151.不興は困る。でも気に入られても困る
「君がそのように自身を一切特別視しない、素で善良丸出しの人間だから陛下は余計に執心する。王宮に訪ねるたびに陛下がお茶に招く人間など、たぶんセインくらいしかいない。女性ではきっと君だけだ」
「私だけ?」
そんな馬鹿なと反論しかけるも、ジャンの厳しい表情を目の当たりにしてしまい口にできなかった。
「陛下のどんな些細な一挙手一投足であっても常に目を凝らして見ている侍従たちは、それを大喜びして君に付き纏う。陛下との仲を取り持つことができれば、自身に美味しいことがあると考える」
アナベルはぱちくりした。
「あのぉ~。ジャンの言葉をすべてまっすぐ受け取ると……陛下は私に気がある。だから侍従たちが喜んで私に寄ってくると言っているように聞こえるのですが……」
まさかね。国王に対してこんな不敬な考えは申し訳ない、と思いながらも恐る恐る訊ねる。が、アナベルの予想に反してジャンは安堵したように目を細めた。
「鈍い天然さんでもようやくそこに辿り着いてくれたか」
満足げに首を縦に振った姿にぎょっとする。
アナベルは動揺しすぎて、危うくテーブルをバシバシ叩きそうになってしまった。
「そ、そんな馬鹿な話があるわけないじゃないですか。考えるほうがおかしいです! 祝福の魔法がバレたら、私が一般市民であっても王家に迎えられるというのは理解しました。ですが、それがバレていない一般市民の娘を、しかも婚約者もいるのですよ。どうしてベリル王が好きになったりするのですか!」
泡を食って思いっきり否定するも、思わぬ真面目な目が返ってきて背筋が震える。
「大国ベリルの支配者であろうと、私たちと同じ人間であることに変わりはない。女性を好きになる感情を持っていてもなんらおかしなことではないよ。というか、そういう情を持たない人間が玉座にいるほうが、私としては怖いね」
「そ、それは……」
持っていてまったく構わないし、アナベルとしても情のある人に国王であってほしい。が、なぜ自分がその対象となるのか。そこはさっぱり理解できない。
怯むアナベルに、ジャンは淡々と語った。
「これまでは自身の人生を半ば諦めていたから王太后の言うとおりに妃を娶ってこられた。だが、健康になった今なら自身の意志で恋をしてもなんらおかしくない。そこで真っ先に候補に挙がるのが、恩人の娘魔法使いというのは至って普通の展開だよ」
「普通の展開って……そんなこと言われても……」
自分を好いてもらいたくて治療したわけではないアナベルは、狼狽して首を横に振るしかできない。
「その上娘は欲呆けたところもなく、可愛らしくて性根のよい人間だ。ここまで揃っていれば、祝福の魔法も身分も婚約者の有無も関係ないね。私とて、もし陛下の立場だったら惚れると思うよ」
「……」
ジャンは女性なら誰でもと一瞬言いかけるも……彼の怖くなっている気配に引っ込める。
「だからと……君をセインから奪ってどうこうしようとまで焦がれているとは思わない。もしそうなら王家になにか動きがあるはずだ。王太后が沈黙しているはずもない」
「ですよね!」
少し柔らかくなったジャンの気配とその言葉に安堵し、緊張が緩む。
もしも王がアナベルを本気で妃になど考えていれば……王を溺愛し、ソフィア妃の後ろ盾でもある王太后は絶対に気づいているはずだ。
冗談ではないと憤り、やめるようにと王を諭しているだろう。
無論、アナベルのことはただの邪魔者だ。美容魔法の礼として、自身の専属料理人に作らせた特別な、極上すぎるチョコレートケーキやパフェを食べさせてくれるはずなどない。
「健康になったことで浮かれた気持ちが生んだ、ささいな想いと言ったところだろうが……側仕え達はそうはいかない。陛下が自ら好きになった女性が妃となれば、もっとも寵愛を受けると考える。その女性の後見となって支えれば、陛下の覚えもめでたくなり栄耀栄華が望める。それを目当てに欲に駆られ、陛下が君に優しくすればするほど色めき立つのは当然のことだよ」
「『彼らは陛下に取り入りたいと必死なのだよ』と、セインにも言われましたが……そういうことですか……。適当な品をいただいてすぐさま通うのをやめるのが一番でしょうが、それでは使えない物をいただくことになってしまう。それ以前にまだ花が咲かない。約束の花は絶対に陛下に渡さないといけない……」
王との約束を破るなど、そんな無礼な真似ができるわけがない。
不興を買うのも困るが、過剰に気に入られるのも困る。
悶々と思い悩むアナベルに、ジャンが腕を組んで軽く頭を振った。
「今からどうでもいい品を選んで強引に終わりにするのは不可能だと言っておくよ」
「え?」
「君を気に入っている陛下は、きっと君の表情をよく見ているはずだ。嘘を吐いたら必ずバレるよ。あの方はセイン同様、他者の感情を読むのがおそろしいほど上手い。君が心より満足する品を選ばない限り、なにを言っても納得されないと私は思うね」
冷静な助言に、項垂れるようにうなずいた。
「これまで以上に一生懸命探して、すこしでも早く終わりにします」
今日見つけられなかったことが悔やまれる。
「どんな宝石が欲しくて王宮の宝物庫に通っているのかは知らないが……先にセインに一言言いさえすれば、たとえ世界にひとつしかない物であっても手に入れて君に渡しただろうに……」
「……」
心なしか咎めるような目に見つめられるも、それはされたくないのだ。
アナベルはジャンの視線から逃げるようにまぶたを伏せた。
「今さら言っても仕方のないことだな……。侍従達のふざけた要望には気を持たせるような真似はせず、きちんと断っているかい?」
「もちろんです。私が宝物庫からいただく品は、事前に陛下とお約束しているひとつだけです。他の品を頂戴するなど絶対にありえません」
きっぱり言い切る。
「今後もその毅然とした態度を崩さないようにしてくれ。ところで侍従達は君に、なにを陛下にねだれと見せたのだ?」
「本物の金と銀の砂の入った一対の砂時計です。名工の作とのことでしたが、そのような貴重な品を陛下にねだれなど、私に死ねと言っているのかと最初は思いました」
そんなものをねだったりすれば、普通は図々しいと厭われて、最悪無礼者扱いで牢獄行きだ。
アナベルは本気でそう思ったが、彼らの考えはまったく違っていて、とても共感できるものではない。
「陛下と君に一対で作らせた物を持たせる提案か……。それを君がねだって陛下が喜べば、お膳立て成功でしめたものといったところだな」
「一対の品なんてセインとしか持ちたくないです。はあ、明日から余計に気が重い……」
すべては王宮の宝物庫に惹かれてしまった己が悪いとはいえ、王宮とは厄介なところだ。
「へえ。アナベルでも物が欲しいなんて言うこともあるんだな」
ぼやきに、とても驚いた表情をされる。
「言いますよ。あたりまえじゃないですか。私は清貧を愛する聖女ではありません。それなりに綺麗な物もおしゃれな物も好きですし、美味しいごはんとお菓子はもの凄く好きなのですから」
物欲のまったくない清らかさんなどと思われては堪らないので、しっかり主張した。が、疑いの眼差しを向けられる。
「そうは言うが、この屋敷では遠慮してばかりじゃないか。セインもモリー達も、もっとわがままを言って気を許してほしいと寂しがっているぞ」
「それは遠慮して当然です。このお屋敷で用意される物はどれも尋常じゃないです。今着ているこれも、着心地はとても良いのでありがたいですが……王宮に行くからととんでもない贅沢品なんですよ。私としては気楽に汚せる服が着たいです」
自分が清らかさんなのではなく、この屋敷の人たちが過剰に贅沢させようとするのについて行けないだけだ。アナベルは適度なおしゃれがいいのだ。
「汚したとしても誰も気にしないと思うよ。逆に、別の物に着替えさせる楽しみをもらったと喜ぶんじゃないかな」
さらっと呟かれて、金銭感覚の違いに仰け反りそうになる。
「なんて恐ろしいことを……私の身の回りの品に関してはもう少し庶民感覚を持ってほしいです」
セインやジャンに庶民の装いを強要するつもりはまったくない。彼らはどんな高価な品であろうとも、似合う物を着ていればいいと思う。が、自分の普段着は気楽に町歩きのできる一般市民のありふれた格好が良いのだ。
「愛する君を着飾らせて楽しみたいセインに、それは無理な話だろうなあ」
あっさり否定的な結論を出されてしまう。
「無理な話……」
アナベルは乾いた笑みを浮かべながらフォークを握った。タルトに一刺しする。
「王宮通いは早めにやめてほしいのが本音だが、無理して倒れられては元も子もない。ほどほどにがんばってくれ。それじゃ」
ジャンは洗練された動作で席を立つと、静かに部屋から去った。
「……王宮で食べるのより美味しい。すごいわ、料理長さん」
アナベルはひとり、花どうしようと悩みながらも……タルトの絶妙な甘さには相好を崩した。
◇◇◇◇
「くくっ。一対の品の贈り物ね。機嫌よく仕事をさせるために、これはセインに教えてやろう」
廊下を歩くジャンの楽しげな呟きを、タルトを堪能するアナベルが耳にすることはなかった。
電子書籍にて配信中の漫画版ですが、5月30日より、コミックシーモアさん以外の電子書籍配信サイトでも配信されるようになりました。
配信サイトは下記のアドレスから確認して頂ければ、とってもありがたく思います。(表紙の絵が見られます)
https://arianrose.jp/comic/?published_id=3802
よろしければアナベルとセインの出逢い……まんまるおでぶさんがどーんと登場。土手転がり落ちが絶妙の迫力で描かれておりますので、漫画でぜひとも見ていただきたいです(笑)




