143.薔薇よりもチューリップ
「セインは陛下の好まれるお花をご存じですか?」
王宮から戻ったアナベルは夕食の席でセインに問うた。
王は花の種類は問わないと言ったが、傍に置くとなれば好む花のほうが嬉しいはず……。
アナベルはそれを知るのではないかと思う人を見つめた。
「チューリップを好まれるよ。明言すると周囲がそればかりになってしまうから、公にはなんでも好むと話されているがね……。それがどうかしたかい?」
「チューリップ。薔薇ではないのですね」
訊ねて正解だった。
アナベルは笑みを浮かべた。
王侯貴族には薔薇愛好家が多い。王太后もソフィア妃も薔薇好きだから、てっきり王も薔薇を好むのだろうと勝手に想像していたのを訂正しておく。
「薔薇よりもチューリップの立ち姿が好きなのだそうだ。花期がもう少し長ければと惜しまれていたのを覚えているよ」
「あの花は春に短期間しか咲きませんから……」
それでずっと咲いている花を所望されたようだ。
では、季節に関係なく咲き続けるチューリップを魔法で誕生させることにしよう……。
「熱心に考えているように見えるが、なにかあったのかい?」
「色の好みなどもご存じありませんか?」
問いには答えず質問を返したアナベルに、セインは複雑な顔をした。
「どうして陛下のことばかり聞くのだ?」
「散歩の途中でたまたま街歩きを楽しまれていた陛下にお会いいたしました。ご挨拶をさせていただいた後の流れで……私が魔法で花を咲かせてお贈りすることとなったのです。それで……」
セインの少し低くなった声音に、すべてを内緒にするのは不可能と感じた。貴重な宝物をもらうという部分は隠してアナベルは説明した。
「陛下が街歩きとは……してみたいと言っていたのは本気だったのか……」
心持ち目を見開き呆然としているセインに、アナベルはこくんと頷いた。アナベルとてまさかの姿に驚いたなどというものではなかったのだ。
「陛下はどのような花でも構わないとおっしゃってくださったのですが、せっかくお贈りするのです。喜んでいただける花がいいと思いまして」
「青色を好まれるが……どうして君が花を贈ることになったのか、その理由は聞かせてもらえるのかな?」
真剣な目でこちらを見ているセインから、アナベルは逃げるように身を窄めた。
「そこは秘密ということでお願いします。永遠に秘密ではなくて、時が来れば必ずお話いたします。それまでは秘密ということで」
セインの守護石とする宝石と引き換えにするためなどと正直に答えれば、優しい人はそんな手間を自分のためにかけることはない、とアナベルを止めるに決まっているのだ。
だからこそ完成させてから知らせる。それならば遠慮なく受け取ってもらえるはずだ。
「永遠に秘密というのでないなら、時を待つとするよ」
折れてくれたセインにアナベルはほっとして顔が緩む。
「ありがとうございます。私は明日から王宮に通います。セインのご迷惑になるようなおこないはしないとお約束しますので、ご安心ください」
一日で見て回ることはできないと言った王の言葉に偽りはまったくなかった。
王家の宝物庫とは、アナベルの想像など軽く凌駕した。地上三階、地下一階建ての広大なそれは、まさしく博物館としか思えないものだった。
王家はマーヴェリット公爵家のように宝物を分けて収めず、一つの建物に所有するすべてを保管しているそうで、案内されたアナベルはその門前で呆然とし、しばらく立ち尽くしてしまった。
王のありがたいお言葉により、アナベルが宝物庫で自由に行動することに反する声はどこからも上がらなかったものの、宝石だけでも十万点以上はあると宝物庫の管理者に教えられた。
アナベルは途轍もない数に慄きながらも精神を集中し、最も力のある宝石をさがした。が、どれもこれも力のある物ばかりで、宝石たちの気配が頭に響きすぎて絞り切れなかった。
結局、通うこととなってしまった……。
「王宮になにをしに? 花を贈るのに通う必要はないのではないか?」
「花を贈るのとは別に陛下に招かれまして……政務の空き時間に珍しい魔法の話をすることになったのです」
セインの話も聞かせてもらえることになっているが、こちらは内緒にしておく。
「陛下の話し相手……それはいつまで通うものなのだ?」
「正確な日数は決まっていないのです。ですが一か月くらいかと思います。終了時に花を贈ることになった理由もお話できると思います」
さすがにそこまで時間をかければ、最も力の強い宝石を見つけて守護石を完成させられるはずだ。一日も早く完成させてセインに喜んでもらいたい。
「陛下の許にひと月、か……さぞ長く感じることだろうな……」
アナベルに返ってきたのは、どこか面白くなさそうな顔をしたセインの、ため息交じりの呟きだった。
「セイン?」
どうしたのだろうと訝しんでいると、きゅきゅの視線を感じた。食事をやめて、いやに強い眼差しでこちらをじっと見ている。
【誰にも治療できなかった病を癒してくれたあなたは王様にとって特別な魔法使いよ。あまり喜ばせないように言動には気を配りなさいね】
「喜ばせないように?」
失礼が無いようにしなさい、ならばともかく、喜ばせるなとはまったく予想しない注意だった。アナベルはきょとんときゅきゅを見つめ返した。
【あなたをセインのものにしておくのが惜しいと王様が本気で思うようになったら、面倒になるわよ】
「それは大丈夫よ。ちょうど話の流れで私は王宮魔法使いにはなりません、ときちんとお断りしているわ」
真面目な目でこちらを見ているきゅきゅに、その心配は無用とからりと笑ってみせる。
「陛下のお招きを私の都合で断らせるわけにはいかないが……君の咲かせた花を所望し、話し相手にも望むとは……。私と同じく、陛下にとっても君はあたたかく心地よい存在のようだ……」
苦笑しているセインにアナベルは眉を下げた。
「健康体となられたことが嬉しいのはわかるのですが……隊長の言う通り、陛下は私の魔法をずいぶんと特別視して、恩に着すぎだと思うのです。王宮魔法使いにはなれませんが、ベリルの民である私がベリル王の健康のために力を尽くすのはあたりまえのことですよね?」
恩に着てくれているから、宝物庫の極上な宝石でセインの守護石を作ることができる。
それでも王は恩になど着ず、健康になったことだけを喜び、自分の魔法など忘れてくれたのでもアナベルとしては一向に構わないのだ。
「あれほどのことを成し遂げたというのにあたりまえで済ませる。報奨をねだれば地位も名誉も思いのままというのに……。そんな君だから陛下はよけいに感謝して恩に着てしまうのだろうね」
清廉なものを見るような眼差しでこちらを眺め、本気で感心している様子のセインにアナベルは心底弱った。
「ものすごい善人を見るような目で私を見ないでください。私が陛下の治療をしたのは無償の厚意ではないのですから居た堪れません」
「君が善人でないならこの世には悪人しか存在しないな」
真顔で返ってきたとんでもない言葉にアナベルはますます弱ってしまう。
「なにをおっしゃっているのですか。私があの時力を尽くしたのはセインの肩の荷を少しでも軽くしたかったからに過ぎないのです。そんな私の魔法を陛下にあんまり感謝されると、なんだかとても申し訳ない気持ちになります」
「私の肩の荷か……。どうかその気持ちを忘れないでほしい。私に重い荷を背負わせたくないと思ってくれるなら、どこへ通おうとも迷わず私の許に帰って来るのだよ。別の場所に留まっては駄目だからね」
「もちろんですとも。迷子になる歳ではありませんし、私には移動魔法もあります。あなたの傍以外に留まる理由はありません」
相変わらず心配性だと思うもセインに気にしてもらえるのは嬉しい。アナベルは笑顔で約束した。
「必ずだよ。もし違えたら、私は君がどんなにいやがろうとも捕まえて籠の鳥にするよ」
念を押すように重い声で告げられる。
それは心配しすぎなのではないかとアナベルは目を瞬いた。
「道に迷って別の場所に留まれば、籠の鳥ですか? ひとりで籠に入るのはいやですが、セインもご一緒してくださるならそれもいいですね。とても楽しく過ごせるかと思います」
他の誰も入ってこない籠にセインとふたりで入って過ごす。それを少し想像しただけで、アナベルはなんだか妙に胸がわくわくした。
セインを独り占めできるなんてなんと嬉しいことだろう。
その気持ちを隠さずにこにこして見つめると、彼は頬を赤く染めて首元を掻いた。
「参ったな。どうしてそんなに、君は私の喜ぶツボを押すのが上手いのだ。まったく敵わない」
「そのようなことはないかと……」
照れているように見えるセインの言葉は、アナベルには納得できないものだった。
絶対に喜びのツボを押すのが上手いのはセインのほうである。
「私は君がすごく好きだよ」
「私も同じです。ですからセインも、別の場所に留まってはいけませんよ。ちゃんと私の傍で手を握っていてくださいね」
この約束が守られない場合……自分はきっととんでもない魔法を使う。皆からセインを取り上げて、自分だけの籠の鳥にしてしまうだろう。善人ではないから、そういうことを我慢できずにしてしまうのだ。
「喜ばせすぎだよ。アナベル……」
「? 正直な気持ちをそのままお伝えしているだけなのですが……」
セインが喜んでくれるのはうれしいが、特別なことをしているつもりのないアナベルはきょとんとするばかりだった。
【その調子で王様の喜ぶツボを押さないことを祈るわ。王宮魔法使いよりも厄介な位を用意されちゃうわよ】
がぶっ、とリンゴにかぶりついたきゅきゅの呟きは、セインと和んでいるアナベルに届くことはなかった。




