144.希望の花は咲かない
「陛下。誠に申し訳ございません。本日も、お花をお持ちすることはかないませんでした」
王に空き時間ができた、とのことで宝物庫からその御前に招かれたアナベルは、深々と腰を折って詫びた。
場所は小人数で過ごすのがちょうどいい、あまり広くない部屋である。
淡い緑色の壁には美麗な白花の装飾模様。薄茶の洗練された家具調度品で纏められており、かといって豪奢すぎずとても静かで落ち着いた雰囲気に満たされている。
王の意向により侍従も女官もおらず、部屋には自分たちふたりだけだった。
「構わぬ。急がずともよい」
白木枠の、大きなアーチ形の窓辺に置かれた椅子に腰掛けるアルフレッド王は、柔らかな日差しを受けながら鷹揚に笑むばかり。
もたついているアナベルを責める様子は一切ない。それどころか、今日も優しく自身の正面の席に着く許可をくれる。
「ありがとうございます」
いつもふたりきりという王の気さくすぎる対応に非常に恐縮しつつ、アナベルは一礼して着席した。
今日で三日。アナベルは毎日王宮に通い王の話し相手を務めている。希望通りの花を咲かせるのが思った以上に難航して手間取り……これぞという宝石も見つけることができないからだ。
「宝石のほうも見つからぬと聞く。宝物庫の管理者達はそなたによくしてくれるか?」
自身と王の間に存在する華麗な刺繍入りのテーブルクロスが掛けられた円形のテーブルには、本日もお茶の用意がすでになされていた。神々しいばかりに美しい茶器に、どんなに我慢しても頬が緩んでしまう美味しそうなお菓子がたくさん載せられている。
「はい。皆さまとても親切にしてくださいます。それなのに見つからなくて、お仕事の邪魔をしてしまい申し訳ないです」
宝物の管理をおこなう者たちは皆、アナベルに対して下にも置かない扱いを一切崩さない。が、アナベルとしては丁重すぎる彼らの対応がちょっと、いや、正直かなり重たい。
こちらのほうが大事な宝物庫の品を頂く身であるのだからもう少し雑に、適当に扱ってくれたので構わないのだ。一刻も早く望みの宝石を見つけて彼らを煩わせるのを終わりにしたかった。
「数多くの宝石の中から最も力の強い石という、そなたにしかわからぬ物を探し当てるのだ。時間がかかるのは当然のことだろうに。余計な気遣いはいらぬよ」
「……」
素直にハイとは言い難い言葉をかけられたアナベルは曖昧に笑んだ。
「困ることがあればどのような些細なことでも隠さず私に言うがよい。そなたには気持ちよく王宮に通ってもらいたい」
「もったいないお言葉です」
柔和に笑んでいる王の体調は安定している。
それには安堵するものの、肩の辺りに乗っている黒くて重そうな気配が少し気になった。
「我が宝物庫は、そなたの目を少しは楽しませておるか?」
「目にするすべてが華々しく素晴らしいです。さすがは王家の宝物庫でございます」
麗しい宝石たちに圧倒されるばかりだった。
それでも守護石とするのには、合格点が出せない。どの石もアナベルの全力を受け入れる前に割れる。その結果がわかるのでどれも選べずにいた。
「素晴らしいと気に入ったならば、宰相の守護石だけでなくともよいぞ」
「え?」
何を言われたのかわからず問い返してしまった。
「そなた自身が持ちたいと思う品も、なんでも好きなだけ持ち帰ってよい。宝石以外の物でももちろん構わぬ」
耳を疑うような内容を、王はごくあっさりとアナベルに告げた。
「ご、ご冗談を。セインの宝石をいただくだけでも畏れ多いことですのに、他の品などとんでもないことでございます」
アナベルは大いに焦る。動揺しながらも断りを述べると、王はのどを鳴らして笑った。
「そなたは慎ましい人間だな。国王がなんでも好きに持って帰れと言っているのだ。ここは喜んで、あれもこれもと要求してくるところだろうに」
「私は慎ましいのではなく、セインの守護石以外に欲しい物がないだけです」
物欲のない善人扱いは勘弁してほしい。アナベルはゆるく首を横に振り、頭を下げた。
「いろいろねだれば楽しいのに隙がない。つまらぬな」
不満げな呟きに、笑えない冗談だと口元が引き攣りそうになった。
「あの、陛下。ご政務が忙しいからとは思うのですが……きちんと夜お眠りになられていますか?」
ここは話題を変えよう。
アナベルは気がかりを思い切って訊ねてみた。
「なぜわかる? 医官たちは今日も調子がよさそうでなによりです、としか言わなかったぞ」
はっきりと驚きの表情を向けられて、アナベルは苦笑した。
医官たちの仕事ぶりにケチをつけるつもりなど毛頭ないが、これは余計なことを言ってしまったのかもしれない。
「肩の辺りに重そうな気配が漂っていますので……少しお疲れなのかな、と。病や呪い攻撃といった重篤な命の危機ではないので、医官たちは気づかなかったのだと思います」
「そなたにはそんなモノまで見えるのか……。心配させてしまったようだが政務疲れではない。私は幼い頃から夢見が悪いからそのせいだ。我が身に王位は重いとしか感じぬから、その心の弱さが夢となって現れるのだろうな」
自身を蔑むように口元を歪めた王に、アナベルは小さく首を横に振った。
「重いと感じるのはお心が弱いからではないと思います。一国を守り抜くことが、安易なことではないとよくわかっていらっしゃるからだと思います」
呪文は使わず、重い気配に魔法を飛ばす。完全に吹き消すと王が目を見張った。
「お、軽くなった……」
「陛下が王位を居心地のよいなんでも好きにできる楽しい地位と浮かれて、玉座にふんぞり返る方でないことに、私は心より感謝いたします。あなた様の民として生きられることを喜びに思います」
アナベルが真情を伝えると、王はこちらを凝視したまま、なんだか固まっていた。
馴れ馴れしい口をききすぎたか、と後悔が脳裏にもたげたところで、とても楽しそうな笑い声が室内に響く。
「ははっ! なんと自然に私の欲しいと思う言葉をくれるのだろうな。上級魔法使いとは人の心の内まで見通せるのか?」
「まさか。そのような真似はできません。魔法使いは万能ではございません」
とんでもないことを問うてきた王に、アナベルは仰天してきっぱりと否定した。
「くくっ、そなたは本当に心が歪んでいないな。そなたほどの魔法使いであれば、万能と称してもどこからも異論は上がらぬだろうに。自身の能力を大きく見せたがる魔法使いは多々あれど……できなことはできないとはっきり言うのは珍しいぞ。実に潔く清々しいな」
「魔法とは案外と制約が多いものなのです。万能は神の領域にあること。人間の身には遥か遠い、手の触れられないものです」
朗らかに笑んでいる王に、アナベルは困って眉を下げた。
当たり前のことを述べたにすぎないのに何故か清らかな正直者と思われている。
どうしてそうも自分を美化するのだろう。にが笑いが込み上げてくる。
「あれほどの魔法を使えるそなたでも万能には手が届かぬか……。私は眠りが浅くて眠った気がしないことのほうが多い毎日だが、これにはもう慣れている。皆に知られると心配の種にしてしまうから秘密にしておいてくれ」
王は諦めきった様子で目蓋を軽く伏せ、どこか寂しげに笑んだ。
「かしこまりました」
魔法は万能ではないが、夢見の悪さの改善ならばできるかもしれない。
そうは思ったが、かもしれないなので、ここでアナベルはその言葉を口にはしなかった。
「宰相のように心身ともに頑健であれば、悪夢など見ずに生きられるのかと羨むばかりの自分が惨めで情けなかった。だからだろうな。いじけてしまい、生きることに執着がわかなかったが……生きていれば心の晴れる言葉を聞くこともできるのだな」
王がしみじみと、深く噛みしめるように呟いた。
「セインは陛下のことを、我が国の要であられると偽りなく申していました。私はその姿に、彼は陛下を自身より何倍もお心の強い優れた人として敬い……だからこそ、誰よりも忠節を尽くしているのだと感じました」
セインが、王を自分よりも何倍も恐い人と言っていたのはこういうことだとアナベルは考える。
「自分よりも私が優れている? 虚弱を理由に、政の重荷を押し付けて背負わせるばかりであった私のほうが?」
信じられないと言いたげな目で王はアナベルを凝視していた。




