインが叔父様を怒ってくださったことをとてもうれしく思っています」
「うれしい?」
まったく思いもしなかったのか、セインはアナベルの言葉に素で驚いていた。その顔が妙にかわいくて心が震える。
「私は叔父様たちを恨んでいないと言いましたが、大好きなあなたが「アナベルにひどいことをするな!」と真剣に怒ってくださっているのですよ? これを喜ばずになにを喜ぶというのですか。正直浮かれていました。セインこそ謝る必要なんてなんにもないんです」
にっこり微笑むと、彼は目元を赤く染めた。照れた様子で首筋を掻く姿にも、アナベルは無性に胸がきゅんとして落ち着かない。
「……では、互いに謝るのはもうナシで、ということでいいかな?」
こちらの顔色を窺うように、心なしかおずおずとなされた提案だった。
「それがいいです!」
アナベルは笑顔全開でぴょんとセインに抱きついた。甘えて膝に乗ったのを、彼は大事に抱きしめてくれた。
◆◆◆
「アナベル様。結婚式の衣装は本日よりちょっとお休みして、偲ぶ会用のドレスの仕立てに入りますね。ご要望などありましたら、お気軽にどうぞ」
翌朝。食事終えて執務に向かうセインを見送ったアナベルに、モリーが穏やかな笑みと共に言った。
「モリー。みんなも……結婚式の準備で忙しいところに、急に偲ぶ会が決まってしまってごめんなさい。無理に仕立てなくても、着られる物があればそれで……あ! 婚約発表の時のとか、王太后様の御誕生日に着させてもらった物で……」
こちらを見て総じてにこにこしている召使いたちにも、余計な仕事を増やしてしまい居たたまれない。出来るだけ手間を掛けないように、新作などもったいないと提案してみるも……。
モリーの温和な顔ががらりと変じた。見たことのない怖い顔だった。
「公爵家の女主様に一度着たドレスを再度着させるなど、とんでもない! アナベル様はマーヴェリット家の家政婦長の任を頂く私に死ねと仰っているのですか?」
「え?」
大まじめに返され、アナベルはがちんと固まった。
「ドレスをたくさん仕立てられるなんて、腕が鳴るばかりで楽しすぎます」
「アナベル様は、もっと頻繁に会を開いてくださいませ。大奥様が亡くなられてからドレスの仕立てが縁遠くなり、寂しい思いをしていたのです」
「忙しいほうが良いんです!」
「もっと、もっといっぱい仕立てたいです」
モリーだけでなく、集っている召使いたちも口々に訴えてきた。
ここで仕立てさせないなど言おうものなら、逆に責め上げられそうで……アナベルは彼女たちの熱意に押され、ひくりと口許を引き攣らせた。
「よ、よろしくお願いします。いつもとても綺麗な仕立てなので、特に要望はありません。今回もお任せでいいですか?」
働き者の召使いたちに、ちいさく問うた。
「ご信頼ありがとうございます! バッチリ美麗に仕立ててご覧に入れますので、どうぞお楽しみに」
元気いっぱいの返事を集っている全員から貰う。
もし要望があるとすれば、あまり贅沢仕様は遠慮したい、なのだが、この状況でそれを言っても誰にも相手にされないだろうというのは、いやでも実感できるアナベルだった。
執事ダニエルの指示により、貴族や著名人に広く招待状が配られる。数日が経ち……。
「公爵様。アナベル様。此度の偲ぶ会のことなのですが、皆様快く招待を受けてくださいました。もちろん、こちらの御家の方も……」
セインとふたりで午後のお茶を楽しんでいるところに、ダニエルが満足そうな笑顔で現われた。
透かしで家門の入った白い封筒をセインに手渡す。
「父侯爵の代理として喜んで出席させていただきます。とのことだよアナベル」
中にさっと目を通したセインが機嫌良くこちらに差し出してくれた。
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