168.立ち聞き
「おまえこそ、いい加減伴侶にする人間に格好付けるのやめろ。きれい事ばかり言ってよそに持って行かれても良いのか?」
「……」
「マーヴェリットの領に根付かせるのは、どう足掻いても不可能だと研究者達は手をあげたぞ。ベリルでは、あの薬草はカウリーの領地にしか育たないんだ」
ジャンがあの時悩んでいた理由はこれだったのだ。アナベルは合点が行く。
「創造神様の娘である、大地母神の恵みとまで謳われる薬草だからな。人間が楽に採取出来る場所に育てようなど、浅はかで無理な話か……」
ため息交じりの残念そうなセインの声だった。
そんな声を聞いてしまうと無性に心がそわそわしてしまう。自分になんとか出来るものならなんでもしてあげたい。魔法使いの血が騒ぐ。
「ここでうちが退いたら、伯爵から専売権を取るのは間違いなくルード家だ。他家が伯爵と交渉を持とうとすると、七公相手であろうと遠慮なく邪魔をしていると聞くからな。現在あの家を仕切る次期当主が専売権を得たら、おまえにだけはどんな条件を提示しても絶対に売らないぞ」
ルード家の名をジャンの声に聞いて、アナベルはぱちくりする。
叔父もドキッとした様子で肩を震わせ、思わずふたりは互いの目を見交わした。
「王太后様の身内であるから密な付き合いとは行かないが、次期当主とそこまで険悪な関係になった覚えはないような?」
「それは兄のことだろ。先日落馬事故で死亡して弟が新たな次期当主となったじゃないか。その弟はおまえのことを毒虫扱いで嫌っている」
不思議そうなセインのつぶやきにジャンが説明を入れると「弟……」と彼は少し考えるように繰り返した。
「ああ。なるほど……それで先日の会議場にいたのか。何故、ルードの弟が会議に出席して私に話しかけるのだとは思ったが、兄殿が亡くなっていたことを忘れていた。だが毒虫とまで思われるような真似をした覚えは、弟相手でもないぞ」
思い当たる節はないようで、声は怪訝なままだった。
「ルードは薬草以外に、香辛料でも手広く国外交易を考えていたようでな。御家取り潰しで、ラッセル侯爵が取り引きしていた分が宙に浮いた状態になっていただろ? そこに入り込もうとあれこれ手を回していたわけだが、この先は言わなくてもわかるよな?」
面白そうに教えるジャンに、苦笑交じりのセインの声が続く。
「おまえのおかげで、うちが取っているな」
「香辛料以外もあってな、ラッセル家が消えたことで吸えると思った甘い汁を、ルード家はなにひとつ吸っていないわけだ。で、それをすべて吸って交易路をさらに拡大したおまえを、血筋のおかげで楽してなんでも手に入れる忌まわしい人間と思って憎んでいると。まあ、そういうことだ」
ジャンは淡々と、どこか朗らかにも聞こえる口調で話しているが、アナベルはムカッときて目の前が真っ赤に染まる。
毒虫扱いの上に楽している忌々しい人間とはなに!
「はは……。おまえが欲をかいて他家に何ひとつ譲らなかっただけだと言っても、これは通らないのだろうな」
ところがルードの暴言に憤るアナベルの耳には、自身を貶められている事への怒りなどまったく感じられない、セインの乾いた笑い声が届いた。
「私を強突く張りのように言うな。どうすると聞いた私に、取れるものならなんでも取っておけと言ったのはおまえだろうが」
「そうだったか?」
軽やかなセインの声は、完全にとぼけているとよくわかるものだった。
ラッセル家の財産はすべて侯爵が苦しめた人々への補償に使われたと聞いていたが、交易の取引に関しては、ふたりの同意の上で他家に譲らずすべてをセインが握るようにした模様だ。
「私はおまえの指示通りにしただけの、働き者の配下だ。おまえ、交易の利益は充分と言うことで、ラッセル侯爵が声をかけた外国の相手には、無理に取り引きの話を持っていこうとしなかっただろ」
「奪い合いをしたところで、特に利になると思わなかったからな。おまえは不満そうだったが……」
「それは気のせいだ。とにかくおまえが乗り気でなかったせいで、相手方は遠慮していたわけだ」
ぼそっと返したセインに、すぱっとジャンが切り返す。交易という重要な話をしていると思うのに、あまりそれを感じさせない気安い雰囲気が伝わってくる。ふたりの会話に、仲が良いなあとアナベルはこんな時なのにほっこりして頬が緩んだ。
「おかげで皆、本当はラッセルよりもマーヴェリットの当主と取り引きしたかったのだと機嫌良く私の話を聞いてくれた。ベリルの宰相公爵の名は、他国でも評価が高いからな。取引相手をひとりも自家に引っ張れなかったルードたちが恨むのは、どう考えてもおまえだよ」
けらけら実に楽しそうに笑っているジャンの声が、アナベルの頭の上をくるくる回る。
「なにが私の名だ……。相手が機嫌良く話を聞くしかない条件を、見事に揃えて持って行ったのだろうによく言う。有能すぎる配下を持つのも考えものだな。……薬草に関しては、こちらは今まで通り秘境の冒険者頼りで行くことにする。多少損はするだろうが、ルードが売った相手から仕入れるというのでも構わない」
さばさばとした感じで言い切ったセインは、ルード家を相手にするつもりはなさそうだった。どうあっても叔父と取り引きをするつもりもなさそうで、アナベルは眉が下がる。
「仕入れはおそらく無理だ。ルードは転売しないと誓約の取れる相手にしか売らない。あの薬草はどんな条件や高値を付けても売れるだろうから、ルードが売りつけるのは他国の王族だ。それを理由に親しくなれるという利点付きでもあるからな」
「暮らしが豊かな者にしか回らないか……」
セインの寂しげで重いつぶやきが、心に刺さる。それは駄目だとアナベルは無意識に首を横に振っていた。
「おまえ、それいやなんだろ? おまえはベリルがもっと一般市民に優しい国になればと願っているアナベルを喜ばせたくて、あの薬草が自領で育つようにと研究に力を入れていたのではないか?」
「……違う。邪推するな」
セインが何かを誤魔化すように、焦り口調でぼそぼそ返した。なんだか妙に可愛らしく思えてしまい、アナベルの目が細くなる。
「へえ。じゃあ研究費を十倍に跳ね上げた明確な理由を教えろよ。それ決めたの、アナベルに出逢ったすぐ後だよな。それまではおまえ、あの薬草をベリルで育てるのは諦めるとか言ってなかったか?」
研究者には違う研究を命じる予定だったよなあ、とジャンの少し意地悪で、でもどこか面白がっている声が聞こえてくる。
「どうしても、怪我や病気は貧しい者たちのほうが多く罹る。治療に高い効果を発揮するあの薬草が、ベリルに安価で存在したほうが国力が上がると思い直したからだ。他意はない」
「研究費を馬鹿のように使って根付かせた貴重な薬草を安価で流通させる。損をするのが大嫌いなおまえが、そんな大損確定のことをするのに他意はないだと? 笑わせるな」
「……」
「おまえは彼女を喜ばせて、すごいですねと褒めて貰いたいと思った。そのためならどんな損をしても惜しくない。だから金に糸目を付けなかったのだろうが」
「褒めてほしいからなど……そんな、子どものようなことを思うわけない」
ジャンの断定をセインはすぐさま否定した。が、どうにも動揺して狼狽えているようにしか聞こえない。
まさか、本当に自分に褒めて欲しいと思っての行動なのだろうか……。ドキドキして、もの凄く胸の奥が熱くなる。
「好きな女に褒められたいと思うのは、恥ずべきような幼稚な感情ではないぞ。前向きに生きるためには必要なものだと私は思う。その褒めて貰える材料となる薬草がせっかくベリルで採れるのに、下手な意地を張ってルードに譲ってやるのか? 金持ちにしか回らない薬草にして、それで本当に良いのか。後悔しないか?」
ジャンが諭すようにセインに畳みかける。その内容にアナベルも聞き入った。
「だが……死の呪いの腕輪に、不貞の汚名を着せての婚約破棄だぞ! 心の強い彼女であったから生きていられたのであって、そうでなければ死んでいる。そんな非道をした息子を優先し、アナベルを見捨てた伯爵など二度と彼女と関わらせたくない。私の都合で、彼女にカウリーの名を聞かせるなどあってはならないことだ!」
どうしてもうなずけないでいるセインの叫びに、そんなに気を遣ってくれなくとも、とアナベルは逆に申し訳なくなってしまう。
「心の強い人と言いつつおまえのそれ、繊細なガラス細工の心の持ち主にしか思えないのだが……。おまえを守るためなら誰とでも戦うとはっきり言う。おまえの背に隠れようとしないアナベルに、それはおかしくないか?」
「前当主であった兄の形見だろうに、自死としてぬけぬけと葬儀までおこない死亡届まで出しているのだぞ。守るどころか、身内の風上にも置けないことをしておいて、なにが叔父だ!」
ちょっと呆れ声のジャンに、そうですそうですとも、と勢いよく同意しかけたところでセインの厳しい声が耳を打つ。叔父ががくりと床に膝を落とし、アナベルの足下に蹲った。
「お、叔父様?」
「すまない。私は本当に申し訳ないことをした。公爵様の仰るとおり、私は兄上の大事な宝であったおまえを守りもせず……殺したも同じなのだ」
涙声で懺悔する叔父の右腕にアナベルはそっと触れた。
「立ってください。そのことはもういいと言ったではありませんか」
「おまえの、正直な気持ちを飾らずに話せば彼女はわかってくれるさ。おまえが、マーヴェリットを富ませるために自分を蔑ろにしてカウリー家と手を結ぶなんて思わない。大丈夫だ」
「……」
【私もジャンに一票入れるわ。私の知る副隊長は、あなたがカウリー伯爵と交流を持つことを嘆くより、特別な薬草が困っている人間に安価で回ることを喜んで笑う人間のように思うのよね。ずっと、探して探して……やっと見つけられたたったひとりのお嫁様でしょ。その心根を信用しても罰は当たらないと思うわよ】
きゅきゅがジャンの意見を後押しする声を聞いて、アナベルはノックをせずに思い切って扉を開けた。
「立ち聞きしてすみません。隊長が大正解です。セインがカウリーの薬草で叔父と契約したからと、私を蔑ろにしているなんて思いません。ご遠慮なくどうぞ。弱者に優しいあなたが大好きです」
「アナベル……」
執務机のほうから、セインが呆然とアナベルを見た。
「チューリップは陛下に無事届け終えました。褒美にとても素晴らしい宝石もいただけましたので、王宮通いはこれで終わりです。お騒がせいたしました」
叔父を室内に促しながら、アナベルはセインの側へと進む。
「それはよかった。カウリー伯爵まで連れて戻ってくれるとはありがたい」
ジャンときゅきゅが笑顔で迎えてくれる。そのまま彼はソファのほうを示して、先に叔父を案内した。




