162.王妃と王太后からもてなしを受ける
「アナベル。仲の良い婚約者同士とは、秘密を持たないものと私は聞く」
「え?」
ひやり、と心に刺さる王の声だった。
「だからそなたは宰相に、私と話したすべてを包み隠さず伝えるのだろう? 実に良きことだ。秘密を持たない。しあわせにすごすには大切なことだな」
にこやかに笑んでいる王に、アナベルははっとして息を飲む。
「……」
ルード侯爵家のことに関して正直なところ、侯爵家に関わりのない自分に聞かせていい話なのかと疑問に思っていた。が、王は自分に話しているように見せて、セインに語っていたのだ。
「私が直接話して聞かせれば、嘆願領主達に肩入れしたも同じだからな。だが、愛しい婚約者のちょっとした話を聞いた宰相が、自身の考えで処理するならばなにも問題はない。まあ、一言。『陛下は副宰相の変更は考えていない様子でした』とでも付け加えておいてくれればありがたいな」
口調は軽やかで、面白そうに語っているのだが……。こちらをじいっと見ている王の紫の瞳には、いやです、とはとても言い返せない圧があった。
「……か、かしこまりました」
ぎこちなくうなずいたアナベルに、王は満足げに目を細めた。
「もうおかしな妄想をする者もいないはずだ。この先も宰相が拗ねぬ程度でよいから、私に楽しい魔法を見せに来てくれ」
「謹んで、承ります」
怒るではなく、拗ねる。
それはどういうことだろうと思うも、素晴らしい宝を頂戴したお礼はしなければならない。アナベルは王に楽しんでもらえそうな魔法を頭に思い描きつつ深々と礼をした。
◆◆◆
「ソフィア様に王子がお生まれになってから後悔しても遅いのですよ」
面会を終えたアナベルが回廊に出ると、横合いから暗い声が耳を打った。
「……」
「公爵夫人よりも、王妃のほうが偉大な魔法使いには相応しいでしょうに。何故、こうも頑固なのですか」
アナベルに王妃になれとしつこく勧めていた侍従の、怒りに染まるどす黒い顔にフフッと笑んだ。
「偉大な魔法使いなんてとんでもない。私はそのような素晴らしい存在ではありません。セインにだけ、ちょっぴり便利な魔法使いですので悪しからず」
「五百年ぶりの奇跡であるのに、王妃の位を求めないなんて……」
あなたは馬鹿ですよ、と吐き捨ててその場を去って行く侍従に、アナベルは軽く肩をすくめた。
「愛する人のお嫁さんになりたいと言うのを馬鹿呼ばわり。権力とは怖い……」
苦笑しつつ頂いた宝石を異空間に仕舞うと、ソフィア妃の住まいへ向かった。
大変ありがたいことに、アナベルはいつでも訪ねて構わないと許可をもらっている。訪ねると王と同じくちょうどソフィア妃も休憩時間であったようで、すぐに取り次いで貰えた。
「無事目的が果たせましたので、明日からはあまりお訪ねすることはありません。大切な宝物庫を拝見させていただき、ありがとうございました」
「そうなの? そんなこと言わずにたくさん訪ねてくればよいのに」
すっかり明るくなっている美貌を、ちょっと不満げにしかめた。大層残念がってくれる貴人に、アナベルは正面の席から頭を下げる。
「お言葉、ありがとうございます」
「私、あなたが四妃になるなんて噂、まったく気にしていないわ。だからいらぬ遠慮などせず気軽に訪ねていいのよ」
「ぅっ!」
にっこり穏やかに語ったソフィア妃に、アナベルは一瞬息が詰まって呆然とした。
しっかり耳にしていて……それでいて……アナベルに何も言わないどころか、やさしくお菓子をたくさん食べさせてくれていたとは……。
意想外な事実に硬直するアナベルに、ソフィア妃はくすくすと鈴を転がすように笑った。
「周囲の状況に鈍感では、ここでは生き残れないのよ。もし、他の者に陛下が同じことをしていると知ったなら、心穏やかではいられなかったでしょうけど……あなたであるから気にならなかったわ」
「え?」
気にしないでいてくれたなら、それはとてもありがたいことだ。でも、どうしてはっきり言い切ることが出来るのだろう。
アナベルは、そこまでソフィア妃と深い付き合いをしている人間ではないので不思議だった。
「だってあなたはマーヴェリット公爵がとにかく好きで……いいえ、好き過ぎる人だもの。いつ顔を合わせても公爵大好きとしか感じない、一途な相手に嫉妬する馬鹿にはなりたくないわ、私。ふふ」
「そうです。私はそういう人間なのです。ご理解いただき誠にありがとうございます」
侍従達にはそこがわかってもらえなくてずいぶん苛々させられた。が、一番心配していた相手が最も自分という人間をわかってくれていたのだ。
アナベルはソフィア妃に感激し、高揚した。
◆◆◆
あまり来なくなると言ったからだろうか。別れを惜しむかのように、本日はいつも以上のもてなしを受けたアナベルは、ソフィア妃の前から下がる。
「今日のチョコレートは特別美味しかった……」
うっとり上機嫌で、今度は王太后の宮を訪れた。
ほのかに青白く輝く石で組まれた壮麗な回廊を歩いていると、男性がひとりこちらに向かってくる。王宮仕えの制服ではない刺繍が華やかな装いから見て、侍従や衛士ではなく訪問貴族であるとわかった。
中肉中背。まるでタンポポの綿毛のような、ふわふわの白に近い金髪の巻き毛。二重のくりっとした水色の丸い瞳。面立ちも少し丸みを帯びていて優美だ。
どこか少年めいて見えるも、落ち着きのある堂々とした歩き姿に実際の背丈よりも大きく見える。そして、その眼差しは少年に備わる無邪気さのまったくない、冷めきったものだった。
「……」
こちらを見て、男性は爽やかな笑みを浮かべると軽く頭を下げた。
見知った顔ではないので、アナベルも同じく会釈だけしてすれ違った。
「そうか。もうあまり来ぬのか……」
挨拶したアナベルに、美容魔法が大層気に入っているらしき王太后も、ソフィア妃同様つまらなそうな顔をした。
こちらでも上手い具合に、予定されていた面会が少し早く終わったとのことで、アナベルはすんなり御前に通してもらえた。
「お邪魔いたしました」
「正直なところ、そなたをマーヴェリットから取り上げると陛下が言わずにホッとしておるよ」
人払いをした王太后が、香りの良い紅茶をひとくち飲んで静かに語った。
「ぃっ……」
アナベルはここでも硬直する。
知られたくないから早く終わらさねば、早く、早くと気ばかり焦ってまったく上手く行かなかった自分が、本当の馬鹿としか思えない。
「陛下がそなたに執心と女官たちより耳にして、魔法使いが王妃となるのは良きことだと思わぬでもなかったが……」
「良きこと? ソフィア王妃様の邪魔では?」
意外な言葉にぱちくりする。
王太后は新しい妃などなにがあっても絶対に認めない人だと勝手に信じていた分、その発言は驚きだった。
「もちろん。ソフィアが王子を産んでからという条件は付ける。だが、陛下がどうしても娶りたいと言ったなら反対はせぬよ。恋路を邪魔して疎まれるような母にはなりとうない」
「さ、さようでございますか……」
侍従たちの勝手妄想を一番に拒否して否定してくれると思っていた人が、まさかの賛成派。びっくりしすぎて喉がカラカラになった。
「とはいえ……マーヴェリットと争ってまでとなると、諸手を挙げて歓迎とはいかぬのが実情だ。だから何事もないことに安堵しておる。ベリルは動乱なき今のままがよい」
「……」
これ以上驚かせないでほしい。
セインを苛めないとは約束してもらったが、隙あらば命を狙ってくるだろうと緊張していた相手だけに、まさかそんな言葉を聞かせてもらえるとは夢にも思わなかった。
アナベルはぽかんとする。まじまじと自身の顔を見ているその視線に気づいた王太后は、非礼を咎めるのではなく、面白そうに笑った。
「勘違いするでないぞ。今でもマーヴェリットのことは嫌いだ。たとえそなたがなにをしようと、私があやつを完全に信じるのは不可能と思え。だが、そなたが陛下を健康にしてくれたことで、前ほどは気にならなくなった」
どこかあっけらかんと口にした……まるで憑き物が落ちたかのような王太后に、アナベルはぱあっと目の前に明るく輝く花がいくつも咲いたように感じた。
「いきなり好きになったと言われたほうが不思議ですので、そのお言葉がなによりです。陛下の治療をさせていただき、ありがとうございました」
やった。やった!
治癒最上級魔法の重ね掛けを使った甲斐があった。セインの懸命の呼びかけに王が応えてくれて、本当によかった。
「礼を言うのはこちらのほうだ。町歩きに出るだけでなく、最近は武官に剣術を習っておる。楽しそうに剣を振って鍛錬し、時折走って見せる姿に、私もソフィアも涙が出るばかりで……。マーヴェリットが王家に刃を向けないと言うなら、陛下がそれを信じると言うなら、私も……陛下が生き生きと毎日を過ごす姿を見られるだけで良いのではないかと思ってな」
しみじみと語る王太后にアナベルのほうも涙ぐみ、少し目元を擦ってしまった。
「お言葉、うれしいです」
魂に重なる物がないとしても、やはり王太后は王のお母さんなのだ。息子のしあわせだけを願っている情深い姿に、これを知ればセインがどれほど喜ぶかと思うと、もううれしくてうれしくて堪らない。
「それに……偽りなく陛下を頑健にしてくれたそなたなら信じられる。マーヴェリットが悪いことをしたなら仕置きをしてくれると言った、その言葉を……」
ちょっとからかうような目をしてこちらを見た王太后に、アナベルは満開の笑みで応えた。
「お任せください」
「はは。躊躇いなく言い切るのだな。陛下もよく言っておるが、そなたは実に爽快で心地良い人間だ。そなたが傍にいれば、マーヴェリットに王位を狙う野心は生まれないようにさえ思えるよ」
早く食べるといい、と目の前に置かれたガラスの器を手で示される。
さきほどソフィア妃のところでたくさん食べているアナベルだったが、ありがたくスプーンを手に取った。器の中身をそっと掬う。
「もし私がいなくてもそういう野心は彼には生まれないと思うのですが、王太后様のお気持ちがセインに対してとてもあたたかくなっているご様子に、感激するばかりです」
なんと美味しいアイスクリームだろう。
今日は桃味だ。王太后の専属お菓子職人は氷菓子を作るのが特に得意のようで、アナベルは訪問するたび極上の冷たいお菓子を堪能させてもらっている。
ひんやりふわふわ。口の中で蕩ける新鮮な桃味と王太后のこの上ない発言に、アナベルがとにかくにこにこしていると、王太后のほうはなんとも言えない複雑な顔をしていた。




